「あと1年」と言われても諦めなかったから今がある 2つの稀少難治がんを克服した「開運!なんでも鑑定団」の人気女性鑑定士・安河内眞美さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年7月
更新:2018年9月

  
安河内眞美さん

やすこうち まみ
1954年福岡県生まれ。上智大学ロシア語学科卒業。古美術店「美術商やすこうち」「ギャラリーやすこうち」を運営するとともに、96年からテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で屏風や掛け軸など日本画を鑑定。

症例が少なく「難治」とされるタイプのがんは厄介だ。安河内さんはこの稀少難治がんを2度も経験し、見事に克服して現役復帰を果たした。彼女はどのようにこれらのがんと向き合い、困難を乗り越えたのだろうか。

肝内胆管がんの疑いが浮上

安河内さんは自ら古美術店を経営するかたわら、96年からテレビ東京系の看板番組『開運!なんでも鑑定団』の鑑定士を務め、今やお茶の間でも人気の存在となった。スタジオに持ち込まれた「自慢のお宝」の真贋を見極める眼はクールで理知的。経験に裏打ちされた自信が漂う。

その安河内さんが2度、『なんでも鑑定団』の鑑定士席から姿を消したことがあるのをご存知だろうか?

2度の長期欠席は、どちらもがんとの戦いだった。それも、症例が少なく、難治とされる厄介ながんと向き合っていたのだ。

最初は肝内胆管がん(胆管細胞がん)だった。告知を受けたのは1999年のことである。

「自覚症状としては食欲不振だけでした。直前にバリ島に旅行していて、帰国直後から食欲がなくなってしまい、1週間ほど何も食べる気にならなかったんです。バリで何かに感染したのかと思い、都心の総合病院に行きましたが、そこでエコーやCTなどの検査を受けても、始めは原因がわかりませんでした。入院して詳しく検査し、初めて肝内胆管がんの疑いがあるとわかったんです。告知され、医師に『手術の必要があるので、(その病院の)外科医と話をしてください』と言われましたが、それには従いませんでした。私自身、その病院にピンとこなかったのもありますが、先生本人が病気のことをちゃんと判っている感じではなく、東大の先生と話してどうやら肝内胆管がんらしい……という心もとない診断で。だから別の病院でセカンドオピニオンを取ることにしたんです」

安河内さんはその病院で検査資料を出してもらい、都内のがん専門病院を訪ねた。

肝内胆管がんは、肝臓を原発とするがんの1つだ。わが国では肝臓を原発とするがんの患者が年間約3万人ほど生まれているが、肝内胆管がんはその3~5パーセント程度。つまり1年間に生まれる患者数は900~1500人程度ということになる。

患者数が少ないと、通常はがん医療に実績のある大学病院でも10年間に経験する症例は数例から10数例程度になってしまうのだ。

ベストに導いてくれた友人

セカンドオピニオンで訪れたがん専門病院でも、肝内胆管がんだろうという診断だった。

担当医師は、肝内胆管がんが判定の難しいがんであること、日本では症例の少ないがんで高齢の男性に多いこと、治療の難しいがんで根治を目指すには手術で切除するしかないこと、そして、予後の悪いがんで治癒切除が行われた場合でもリンパ節転移を起こしやすいため高い割合で再発のリスクがあることなどを説明した。

「説明は十分時間を取ってしてくださったのですが、この先生にお任せしようと思えなかったのは、説明が事務的で人間味が感じられなかったことが1つ。それと肝内胆管がんであるかどうかについても、その疑いが強いというだけで、『直接、皮膚の上から胆管に針を刺して組織を取り出して調べれば確定的なことが言えるが、それをするとがん細胞が飛び散る可能性があるから勧められない』という説明。じゃあどうすればいいの? と思ってしまって……」

もし彼女が1人で医師の説明を受けていたら、ショックで冷静な判断ができず、思い悩んで立ち往生していたかもしれない。しかし、そうはならなかった。ベストの方向に背中を押してくれる人がいたのだ。安河内さんの長年の友人で、アメリカ人女性だった。

「最初の病院で肝内胆管がんらしいと言われた後、親しくしているアメリカ人夫婦にすべてを話しました。2人ともすごく心配してくれて、奥さんのほうがセカンドオピニオンを受けるとき一緒に行ってくれることになったんです。彼女はニューヨーク育ちで、自分の家族もがんを患った経験があり、他人事ではなかったのだと思います。一緒にがん専門病院で話を聞いたとき、『日本には少ないがんで…』という医師の言葉に、彼女は日本には肝内胆管がんを治せる経験豊富な医師がいないと感じたんですね。どこかにいい医師がいるはずだと、外国を探してくれました」

ニューヨークから名古屋へ

その友人がインターネット情報や友人たちの情報から辿り着いたのは、米国メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのレスリー・ブルームガート博士だった。ニューヨークにある同がんセンターは、ヒューストンのMDアンダーソンがんセンターとともに世界の頂点に立つがん医療機関で、ブルームガート博士はそこの肝胆膵部門の主任を務める世界的権威だ。

その友人は、ブルームガート博士にコンタクトを取って安河内さんの検査画像を送り、さらに国際電話で直接電話で話をする段取りまでつけてくれた。

「ブルームガート先生からいただいたアドバイスは明快で、『肝内胆管がんは、僕もベストだけど、ナゴヤユニバーシティ・ホスピタルのドクター・ニムラもそうだから、彼に診てもらうのがいい』というものでした。そこで、すぐに名古屋大学病院の二村先生の診察を受けるため、その友人に付き添われて名古屋に行きました」

二村雄次医師は、困難な手術を伴うことの多い胆道がん(胆管がん、胆嚢がん)の外科治療においてパイオニア的役割を果たした外科医で、同医師のチームは胆管がん、肝門部胆管がん、肝内胆管がんの外科手術では、症例だけでなく、手術の難易度、手術成績で世界をリードする実績をあげていた。

「二村先生は気さくな方で、多くの症例を診てきたゆえの余裕のようなものが感じられました。話していて人間味と温かさを感じ、迷うことなく名大病院で手術を受けることにしました。入院したのは1999年6月で、手術では肝臓を半分と胆管の大半を切除しました。抗がん剤はしていません。幸いだったのは、開腹してみたら、がんのタイプが浸潤性でなくて、ポロッと取れるタイプ(腫瘤形成型)だったことです。このタイプは治療成績が悪いといわれる肝内胆管がんの中では比較的タチのいいタイプだそうです。でもいちばんホッとしたのは、リンパ節に転移していなかったことです」

退院後の経過は順調だった。手術で肝臓を半分切除したが、なくなった部分はほどなく再生された。始めのうちは月に1度、検査に通ったが、再発の兆候は見られず、そのうち検査は3カ月に1度になり、半年に1度になった。

復帰後は『鑑定団』の出演が不定期からレギュラーになったこともあり、仕事は以前に増して忙しくなり、病気のことを気にする間もないまま3年、4年と過ぎていった。

九州に多い特殊な白血病

そんなある日、安河内さんは首のリンパ節の腫れに気付いた。しかし、風邪を引いてもリンパは腫れると思い、定期検査日が迫っていたこともあり、しばらく放っておいた。翌月の検査で対応した医師は、検査結果を見て顔色を変えた。

「すぐ耳鼻咽喉科に行くように、と。そこで再発でないことはわかりましたが、血液検査をしても原因がわからなくて。最終的に血液内科に回され、ここで先生に『あなたは九州出身?』と聞かれ、『はい』と答えたら、ああやっぱり……となったんです。これはATL(成人T細胞性白血病)という種類の白血病で、九州に突出して多い特殊な白血病だと告げられました」

ATLは、母体などを通じてHTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス)というレトロウイルスに感染しキャリアになった人のうち、ごく一部が40~60年という長い歳月を経て発症する特殊な白血病だ。日本にはHTLV-1のキャリアが120万人前後いると推定されているが、毎年新たに生まれる患者数は600人前後と極めて少ない。特徴は九州に突出して多いことで患者の7割は九州出身者で占められる。

ATLの厄介な点は、症例が極めて少ないうえ、病気が発見されてまだ30年ほどしか経っていないため、有効な治療法が開発され始めたばかりの段階にあることだ。そのため豊富な症例と治療実績をもつ医療機関はごく限られた数しかない。

「ATLという病名を告知された後、これがどういう病気で、どのような治療法があるかについても説明があったんですが、何よりもショックだったのは『有効な治療法は抗がん剤だけで、その抗がん剤を使って治療しても平均生存期間は1年以内です』とはっきり言われたことでした。そのときの心境ですか? ああいうときって、すぐに反応できないものですね。ふうん、という感じ。治療法は抗がん剤だけといわれたので、副作用について聞いた記憶があります。でも帰宅した途端、『1年以内の命』と言われたことが現実味を持ち始め、涙が止まらなくなりました」


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