あの日、腎がんを克服し、『徹子の部屋』に出ると決めた 左腎臓にできたがんは13センチ。「これからも僕はがんと上手に付き合います」と語る俳優/タレント・小西博之さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年2月
更新:2019年7月

  
小西博之さん

こにし ひろゆき
1959年和歌山県生まれ。中京大学商学部卒業。高校教員免許取得。在学中、中京テレビのローカル番組を機にデビュー、その後『欽ちゃんの週刊欽曜日』にレギュラー抜擢され、欽ちゃんファミリーの一員として「コニタン」の愛称で人気者に。また、80年代には「ザ・ベストテン」の2代目司会者を務めるなど、多方面で活躍。現在「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」でZAP隊長ヒュウガ役にて出演中。

小西博之さんは俳優・タレントとして活躍するかたわら、企業に招かれポジティブ・シンキングをテーマに講演する機会が多かった。4年前、自らが腎臓がんと知ったとき、日頃話しているポジティブ・シンキングを、自分の体で実践しよう、と心に決めたという。

京都のホテルで出た突然の血尿

小西博之さんが左腎臓がんの摘出手術を受けたのは2005年2月16日のことだ。がんが見つかったきっかけは血尿だった。

「血尿が出たのは手術を受ける2カ月前の、2004年12月23日のことでした。撮影で京都にいたんですが、ホテルに帰った後、おしっこをしたら瞬時に便器が真っ赤に染まったんですよ。体が震えました。医者をしている同級生に電話したら『すぐ泌尿器科で診てもらえ』と。撮影が終わる前日のことだったので、翌日、終えてすぐ新幹線で東京に帰り、次の日の午前中、銀座の泌尿器科のクリニックに行きました。エコーを見たそこの先生がすぐ慈恵医大に紹介状を書いてくださったのだけど、その紹介状の封筒が、分厚いのなんの……。その厚さが恐ろしくてたまりませんでした。たしかその日は年末の土曜でしたが、月曜の午前中には受診できるよう予約も入れてくれました」

慈恵医大での診察の際、小西さんは自分から医師をプッシュする形で答えを引き出したという。がんではないかと予感があったのは、次のような経緯があったからだ。

激痩せで人相まで変わった末のがん発見

「その年は春から体調が悪くて、疲れが取れない状態が続いていました。仕事で地方に行って、帰りの飛行機に乗ったら疲労でバタンキュー、気づいたら客室乗務員の方に『お客様、着きましたよ』と起こされたのも1度や2度ではなかったです。体も痩せてきて、28センチあった足が、いつのまにか26・5センチになってた。10月には、食事をしてもすぐお腹がいっぱいになるようになり、みんなと食べるときは食べてる振りをしてました。11月に入ると、もう食べものを見るのも嫌になって、12月の1日、2日、3日の3日間は何も食べなかったことを覚えています。12月は初旬から撮影で京都にいましたが、20日ぐらいには、もうフラフラ。昔から知り合いの撮影所の方には『痩せすぎで人相が悪くなっているよ。ダイエットなら失敗だよ』と言われる始末。『今回は悪役だからいいけど、いい役をやるのは厳しいんじゃないか』とも。血尿が出たのはその直後でした。
それと銀座のクリニックでエコーを受けたとき、最初は検査技師の方がぼくと雑談しながら笑顔で器具を動かしていたんです。ところが左側に来てしばらくしたら一瞬手が止まって、表情が変わった。そしてその近辺を集中的に探るんですよ。『何かありますか?』と聞いても『いいえ』と言いながら顔がこわばってる。ピンときますよ。それに、その後いただいた紹介状の分厚さも、普通じゃなかったですから……。
最初、慈恵医大の外来で呼ばれて診察室に入ったら、頴川先生(教授)が紹介状の袋に入っていたエコーの写真を見て難しい顔をしているんです。このとき、がんと直感しました。始めは、先生に『私、がんなんですか?』と聞いても、はぐらかされたのですが、『今後のこともありますから言ってください』とお願いしたら、とても慎重に、左腎臓がんの可能性が高いことを伝えてくれました。でもエコーは角度によって見え方が違うから、1月に入ったら精密検査をしましょう、とも言われました」

その足で小西さんは事務所に帰り、「ほぼ腎臓がんに間違いないらしい」と明るい声で報告。それを聞いて皆、目に涙を浮かべていたが、小西さんが彼らに語ったのは、がんが治って元気になった後の話だった。

7月に「徹子の部屋」に出ている自分をイメージ

「俺、今決めた、7月に『徹子の部屋』に出るよ、と皆に言いました。検査、手術、リハビリと続く目の前の壁ばかり考えると、へたり込んじゃうじゃないですか。元気になった後の自分がする楽しいことに目標を置かないと、人間は続かない。10年以上前から、講演でそう言い続けてきたから、がんとの闘いは、それを実践する千載一遇のチャンスだと思いました」

小西さんは俳優、タレントとして活動する傍ら、ポジティブ・シンキングやメンタル・トレーニングをテーマにした講演活動を行っていた。ポジティブ・シンキングでは目先のことよりも勝者になった自分をイメージし、心をワクワクさせれば、脳も心もプラスにコントロールできると説く。小西さんがイメージしたのは、半年後にがんを克服した自分が『徹子の部屋』に出て、がんをいかに乗り越えたかを回想する自分の姿だった。

黒柳徹子さんとは、80年代に人気歌謡番組『ザ・ベストテン』の司会を一緒に務めたことがある。小西さんの頭に、なによりも『徹子の部屋』が真っ先に浮かんだ、という。

「その日の深夜、ぼくはお風呂の中で鼻水流して泣きました。悲しくて泣いているんじゃないんです。『徹子の部屋』に出て喋っている自分をイメージしながら泣いてる。黒柳さんと仮想の会話をして、つらかった日々を振り返り、治った喜びを語り、クライマックスに来たとき、感極まって泣いている自分がそこにいたんです」

まれに見る大きさだった腎臓のがん

写真:小西博之さん

「手術後、がん病棟内を歩く練習しながら、出会う患者さんたちに『朝昼晩、パジャマ着てたらあかん。パジャマは寝るときだけやで』『おばあちゃん、お部屋帰って、口紅ひいといでや』『おいちゃん、まずは髪とこうや』と声かけてました」

小西さんの中には、がんが治った後の自分がはっきりイメージされていた。もしこれが、腎臓がんでも大きさが7センチ以下で、がんが腎臓に限局したものであれば、さしたる障害もなくイメージ通りの自分になることもできただろう。しかし小西さんの場合、がんの大きさが13センチもあったのだ。

腎臓という臓器は左右に1個ずつある12センチほどの大きさの臓器。そこに13センチのがんとは、主治医の頴川医師もめったにないと驚くものだった。これだけ大きいと膵臓、肺など周辺臓器や、リンパ節、脂肪組織、骨などに転移しているケースが多くなる。

「1月14日、精密検査の結果を聞きにいったとき、頴川先生から、がんが13センチもあると知らされ、一刻も早く手術を、とのことでした。ただ、そのときは13センチのがんにショックを受けるというより、むしろ、治った後をイメージして、5センチより13センチのほうが、取材を受けたときに『すごい!』と言われるかな……なんて思った。でも、それを口にしたら頴川先生に『申し訳ないけど、腎臓に圧迫されて、脾臓が破裂寸前です。破裂したら即死ですよ。あなたが今ここでイスから転げ落ちただけでも、その衝撃で破裂するかもしれないんですよ』とピシッと言われました」

手術日が2月16日に決まり、小西さんはまず1月20日に骨転移の有無を調べるため骨シンチを受ける。幸いにも骨には転移していなかった。 入院日の2月14日までの1カ月間、仕事はすべてキャンセル。家でじっとしていては気持ちが萎えるため、公園を散歩しながら気持ちを前向きに持っていくよう心がけ、手術に備えたという。

2月14日、慈恵医大病院に入院。16日手術。午前9時に始まった手術は、7時間近い時間を有した。手術では膵臓や肺に転移していないことが確認されたが、リンパ節腫大が認められたため、腎臓の摘出だけでなくリンパ節郭清も同時に行われた。

リンパ節郭清(切除)は胃がんでは摘出手術とセットで行われるケースが多いが、腎臓がんの場合、リンパ節に転移するケースは10パーセント以下なので、通常の摘出手術で行われるのは稀だ。それが行われたのは、リンパ節の腫れ方が尋常でなく、転移によるものであろうと判断されたためだ。


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