がんと闘うのではなく、がんと共存して生きたほうがいい “ニュースの職人” 鳥越俊太郎さんが自らのがん体験を赤裸々に語る

取材・文:江口 敏
撮影:板橋雄一
発行:2009年1月
更新:2018年9月

  
鳥越俊太郎さん

とりごえ しゅんたろう
1940年福岡県生まれ。京都大学文学部史学科国史学専攻卒。1965年、毎日新聞社に入社。1988年、「サンデー毎日」編集長。1989年に同社を退職。1989年10月、「ザ・スクープ」(テレビ朝日)でキャスターを務める。2005年10月、レギュラーアンカーを務める「スーパーモーニング」(テレビ朝日)に電話出演し、直腸がんであることを告白。1999年10月に発生した「桶川女子大生ストーカー事件」で2001年、日本記者クラブ賞を受賞。著書に『桶川女子大生ストーカー事件』『報道は欠陥商品と疑え』『人間力の磨き方』などがある。

雑誌編集長からテレビの報道番組のキャスターに転身。2005年に出演番組で直腸がんを告白。2007年、左肺にがんが転移、手術する。今また、左肺に2~3ミリの小さな影がある。「がんと闘うのでなく、がんと共存して生きていこう」という気持ちになった鳥越さんにジャーナリストとしての目を通して自らのがん患者体験記を語ってもらった。

血便で便器が真っ赤便潜血反応はプラス

2005年の8月末だった。血便が出て、便器が真っ赤に染まった。「痔かな……。いや、今回はやられたかも……」、鳥越さんはイヤな予感を感じながら、持病のメニエール病でかかりつけの虎の門病院に行き、人間ドックに入った。血液検査などに異常はなかった。しかし、2日分の検便で、2日とも便潜血反応がプラスに出た。

精密検査をすることになった。精密検査には注腸バリウムコース、内視鏡コースの2コースがあった。検査医は注腸バリウムコースを勧めた。鳥越さんは「やってください」と、検査票に署名した。

消化器外科に回されると、検査結果を診た主治医が、「鳥越さん、バリウムはやめて、内視鏡でいきましょう」と言った。バリウム検査で腸内の流れに乱れがあったら、どうせ内視鏡を入れなければならない。主治医はその2度手間を省こうとしたのだ。「内視鏡、いつやりましょう」と言われて、鳥越さんは考え込んでしまった。

「9月のスケジュールがびっしりでした。当時、テレビの予定がいくつも入っていたうえに、関西大学の教授をやっていて、ゼミの学生を連れて沖縄で合宿をやる予定もありました。結局、内視鏡検査は約1カ月先の9月30日にしました」

沖縄での合宿を終え、内視鏡検査の1週間前に、鳥越さんはテレビ朝日の番組「旅の香り」のロケで、野際陽子さんと京都の高級料亭を訪れた。しかし、「料理は食べられなかったし、ビールがまずかったぁ」と、鳥越さんは顔をしかめながら振り返る。

京都から帰り、いよいよ内視鏡検査に入るという段階になって、「今回はえらいことになりそうだ」と予感した鳥越さんは、ジャーナリストの習性から、「記録に撮っておこう」と決断し、イラクの戦場に一緒に行った親しい若手ディレクターに頼んで、可能なかぎりテレビカメラを回してもらうことにした。カメラは検査入院のために家を出る場面から回された。

内視鏡の画像を見てがんを目撃

検査前に思いもかけない難関が待っていた。2リットルの下剤を、15分おきに2時間かけて飲まなければならなかった。

「下剤を飲むと、すぐトイレに行きたくなります。しかし、虎の門病院はトイレが少ないんです。内視鏡検査を受ける人が何人もいますから、トイレがふさがっている。下剤を飲んで、必死にトイレを探さなければならないというのは、苦しかったですね」

2時間かけて下剤を飲み終え、水状態になった薄黄色の便を看護師に確認してもらう。「はい、結構です。行ってください」。裸になって紙パンツに履き替えた鳥越さんは、検査台に最初は横向きに横たわった。肛門から内視鏡カメラが入ってきた。そこで仰向けになった。

目の前にはテレビモニターがあり、サーモンピンクの腸が映っている。鳥越さんは、「人間の腸って、こんなにきれいな色なんだ」と感動した。カメラは一旦、最奥の盲腸まで挿入され、引き返しながら綿密な診断が行われる。

上行結腸、横行結腸、下行結腸……、何も異常はない。カメラがS状結腸と直腸の境目まで下がってきたとき、モニター画面に小指の先ぐらいの、土筆のようなポリープが映り込んだ。ポリープなら取ればいい。そう思って、「ポリープですかぁ」と鳥越さんは気軽な気持ちで訊いた。

「いやぁ、それだけならいいんですけどね」と言いながら、医師はカメラを少し引いた。鳥越さんは驚愕した。モニターには、馬蹄形に盛り上がった真ん中がクレーター状に黒くなり、周囲からは血がにじんでいる、醜いがんが映し出されていた。「がんの顔は醜いとは聞いていましたが、その醜さには本当に驚きました」と、鳥越さんは述懐する。

ショックを隠しながら、そして一縷の望みを託しつつ、鳥越さんは「先生、これ、良性じゃないですよねぇ」と否定形で訊いた。案の定、医師は「そうですねぇ。良性ではありませんねぇ」と答えた。悪性のがんであることは明白であった。「先生、どうすればいいんですか」と尋ねる鳥越さんに対して、医師は軽い調子で、「切ればいいんですよ」と言った。「ああ、切ればいいのか」、鳥越さんはそう思って、多少なりともホッとした。

「スーパーモーニング」で電話によりがんを報告

鳥越さんは正式な告知を受けていない。自分の目でがんを目撃し、自らがんと診断したのである。内視鏡検査を受けたその日は金曜日だったが、消化器外科に行くと、翌週の月曜日に入院、木曜日に手術というスケジュールが、アッという間に決まった。その書類の下欄にサインするとき、ふっと上の病名欄を見ると、「直腸がん」と書かれていた。鳥越さんはそのとき初めて、正式な病名を知った。

入院、手術の手続きを終えて、病院の玄関を出ると、ディレクターがカメラを構えて待っていた。「どうでした?」と訊くディレクターに、鳥越さんは「ビンゴだよ、ビンゴ!」と苦笑した。そして自分が直腸がんであることをカメラの前で告白した。その後、携帯で奥さんに電話すると、留守電。上の娘さん、下の娘さんの携帯も留守電。家族に告知したのは、自宅に戻ったあと、その日の夕方だった。

家に戻る前に、レギュラー出演している「スーパーモーニング」のプロデューサーに電話し、月曜日からしばらく休むことを告げた。そこで、事情を知らない視聴者にどう説明するか、という話になった。

「体調が悪いから休む、ということだけで誤魔化すのはイヤでした。だから、月曜日の番組の冒頭で私がスタジオに直接電話をし、事情を説明することにしていいかと言うと、プロデューサーもそのほうがありがたいということでしたから、そうすることにしました」

月曜日の朝8時。「スーパーモーニング」が始まった。番組を見ながら、鳥越さんは直接、スタジオに電話を入れ、がんの手術のために番組を休むことを告げた。スタジオが一瞬、凍りついた。鳥越さんは逆に、「そんなに深刻にならないでくださいよ」と、出演者に言ったことを憶えている。

電話を終えて、カメラを持って来たディレクターとタクシーに同乗し、カメラを回しながら、虎の門病院に向かった。

手術前の浣腸で体験した言うに言われぬ苦しみ

写真:直腸がん手術前の鳥越さん。少し不安げな表情
直腸がん手術前の鳥越さん。少し不安げな表情

入院後、さまざまな検査を受けた。そして、手術を目前にして、10日間ほどの絶飲食に対応するため、鎖骨下の中心静脈にカテーテルを心臓の近くまで挿入して、高カロリー輸液で栄養補給をするIVH(中心静脈栄養法)を入れた。

事前の説明で、「上手くいかない場合は、脳に行ったり、肺を突き破ったりすることもあります」と言われ、同意のサインをさせられていたため、さすがの鳥越さんも、心中穏やかならざるものがあった。

「首のところからカテーテルを入れるので、少し不安でした。実際、作業が始まると、仰向けに寝た顔に紙をかぶせられ、横から看護師さんが手を握ってくれる。これは大変なことだなぁと、ちょっと緊張しました。しかし、担当した研修医の先生が上手い人で、15分ぐらいで無事カテーテルが入り、ホッとしました」

手術前日。まず鳥越さんが連れて行かれたのは、浣腸ルームだった。部屋の脇にトイレがあり、手術前に腸をきれいにするために、ベッドで浣腸を2回打たれた。浣腸を打ってくれた可愛い看護師が、「5分待ってください!」と命令口調で言う。「待て! と言われても、5分待てないんですよ。待てないーッ! と叫びましたよ」と鳥越さん。

その言うに言われぬ苦しみを体験した翌朝、ストレッチャーに乗せられた鳥越さんは、家族に見送られ、手術室に向かった。以前、全身麻酔でメニエール病の手術をしたときには、まったく緊張しなかった鳥越さんも、このときは緊張した。ディレクターのカメラに向かって、「生番組でもこんなに緊張しないよ」と、偽らざる心境を吐露している。

手術室に入り、看護師としばらく雑談したあと、まず硬膜外麻酔を入れることになった。脊椎の硬膜に弱い麻酔を入れ、手術後の痛みを取るためである。担当医の「これから麻酔が入りますから」という声が聞こえ、「ああ、そうですか……」と言い終わるか、終わらないうちに、鳥越さんの意識は消えていった。


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