今日がいちばん楽しい日。けれど、いちばんつらい日でもあるんです 再発の不安を抱え、「がん友」に支えられながら、合唱団を結成したタレント・山田邦子さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年1月
更新:2018年9月

  
山田邦子さん

やまだ くにこ
昭和56年5月、TBSドラマ『野々村病院物語』でデビューし、ほぼ同時にバラエティ界にて一世を風靡。以後、司会・ドラマ・講演・執筆等の分野にマルチぶりを発揮し、平成元年からNHK“好きなタレント”調査で8年連続第1位を記録。平成12年に芸能生活20周年。平成20(2008)年は舞台「アニー」で大活躍した。

2007年、「邦ちゃん」の愛称で親しまれている山田邦子さんは、乳房にがんが見つかって手術を受けた。しかし、再発に対する不安は絶えず心に残った。「家庭にも友達にも言えないことがたくさん出てくる。がんは大変な病気なんだ」と実感した。術後、テレビ番組で、がんを患ったことを告白。ファンやがん仲間の支えを受けて、術後1年、彼女の中で何かが変わった。

人気テレビ番組の収録中に感じた違和感

写真:デビュー当時の山田邦子さん

デビュー当時の山田邦子さん。「皆様右手をごらんくださいませ。いちばん高いのが中指です」などのバスガイドネタが大流行した

「最初にオッパイにがんがあるのではないかと思ったのは、テレビ番組『最終警告! たけしの本当は怖い家庭の医学(テレビ朝日系)』の収録中でした。ゲストとして出演していたんだけど、家庭でもできる乳がんの触診法を学ぶコーナーがあって、医師の土井卓子さんから、オッパイにがんがある場合、肉まんの中に梅干がある感じだと教えられ、実際に肉まんと梅干を使ってどんな感触があるかをやってみたあと、出演者が自分の乳房を触診してみることになったんです。

すると右のオッパイの上のほうに、しこりがあったんです。肉まんの中に梅干の種があるような感じでしたから、乳がんじゃないかと直感しました。

じつはそれまでも、しこりができたり、不正出血があるたびに、マンモグラフィや超音波検査を受けていたんですよ。おばあちゃんが乳がんを経験しているんで、がん家系だということを意識していましたから。でも、それまでは何度検査を受けても結果はシロだったんです。でもそのときは、まったく違う感触でした。しこりに、何て言うか、イヤーな感じの存在感みたいなものがあって、動かない感じがするんですよ。土井さんとは以前からよく話す機会があって、大好きな医師だったんで、私、一瞬『先生、これ乳がんじゃないですか』って言いたい衝動に駆られたんです。でも言わなかったのは、ほかの出演者が『ずっと前からしこりがあるの』って、ふざけだして、その話で盛り上がったからなんです。一緒になって『私もしこりが……』って言い出したら番組が混乱しちゃいますから。 今になって思えば、言わなくてよかったです。みんな顔面蒼白になって収録する羽目になったでしょうから(笑)」

その晩は胸のしこりが気になり、眠っても2時間おきに目が覚めた。これまでも邦ちゃんは、翌朝早くからテレビの収録があるのに、前の晩に40度の熱があったり、頭痛や腹痛がおさまらないことが何度もあった。それでも、夜にコマ切れの睡眠でも、寝れば目が覚めるたびに熱は下がっていったし、頭痛や腹痛も和らいでいった。

しかし、この日に限っては、目が覚めるたびに触診をしても、胸のしこりは消えなかった。

左右に計3つあった乳がん

朝になるのを待って、土井さんに連絡を取った。胸のしこりのことを話すと、すぐに病院に来るように言われたので、その日のうちに当時、土井さんのいた横浜市戸塚区にある横浜医療センター乳腺外科で土井さんの診察、細胞診用の細胞採取や超音波検査を受けた。

「細胞診の結果は1週間後に出るというお話だったんですが、翌日土井さんから電話があって『ちょっと気になるところがあるので、もう1度来ていただけませんか』と言われたんです。『うわぁ、やっぱり』という感じで、体から力が抜けていく感じでした。右のオッパイにできていたしこりは、すごく深いところにあって、大きさも小指の先くらいでした。普通ならマンモを使っても発見しにくいところなんですけど、すぐに見つけてもらえたのは本当にラッキーだと思っています」

電話を受けて横浜医療センターを再度訪れた邦ちゃんは、土井さんから乳がんの可能性が高いことを知らされ、聖路加国際病院で詳しい検査を受けることを勧められた。

土井さんの勧めに従い、聖路加国際病院で詳しい検査を受けたところ、がんは1つではなく、右の乳房に2つ、左に1つ、計3つあることが判明した。

「がんが3つ同時に見つかることは稀ですから、聖路加国際病院の主治医の矢形さんから告げられたときは、一瞬ひるみました。3つあるということは、全身に無数にあるんじゃないかと思ったんです。新たに見つかったがんは、本当に小さいもので、出来たてのホヤホヤだったんです。だから、そんな新しいがんが私の体のあちこちで増殖を始めたんじゃないかと思ったんですよ。でも、矢形さんが『3つは、関連性のない独立したものですから、安心していていいです』と丁寧に説明をしてくれて、治療プランも作ってくださったので、不安も解消することができました」

示された治療プランは、まず、センチネルリンパ節生検を行って転移の有無を調べ、転移が無い場合は、乳輪の縁の部分を切開して、がんを切除し、乳房は温存するというものだった。

乳房の膨らみを維持するには切り取る範囲が3分の1以下である必要があるが、邦ちゃんのがんは3つあるとはいえ、どれも小指の先ほどの大きさだったので温存が可能だった。

2007年4月中旬、邦ちゃんは聖路加国際病院に入院し、乳がんの摘出手術を受けた。

4時間にもおよんだ手術は、無事に終了した。

退院2週間後、邦ちゃんは術後初めての検診を受けるため、聖路加国際病院に出かけた。そこで彼女は、主治医の矢形さんから思わぬ話を聞かされる。

「再手術を受ける必要があると言われたんです。『左(乳房)のほうはまったく問題がないのですが、右にある最初に見つけたがんが、思ったよりまわりの組織に浸潤していたので、たぶん取り切れているとは思うけど、念のため、もう少し切らせていただきたい』とのお話でした。ショックでしたね。正直言うと、乳がんって言われているけど、もっとほかの重い病気なんじゃないかと思ったりもしました。でも、丁寧に説明してくださったので、その疑念も解けました。また同じプロセスを繰り返すことになるので憂鬱でしたけど、再手術を受けるしかないんだと思いました」 再手術は、約2時間ほどで終了した。

放射線治療が始まる前にがんを自ら公表

乳房温存療法の場合は、がんの再発を抑えるため、術後に放射線治療を行う。邦ちゃんの場合も、手術のキズがきれいになってきた6月下旬から放射線照射が行われることになった。

放射線治療が始まる前に、自分が乳がんの手術を受けたことを公表することにした。

2007年3月にがんが見つかってから約3カ月間、邦ちゃんは自分のがんを誰にも知らせず、ご主人以外、そのことを知る人間はいなかった。

「6月中旬に診察を受けたとき、矢形さんから『摘出は、すべて成功しました』と言われて、ひと区切りついた気持ちになったんです。しかも、ちょうどその翌日に『最終警告! たけしの本当は怖い家庭の医学』の収録があったんで、番組の中で、自分の口から公表するのがいいと思いました。『本当に怖い家庭の医学』はがんが見つかるきっかけになった番組だし、運命的なものを感じたんです」

さっそくプロデューサーに面会した邦ちゃんは、乳がんが見つかり手術を受けていたこと、がんが見つかったきっかけが3月に同番組に出たことがきっかけだったことを伝えたうえで、『ぜひ、番組で報告させてください。迷惑だったら、やめますが……』と申し入れた。

『えっ、あのときそうだったんですか……』

プロデューサーは驚き、絶句した。しかし、『ぜひ、オープニングでしゃべってください』と即座に了承した。収録は7月上旬の放映予定だったので、邦ちゃんのがんはそのときまで封印されるはずだった。が、あにはからんや、翌日の朝には世の中に知れ渡ることになる。たまたま番組取材に来ていたスポーツ紙の記者が、邦ちゃんとプロデューサーのやり取りを聞いていたのだ。思いもよらぬビッグなネタに遭遇したその記者は、さっそく社に帰って上司に報告。翌日の紙面でセンセーショナルに報じられることになった。

「取材が殺到して往生したけど、形はどうあれ、カミングアウトできたので、気分的には楽になりました。これで病院も堂々と行けるようになったし。スケジュールも自分でこそこそ、こっち寄せ、あっち寄せしながらやりくりしていたんです。事務所には、がんのことを知らせていませんでしたから」

退院後、精神的に落ち込む

がんに伴うつらさや痛みは、肉体的なものだけではない。精神的なつらさ、痛みを伴うことも多い。

若い頃から芸能界の荒波で鍛えられたタフな邦ちゃんも、乳がんが見つかって以降、持ち前の精神力で闘病と仕事を両立させながら、大変な時期を乗り切ったかに見えた。しかし精神的にいちばんキツくなったのは、退院後であった。

「精神的に落ち込んだのは、退院したあとでした。手術も放射線治療も大成功しました。けれど、がんは再発するんです。退院後は、がんを自分で背負っていかなくてはなりません。去年からずっとそのことに苦しんでいます。今日がいちばん楽しい日であると思う一方で、今日がいちばんつらい日でもあるんです」

退院後、仕事は1度も休んでいない。体のほうはどんどん元気になった。しかし、再発に対する不安は日増しに大きくなっていく。その結果、精神面でのバランスを崩し、ひどく落ち込んだり、怒りっぽくなったりすることが多くなったという。

邦ちゃんは、ある出来事をきっかけに精神バランスが悪くなっていることを痛感し、精神をケアしてもらうため、カウンセリングを受ける決意をする。

「放射線治療が始まって15回目が過ぎたくらいのとき、照射を受ける際に、診療放射線技師さんがやった、ちょっとしたミスに腹を立てて『あなたが間違っていますか? 私が間違っていますか?』みたいな言い方で大きな声を出してしまったんです。あとで考えると、とてもくだらないことで爆発してしまったんで、これはマズイと思ってカウンセリングを受けることにしたんです」

放射線治療中に「精神科でカウンセリングを受けたい」と申し出た邦ちゃんに、病院側は即、精神科の女医さんを紹介した。聖路加国際病院には、カウンセラーがいないためだ。

「行きづらかったですねー、いきなり精神科ですから。がんというのは、たいへんな病気なんだと思いましたね。肉体的にはがんを切って傷口が治っても、精神のほうに、それより大きいダメージが出るんですから」

精神科という診療科は誰にとっても敷居は高い。しかし意を決して行った邦ちゃんを迎えてくれたのは、「自分も乳がん経験がある」と話す女医さんだった。

「聖路加国際病院の精神科の医師がよかったんです。同じように乳がんを経験しているので、術後の話でも盛り上がったし、精神面もスッキリしました。やっぱり、こういう手は使うべきだと思いましたね。がんになると、家族にも言えない、友達にも言えないことが、たくさん出てくるから」


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