不良患者だから、がんに負けないんだよ! 脳卒中を克服し、さらに膀胱がんにも負けなかったジャズの巨匠・藤家虹ニさん

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2008年11月
更新:2019年12月

  
藤家虹二さん

ふじか こうじ
1933年、広島県福山市出身。東京芸大卒業。ジャズ、クラシックの両分野で活動し、映画「未来少年コナン」やテレビドラマの音楽担当でも活躍。50周年コンサートは12月6日、東京・有楽町朝日ホール

「病気というのは負けようと思えば負けるが、どうにもなるもんでもない。あとは野となれ山となれ、だよ」と語るジャズ、クラシック界の名手、藤家虹二さん。 自分をエロじじいと言ってのけるクラリネットの達人は、排尿機能と勃起中枢を同時に失うことになった膀胱がんとどう向かい合い、どう乗り越えていったのだろう。

ジャズに限定されない規格外の名手

写真:20世紀を代表するアメリカの作曲家の1人、A.コープランドと演奏する藤家さん
20世紀を代表するアメリカの作曲家の1人、
A.コープランドと演奏する藤家さん

藤家虹二さんは、日本のベニー・グッドマンのような存在だ。単にジャズ界の大御所というだけでなく、グッドマン同様、クラシックの方面でも著名なオーケストラにソリスト(独奏者)として招かれ、モーツアルト、ウェーバーなどの協奏曲を独奏して、クラシックファンをうならせてきた。

20世紀を代表するアメリカの作曲家アーロン・コープランドは、グッドマンのためにクラリネット協奏曲を作曲しているが、この曲の日本初演の際に、ソリストをつとめたのも藤家さんだった。

このように藤家虹二さんは、ジャンル分けが好きな日本にあって、並外れた技巧と、ジャズとクラッシックの垣根を越えた異色の活動をしてきた。その意味で、まさに規格外のクラリネット奏者と言っていいが、がん患者としても、かなり規格外の存在だった。

膀胱がん――最初の手術は楽だった

写真:ベニー・グッドマンのCD
自宅で大切に飾られていた
ベニー・グッドマンのCD

藤家さんが膀胱がんを告知されたのは2000年のことだ。

膀胱がんは8割が膀胱内の出血による血尿から見つかるが、藤家さんの場合も最初に出た症状は血尿だった。

「おしっこがコーヒー色に変色した状態が続いたんで、何だろうなと思ったけど、仕事にかまけて、しばらく放っておいたの。でも3、4カ月たっても元に戻らないから、これは何かあると思って、近くにある公立病院の泌尿器科に行ったんだ」

その公立病院では、はじめは腎臓のほうを疑っていたようで、なかなか結論が出なかった。痺れを切らした藤家さんは近所で仲良しの東大病院の医師に連絡を取って国立がん研究センターを紹介してもらい、検査の結果、膀胱がんと診断された。

膀胱がんには、大きく分けて4つのタイプがあるが、見つかったがんは、がんの病巣が膀胱の粘膜にとどまっている表在性膀胱がんだった。このタイプは、病巣が多発していない限り、尿道から内視鏡を差し込んで行うTURBT(経尿道的膀胱腫瘍切除術)で対応できるため開腹手術の必要はない。

「がんと診断されたときはイヤーな感じがしたけど、このときは内視鏡手術で済んだので、入院もわずかで、大病をしたという感じではなかったね。だから、がんになったと言っても、2000年の何月に手術を受けたかも、思い出せないんだ。その3年前に、俺は脳梗塞を患ってるんだけど、そのときは左手が思うように動かなくなって、クラリネット吹くのをやめようと思ったぐらいだった。それに比べれば、このときの膀胱がんの手術ははるかに楽で、後遺症はゼロ。痛みもほとんど無かった。俺が、がんの怖さを知るのは、そのあとなんだ」

表在性膀胱がんは、再発のリスクがたいへん高いことで知られ、50~80パーセントが膀胱内に再発し、10~20パーセントが浸潤がんに移行する。この高い再発率を低くするため、術後は牛の結核菌から作ったBCGを尿道に注入するBCG注入療法が行われることが多い。藤家さんも、猛烈な尿意に襲われるこの治療法を受けたが、再発防止には役立たなかった。

2000年暮れ。2度目は浸潤がん

膀胱がんの再発は、まったく予期せぬ形で発見された。

「内視鏡手術を受けてしばらくたった2000年の暮れに、突然尿道が詰まって、おしっこが出なくなった。このときは、尿意があるのに小便が出ないんで、慌てて深夜1人でタクシーに飛び乗って、がんセンターに行ったの。そしたら当直の若い医者が対応してくれて、緊急処置を受けたらすぐ出るようになったんだけど、また翌日の昼に詰まっちゃったんだ。その治療のためにもう1度がんセンターに行ったら、そのまま入院になっちゃった。
3~4日で退院できたんだけど、入院中にいろいろ検査したもんで、そこから、膀胱にがんが再発していることがわかったんだ」

2度目に見つかったがんは、前回の「表在性」ではなく「浸潤性」だった。

浸潤性の膀胱がんは粘膜を貫いて膀胱の筋層まで達したがんで、周辺の臓器に浸潤しやすく、転移も起きやすい。そのため周辺臓器への浸潤や転移が認められなければ、膀胱全摘術の適応になる。この手術では膀胱だけでなく、周辺のリンパ節、前立腺、精嚢まで切り取ってしまうため、手術後は、自然な排尿ができなくなり、人工的に排尿する仕組みを新たに作ることになる。

それだけでなく、精巣も切除されるため性機能も失うことになる。

「全摘と言われたときは、困ったなあと思った。医者から放っておくと、半年、1年ですよって言われたけど、やると決めるまで、少し迷ったね。
真っ先に頭に浮かんだのはがんのことより、間近に迫っていた『藤家虹二 PLAYS ベニー・グッドマン』のことだった。これは朝日新聞社の主催でやることになっていたコンサートで、ベニー・グッドマンが得意にしていた名曲を俺が吹くんだけど、楽しみにしていたコンサートで、それに向けて練習も気合を入れてやっていたから、スケジュール通りやりたかったんだ。それと、膀胱を取ってしまうと紙おむつが必要になるという話だったんで、そこまでして、生きることもないような気がしたんだね。もちろん、勃起中枢を失うことにも大きな抵抗感があったさ。それがなくなったら、エロじじいとしては、生きがいがなくなっちゃうからねえ。ワハハ」

看護師を指名するエロじじい

写真:当時を振り返る藤家さん
写真:日記
「闘病記のようになってしまった」という
日記を読みながら、当時を振り返る藤家さん

それでも、できるだけ長く現役でクラリネットを吹き続けたいという思いが強かった藤家さんは、最終的に全摘手術を受けることを選択。

朝日新聞社をたずねて、がんで入院することになったことを説明して『藤家虹二 PLAYS ベニー・グッドマン』の公演日を2カ月先に延ばしてもらった。

「腹を決めたら、諦めがいいほうなんで、あとは、野となれ山となれ、という心境だったね。8時間くらいかかる大手術だと聞いていたけど、手術のときもリラックスしてて、手術台に寄り添う看護師を指名したんだ。内視鏡手術のときは、美人だったけど、ちょっと暗い感じの子だったんだ。だから、このときは、明るくて、お昼に弁当を2~3個食べちゃうような楽しい子を指名して手術室に入った。あとで聞いたら、看護師を指名した不埒な患者は、あとにも先にも俺だけだって言われたけどね。ワハハ」

手術は、膀胱、前立腺、精嚢、膀胱周辺のリンパ節を大きく切除したあと、尿路を変更する一連の作業に入る。

藤家さんが受けた尿路変向術は、導尿型新膀胱造設術と呼ばれるもので、腸の一部を使って腹部の中に代用膀胱を作り、下腹部にストーマ(導尿口)を設置して、そこから尿を排出する。

手術は予定通り終了した。

手術後は、腸で作った代用膀胱がしっかり縫合するまで、しばらくの間、長いカテーテルを直接尿管につないで、尿を直接パウチ(排尿袋)に流してしまうが、縫合が確認されたあとは尿管カテーテルを外して、代用膀胱にたまった尿を、自分でカテーテルを差し込んで排出することになる。

カテーテルを使って自分で排尿することは、簡単なことではない。

退院が近づいてくると、その訓練に入るが、すぐには上手くできないので、はじめのうちは漏らしてしまうことが多くなる。これは、患者にとって、かなりつらいことだ。

藤家さんの当時の日記を見せてもらったが、『最後の、尿管カテーテルが抜ける。その代償として、紙おむつ人生始まる。予想もしなかったことだけに、大ショック』と書いてあった。

それでも、けっして落ち込んだりしないのが藤家さんの凄いところだ。ちゃんと自分で元気の出る源を見つけて、病気に負けないエネルギーをそこから得ていた。

まず藤家さんが術後に行ったのは、クラリネットの練習を再開することだった。

問題は練習する場所だが、国立がん研究センターの19階にある食堂の掃除時間中、隅のほうを使わせてもらい、クラリネットの練習に励んだ。

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