「病人であり健常人」そんな人生を大切にしたい 悪性リンパ腫の闘病から丸4年。作詞家・杉 紀彦さんが見出した大河の一筋

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2008年9月
更新:2019年12月

  
杉紀彦さん

すぎ のりひこ
1939年9月17日、東京都生まれ。放送作家・作詞家・演出家・詩人・ラジオパーソナリティー。少年時代を能登で過ごす。千葉大学文理学部卒。NHKをはじめ民放各局、商業劇場などで多くの番組、ステージの構成・演出に関わり、現在に至る。作詞は400曲以上、代表作に『あまい囁き』(パローレ パローレ=中村晃子・細川俊之)、石原裕次郎『おれの小樽』『昭和たずねびと』、森昌子、松原のぶえ『なみだの棧橋』、菅原洋一・シルビア『アマン』、ダ・カーポ『よこはま詩集』、最近作の島倉千代子『風のみち』、二葉百合子『人は堂々』など多数

菅原洋一・シルビアの『アマン』や、森昌子、松原のぶえの『なみだの棧橋』などの作詞で知られる作詞家の杉紀彦さん。その杉さんが、2003年の大晦日に突然、悪性リンパ腫の洗礼を受けた。小腸下部切除、その後の抗がん剤治療で、ほぼ1年に及ぶ闘病生活を体験した杉さんは、今、病の中からひとつの人生観を見出し、新たな創作活動を開始した。

元日の朝、ひどい悪寒。高熱と猛烈な下痢が襲ってきた

写真:「ラジオ村」のスタジオで

「ラジオ村」のスタジオで、アシスタントとともにゲスト歌手とのトークがはずむ。 パーソナリティー杉紀彦さんの語りのすべてが、中高年への〝熱中電波〟である

AM放送のラジオ日本で、土日を除く毎朝5時30分から放送されている「杉紀彦のラジオ村」(注1)という歌謡トーク番組がある。パーソナリティーは構成作家・作詞家の杉紀彦さん。

放送開始以来、今年で17年目。まもなく放送4200回を迎えるという、知る人ぞ知る長寿番組である。自ら「村の村長さん」になってゲスト歌手を迎え、読み手語り手として日々たくさんの手紙を紹介し、その日のポエムで終了する番組の支持者は、大半が杉さんと同年代の60代以上の中高年層だ。

2003年の大晦日の夜、杉さんは自室で翌・元日放送分の構成を練っていた。番組初の試みとなる生放送の「電話リクエスト」だけに、リスナーの反応が気になる。あれこれ考えているうちに、午前2時頃、突然身体が震えだした。

寒い。室内温度は十分なのにガタガタ震える。測ると39度近い高熱。やがて下腹部が脹るような痛みが来て、まるで水のような猛烈な下痢が2回、3回と続いた。そして、出るものが出なくなってようやくひと息。

「とりあえず元日の生放送を乗りこえれば……」と、午前4時半の暗い道を麻布台のラジオ日本へと車を駆った。そして5時30分から本番を迎えた。

「リスナーからの電話は5台で受けつけるのですが、ずっと鳴りっぱなしの大盛況。夢中で放送しているうちに番組は無事終了しました。そして8時頃には帰宅。気が付くと何事もなかったように家族とお雑煮を。悪寒も腹痛も下痢もなくなっていて、あれは一体何だったんだろうと。何かの予兆にしては治りが早い……」

冷静になってみると、前年の秋ごろから微熱が続いたり、下腹の妙に重苦しい膨らみに違和感があったことは確かで、まぁそのうちに時間を作ってと、放置していた状態であった。そして、新年からの仕事が一段落した3月8日、ようやく重い腰を上げ、知人から紹介された東京女子医大でPET検査(陽電子放出断層撮影)を受けることになった。

注1)「杉紀彦のラジオ村」は関東近県をカバーするアール・エフ・ラジオ日本(1422khz)のAM放送

その瞬間、青島幸男さんのことが頭をよぎった

PET診断の結果、右鼠径部の内部が真っ黒になるくらい、小腸の下部脇に腫瘍の塊ができていた。担当の医師は30代半ばだったが、杉さんの目を直視し、「患部を明日にも切らなきゃいけません」と、はっきりいい切った。杉さんは、この言語明快な医師に安心感を持ち、信頼し、今後の治療のすべてを任せることになるのだが、現実にはお腹を開いて病変を取り除く外科的手術が待っていた。

「手術は3月12日でした。4時間がかりで小腸下部を50センチほど切除。腫瘍の塊は、家族の話では長さが8~10センチほどで厚みは3~4センチもあり、重さは1.5キロほどもあったそうです。これは標本になり、東京女子医大の研究室に保管されているんです。僕はまだ見ていないので、ぜひ対面してみたいものですね」(笑い)

手術から丸4年が経過した今だから笑える話だが、1週間後に出された病理診断の結果は、杉さんにとって非常に厳しいものだった。主治医は「悪性のリンパ腫に間違いないでしょう」と明確に告げた。

正確には非ホジキンリンパ腫で、日本人に最も多いタイプのびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫というものだ。病期のステージは4A。さらに「リンパ球という免疫を担う血球が腫瘍化したもので、造血器腫瘍のこと」だとも明瞭に説明した。

その瞬間、杉さんは前東京都知事の青島幸男さんのことが頭をよぎった。直接の知人ではなかったが、青島さんが悪性リンパ腫でつらい思いをしたというのは知っていた。不思議なことに、それ以上のことは考えつかず、どん底に突き落とされるような落胆はしなかったという。杉さんが気になったのは、レギュラーで抱えている仕事のことだった。

「1つは『ラジオ村』で、こちらの進行はディレクターに一任し、女性歌手たちに代役を頼むことにしました。もう1つ、NHKの台本(注2)は1週間先のものがアップしていたため、ひとまず今週は番組に穴は空かないな、と……」

杉さんは、医師の指示にしたがって治療に専念する覚悟を決めた。外科病棟には小腸が正常の機能を取り戻すまで3週間入院。そこへ血液内科の医師たちも加わり、2週間後に血液内科に入院する指示が出された。

医師は「CTと骨髄検査などを行い、全身を精査してリンパ腫がどこまで広がっているかを調べる」ことと、合わせて抗がん剤の「リツキサン(一般名リツキシマブ)+CHOP療法」を4週間に1回、合計8回行う治療計画の説明をした。

注2)NHKの台本=毎週水曜日午後8時~9時30分にNHKラジオ第一で放送される『はつらつスタジオ505』という公開生番組の構成台本のこと。 20年目の節目に『きらめき歌謡ライブ』と名称を変えて3年がたち、今年で24年目を迎える長寿番組である

抗がん剤の副作用で白血球が減少。味覚も著しく失われた

写真:小腸下部切除から2週間ほど経ったころ

小腸下部切除から2週間ほど経ったころ。原稿書きの仕事はベッドの上で滞りなくこなした

4月12日。医師から初発症状は小腸腫瘍であり、3月22日の摘出手術後に行ったCT検査では大きな変化は見られないと告げられた。今後は疾患の再評価を進め、診断が正しいかどうかを確かめるとも説明された。

「4月16日。初回治療としてCHOP療法を行いました。医師からの説明同意書には、C=エンドキサン(一般名シクロフォスファミド)750ミリグラム、H=アドリアシン(一般名ドキソルビシン)45ミリグラム、O=オンコビン(一般名ビンクリスチン)1.4ミリグラム、P=プレドニン(一般名プレドニゾロン)100ミリグラムの併用となっていました」

CHOP療法を実施した日には、杉さんに大きな副作用は出なかった。5月1日の医師の説明では、腹部腫瘍の縮小、腹水の改善を認めているともいわれた。4週間後、本格的なリツキサン+CHOP療法を開始。月に1度の点滴を8カ月にわたって続けていくのだが、その期間中、杉さんは漠然と恐れていた副作用に直面し、往生することになる。

「これが大変でした。点滴は3~4時間がかり。10日目には計ったように高熱が出る。そのたびに5日間ほど入院しました。日ごとにやせ細り、体毛がどんどんなくなって、食欲も湧かない。56~57キロぐらいあった体重が47~42キロまで落ちて、この変化には少なからず驚きましたね」

高熱はこれら抗がん剤投与の影響で骨髄抑制が現われ、白血球が減少したためだった。それで5日間入院。が、ひどい高熱は初日の1日だけで、2日目には平熱に戻る。それで仕事ができるということで、毎回5日間ほどは病室をホテル代わりにしてNHKの台本を書き、「ラジオ村」用の詩やその他の歌詞を作り続けた。

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