佐々木一十郎名取市長が語る
「子どもたちに、きちんと引き継いでいける自立したまちを」
末期の上咽頭がんに打ち勝って地方行政に手腕を振るう
佐々木 一十郎 ささき いそお
昭和25年1月10日 仙台市生まれ(58歳)
昭和47年12月 東北工業大学建築科中退
昭和51年10月1日(有)佐々木酒造店入社
昭和59年7月日名取市選挙管理委員会委員(~昭和63年3月31日)
平成4年2月1日 名取市議会議員(~2期)
平成10年3日 (有)佐々木酒造店代表取締役就任
平成10年11月12日 がん宣告
平成11年11月30日 放射線治療開始
平成11年 3月26日 退院
平成12年12月1日 閖上(ゆりあげ)わかば幼稚園園長
平成16年7月25日 名取市長
現職
末期がんを克服し市長選挙で当選を果たす
趣味の熱気球で大空を楽しむ
熱気球の準備をする
名取市は仙台市の南隣。JR仙台駅から東北本線の上り列車に乗るとわずか13分で名取駅に到着する。仙台市とは名取川を挟んで隣接しており、仙台空港の所在都市でもある。
人口は7万人弱で、東北地方の中では温暖な都市である。取材に伺った日も快晴で、1月だというのに、コートなしで外が歩けるほどの陽気だった。
市長を務める佐々木一十郎さんは、市議会議員だった1998年(平成10年)に、上咽頭がんと診断され、4カ月余り入院し闘病生活を送った。5年生存率が約50パーセントという厳しい状況だったが、佐々木さんはこれを乗り切り、市長を務める。最初の市長挑戦は00年だが、この時は現職に敗れ落選。次回04年の再挑戦で、見事当選を果たしている。
治療からすでに9年余りが経過し、治療後の検診も、「もうそろそろいいでしょう」と言われたという。
柔らかな日差しの差し込む市長室でお会いした佐々木さんは、かつて進行期のがん患者だったということが信じられないほど元気だった。
それでも、佐々木さんの体にはがん治療の後遺症が残っている。放射線治療の影響でつぶれてしまった唾液腺だ。
「唾液が不足するので、議会で発言するときには、いつも演台に用意された水差しの水を飲むんですよ。
以前と比べれば幾分改善されましたが唾液腺の回復は難しいですね」
ご本人にとっては不便なことも多いのだろう。しかし、その治療を受けたからこそ、5年生存率50パーセントの関門をくぐり抜けることができたのだろう。
がんとの戦いに打ち勝つことで人生の時間を手にした佐々木さんは、市長となってまちづくりに邁進してきた。
また、ヨットや熱気球など趣味の世界でも充実した人生の時を過ごしている。
上咽頭がんの4期の診断に愕然とする
佐々木さんにがんの診断が下ったのは98年の11月だったが、その半年以上前から兆候は現れていた。4月に風邪をひいたときには、ひどい鼻づまりに悩まされている。近所にいる親戚の開業医から風邪と鼻づまりの薬をもらって服用していたが、なかなかよくならなかった。
長引く鼻づまりのため、耳鼻咽喉科の診療所を受診したのが10月2日。内視鏡での診察を受けたが、副鼻腔炎と鼻茸(鼻の中の粘膜がきのこ状に水ぶくれになった病状)と診断され、抗生物質、抗炎症薬、鼻づまりを解消する点鼻薬を処方されただけだった。薬を飲んでいても症状は改善しない。10月25日ころになると、首の右側のリンパ節が腫れ、それがしだいに大きくなっていった。
自分ががんになるとは思ってもいなかったという佐々木さんだが、これは何かおかしいと感じた。11月2日に、耳鼻咽喉科の診療所を訪ね、再度診察してもらった。内視鏡をのぞいていた医師の動きが、突然変わる。そして、精密検査の必要があると伝えられ、宮城県立がんセンターへの紹介状を渡されたという。
「県立がんセンターを受診したのは11月5日でしたね。担当の先生は、調べるまでもなくがんだろうと言っていましたが、確認のため細胞検査をすることになりました。鼻の奥からガリッとサンプルを採取されたのですが、その結果が出たのが1週間後の12日です」
診断結果は、上咽頭がんの4期で、首のリンパ節に転移しているというものだった。がんだということも、リンパ節に転移しているということも理解できた。佐々木さんがわからなかったのががんのステージ。4期との診断だが、何期まであるうちの4期なのかということ。
「それで訊いてみたんですよ。がんは何期まであるのかを。そうしたら、『あ、4期までです』と言われて、この先はない、つまり末期なんだということをはじめて知りました」
複数箇所へのリンパ節の転移が認められたため、ステージは4期となったわけだ。
5年生存率は約50%だが恐怖はなかった
医師の説明では、5年生存率は約50パーセントということだった。サイトで調べてみると48パーセントと出ていた。
「5年後に生き残っている人が半分以下になるという数字です。でもね、現実には、治療開始からの1年間で、半分くらいの人が再発しているんですよ。次の1年で、残りの半分が再発し、その次の年もまた残り半分が再発する。そうしているうちに、1年目で再発した人の何人かが亡くなる。
こうして、治療から5年後の時点で、なんとか半分が生き残っているということで、再発せずに暮らせる人が半分いるということではありません。5年生存率が約50パーセントといっても、5年のうちに再発しないという人は、半分よりはるかに少ないわけですよ」
厳しい現実を突きつけられたわけだが、死ぬことに対する恐怖は不思議なほどなかった。がんの宣告で立ち直れないほど落ち込む人がいることは知っていた。だが、佐々木さんは冷静だった。
「人はいずれ死ぬのだから、という考えが根底にありましたね。明日、玄関を出たところで、車にはねられて死ぬかもしれません。治療してから5年間再発しなくても、ほかの病気で死ぬかもしれません。人はいつかは死ぬのだから、それまでの間に何をするかのほうが大切だと思っていました」
治療には4カ月ほどの入院が必要といわれていた。佐々木さんは、がんで入院することを仕事の関係者たちに連絡した。当時、佐々木さんは市議会議員だったが、政治家は自分の健康問題を公にすべきではない、との忠告を受けたこともあったという。
しかし「入院したことはいずれわかりますから、誤解のないように自分で説明しておいたほうがいいだろうと思ったんですよ。それに、市議会議員が政治家だとは思っていません。総理大臣ががんになったのならともかく、市議会議員のがんで情報操作は必要ありませんよ」
ところが、がんであると公言した反応は、意外な方向に向かっていった。佐々木さんは5年生存率約5割のデータを、歪曲せずにそのまま現実として受け止めていた。しかし、がんと聞かされた人たちの多くは、『がんイコール死』と受け止めたようだった。現在から10年近く前のことだが、がんに対しては、昔も今も不治の病というイメージを抱く人が多くいる。
放射線を集中させ鼻の奥のがんを攻撃
県立がんセンターで診断を受けたが、治療は東北大学付属病院で進めることになった。がんセンターは検査の順番待ちで時間がかかるし、地元の名取市にあるため、知人が多くゆっくり静養しにくいのではないかとアドバイスを受けたからだった。
ここで頼りになったのは、ヨット関係で親交のある宮城県セーリング連盟の理事長。当時は東北大学医学部の客員教授を務める医師で、最良の治療が受けられるように段取りをつけてくれた。
「転院する時には抵抗がありました。担当医にここでの治療をお断りします、と言わなければならないんですからね。日本人は、どうしてもこういうことが苦手だと思います。しかし、病院のために患者がいるわけではないし、自分の体、自分の命の問題なのですから、遠慮せずに最良の選択をすべきだと思います」
東北大学付属病院に入院したのは11月18日。当初は耳鼻咽喉科に入院したが、各担当医のカンファレンスの結果たてた治療計画では、放射線と化学療法を同時に行うことにし、実際の治療は放射線科が担当することになった。使う抗がん剤はシスプラチン(商品名ブリプラチン)と5-FU(一般名フルオロフラシル)の併用である。
患部が頭頸部のほぼ中央にあるため、手術ができないということ、リンパ節への転移があるため、放射線と抗がん剤でたたくことになったのだ。
「10年前の時点では、最も進んだ治療を受けられたと思っています。以前は、放射線と抗がん剤の治療を別々に行うのが当たり前でしたが、体力のある患者を対象に、同時にやり始めたばかりの時期でした」
放射線治療も最新の方法が採用されていた。体の周囲から放射線を照射し、周囲の健康な組織にかかる放射線を少なくしながら、3次元的にがんに放射線を集中させるピンポイント照射である。自分の頭にジャストフィットするマスクを作り、それで頭部を治療用ベッドに固定してから、複数方向から放射線を照射するのである。
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