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女優・宮崎ますみさんが語る乳がん克服へのいばら道
がんは、神様が与えてくれたショック療法 だった

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
(2007年5月)


宮崎ますみさん

宮崎 ますみ みやざき ますみ
1968年生まれ。愛知県名古屋市出身。
1984年クラリオンガールに選ばれ、翌年、映画「Be-Bop Highschool」に出演。
舞台「坊ちゃん」「幕末太陽伝」「ラブレターズ」「大菩薩峠」「アン・インスペクター・コールズ」、TV「早春物語」「チョッちゃん」「武田信玄」など多数に出演。
著書に『至福へのとびら』がある。
現在は、女優、エッセイストなど幅広い分野で活躍中。


子育てが一段落し、復帰への階段を上り始める

写真:マンモグラフィ検診の重要性を促す宮崎さんの広告
マンモグラフィ検診の重要性を促す宮崎さんの広告は、30~40代女性を中心に、多くの人の目に留まった

宮崎ますみさんはクラリオンガールに選ばれて芸能界にデビューしたあと、約10年間テレビ、映画、舞台などで活躍をしたが、1994年にロサンジェルスに活動拠点を置く日本人カメラマンと結婚したのを期に芸能界を退いて米国に移住。それからの10年間は2児の母として子育てに奮闘する一方で、旺盛な知的好奇心をフルに活用してアメリカでの主婦生活や育児、さらにインド旅行まで幅広い題材をテーマにしたエッセイを雑誌連載などの形で発表し、書く方面でも一定の評価を受けるようになった。

しかし、お子さんたちが学校に上がり手が掛からなくなると、そのころの生活の場であった楽園ハワイで「自分は与えられた命を十分に活かして生きているだろうか?」という疑問を抱き、自己との対話のため、長年の夢でもあったインドを旅するなかで、日本へ戻って仕事を再開することを決意した。

その意志は多くの人を動かすことになり、実験的な手法で知られる鬼才・園子温監督がメガホンを取る映画『危険なサーカス』で主演することが決まった。

こうして願ってもない形で芸能界復帰を果たすことになった彼女は周囲の大きな期待を背に撮影に入り、現実と深層心理の世界を演じ分けなければならない難役を見事に演じ切って見せた。

乳がんが見つかったのは、こうして復帰への階段を上り始めた矢先の出来事だった。

念のための細胞診で乳がんが発覚

2005年10月――。

家族が待つハワイへ戻る前夜、がらんとした新居で1人パッキングをしているとき、ますみさんの携帯電話が鳴った。表示されている番号はまったく知らないものだった。

「誰だろうと思って出たら4~5日前に外来で精密検査を受けた病院の先生からだったんです。『この前やった細胞診の結果がちょっと早く出たんですが……』と前置きがあってから『悪性だったんです』と告げられました。『それって乳がんってことですか?』と聞き返したら、『はい』と言われて……。私はどこか人生を客観的に見ているところがあったので、そのときのがん告知に〈次なる人生の展開、そう来たか……〉といった気持ちが先に立ち、ショックは電話を切ってから、じわじわとこみ上げてきましたね。でも、その2年間ほど、私の周りにやたらとがんになった人が多かったんです。ある意味で私にはがんに対する心の免疫ができていたのかもしれませんね。

私は1人のときに告知を受けたわけですが、それでよかったと思っています。まずは人に話す前に、自分自身のなかで心の整理をして、きちんと受け止めたかったから……」

ますみさんが多忙な合間をぬって精密検査を受けることにしたのは、2年ほど前にすでにしこりを見つけており、その間、2回、帰国の際に検査を受けていたが、いずれもエコー検査のみで「悪性ではないでしょう」と言われていたからである。

2005年、映画の撮影が終わったころ、しこりが大きくなっていることに気付き、たまたま古くからの友人でもある皮膚科の医師のところで血液検査をした結果、白血球がかなり高くなっていた。すぐに大きな病院で、再度、血液の精密検査を受け、そのときに腫瘍マーカーの数値が高くなっていることが判明した。

その後、乳腺外科のある聖路加国際病院へ行き、そのときに初めてマンモグラフィ検査を受けることになった。

マンモグラフィとエコー検査の結果、『写っている影は、たぶん悪性ではないでしょう』という診断だったのですが、それを聞いて安心した私が、そそくさと帰ろうとしたとき、先生のほうから『念のために細胞診もやっておきましょうか?』と言っていただいて、『じゃあ、100パーセント安心したいからお願いします』と頼んだ結果がクラス(悪性度)5だったわけです」

がんになった要因を自己分析

写真:がんとの対峙の仕方を熱く語る宮崎さん
自身の体験を回想しながら、がんとの対峙の仕方を熱く語る宮崎さん

ますみさんは、精神的に立ち直るまでに多くの時間を要しなかった。とくに見事なのは、がんというものを自分の心の中で短期間のうちに消化し、生きていくエネルギーに転化してしまったことだ。

ますみさんが、がんと向き合い、消化していった過程は、実に興味深く、若くして乳がんに冒されたがん患者に多くのサジェスチョンを与えてくれる。

まず彼女が行ったのは「なぜ、がんになったのか」を自分なりに分析してみることだった。

「自分自身の体にがんをつくってしまった私は、いったい何だったんだろうと思ったんです。再デビューまでの道筋を概観してみたら、いろんなことが見えてきましたね。いろんな焦りもありましたし、こういう方向でいいのかなぁという疑問が常に自分のなかにありながら、周りの方たちがバーッと動いてくださったことで、その流れに乗ってしまった感じだったんです。そのように自分のなかに大きな矛盾を抱えていたことが大きなストレスになり、がんに繋がったのだと思いました」

ますみさんがここまで深く自己分析できるのは、以前からスピリチュアルな領域にひときわ高い関心を抱き、エッセイスト的な視点で自由に思索することが好きだったことに加え、インド哲学などへの傾倒があったからだ。

「たしかにそれまでもインド哲学に深い関心があったんですが、現実的に生死を分ける難題にぶちあたったことがなく、リアリティに欠けていたというか……。でも、乳がんになったことで、天から受けるインスピレーションが地に落ちるようになって、初めて自分の死を意識したことで、私はほんとうの自分を生きられるようになったのだと思います。それまでの私は、さまざまな矛盾やエゴ、執着にがんじがらめになっていました。だから、その結果、乳がんになったのだと思います。そう思うと、がんは神様が私にちょうどいいタイミングで与えてくれたショック療法だったんだと思えてきました。そこに行き着いたことで不安や恐れがスーッと消え、前向きになることができたんです」

横道に逸れていた生き方を、元の健康な状態に

ここまで心の中で整理がつくと、次はそれを前向きなエネルギーに変えていく段階に入る。何よりも先にやるべきことは、横道に逸れすぎていた生き方を、元の健康な生き方に戻すことだった。

何よりもいけないのは、仕事への執着だったと思ったますみさんは、余計な仕事の電話を一切受けないことに決めた。これは芸能界復帰の階段を順調に上り始めていた彼女にとって、けして小さな決断ではなかったと思うが、ますみさんには何の躊躇もなかった。

「遠慮なくすべてシャットアウトさせてもらいました。仕事関係の方たちなどから、いろいろな励ましやお気遣いをいただいたので、今になって考えればずいぶん失礼なことをしたとは思いますが、その当時は1人にしてという気持ちでしたから……」

そうしたなかで最良の心の薬になったのは、夫と2人の男の子がハワイから来て、11月から横浜でまた親子水入らずの生活が始まったことだった。とはいっても、子供たちはまだ日本で暮らしたことがない。学校も英語での授業から慣れない日本語での授業になる。子供たちの日本での生活をスムーズにスタートさせようと動き回っているうちにますみさんは手術の日を迎えることになる。


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