元ウーマン・リブの闘士、吉武輝子さんのがんの封じ込め方を学ぶ
「病みながら生きる時代」を生き抜く発想力

取材・文:吉田健城
発行:2007年2月
更新:2013年8月

  

吉武輝子さん

吉武 輝子 よしたけ てるこ
1931年兵庫県芦屋市生まれ。
1954年慶応義塾大学文学部卒業。同年4月に東映宣伝部に入社。
1961年日本初の女性宣伝プロデューサーとなる。
東映を退社後、文筆生活に入る。
1968年婦人公論読者賞受賞。現在「吉屋信子記念館」運営副委員長を務める。
女性問題を中心に評論・文筆活動を続けており、「女人 吉屋信子」などの女性伝記や、生と死、老いについての評論など、著書多数


便通がない、鉛筆のように便が細い

写真:東宝宣伝部時代の吉武輝子さん

東宝宣伝部時代の吉武輝子さん。日本初の女性宣伝プロデューサーとして活躍

吉武さんが大腸がんの手術を受けるため東京厚生年金病院に入院したのは、2005年11月15日のことだ。がんが確定したのはその1カ月ほど前のことで、同病院で受けた大腸スコープによる検査で、直腸のS状結腸寄りのところにがんができているのが発見されている。

発見のきっかけを作ってくれたのは、厚生年金病院の緩和ケア・神経科で看護師長を務める1人娘のあずささんだった。

あずささんはウーマンリブの闘志として鳴らした母の血を引いてか、たった1人で日本全国を外国製のオートバイにまたがってツーリングして回るような冒険好きの娘だったが、一念発起して明治大学を2年で中退し看護師を志したユニークな経歴の持ち主だ。

あずささんが母からメールで聞かされていた「便通が3日もない、鉛筆のような細い便が出る」という症状が大腸がんの症状だと知るのは、偶然、退職した元外科部長が病院にたずねてきた際にエレベーターの中で話す機会があったからだ。

駅で水便が噴出するというハプニング

写真:ひとり娘のあずささん(当時6歳)と一緒に剣道のけいこ

ひとり娘のあずささん(当時6歳)と一緒に剣道のけいこ

母にこんな症状が出ていると話したところ、その元外科部長は顔を曇らせ「それは典型的な大腸がんの症状だよ。すぐ検査を受けたほうがいい」とあずささんにアドバイス。それはすぐに母のもとにリレーされることになる。

結果的にこれが母のピンチを救うことになる。手術の結果を見ると、がんが3カ所のリンパ節で見つかっているので、ステージでいうと3a期である。これ以上進むと周辺臓器に転移して、抗がん剤や放射線による治療が必要になっていたので、吉武さんはギリギリのところで娘に救われたといっても過言ではない。

吉武さんが慢性的な便秘に悩むようになったのは、その年の6月のことだった。ある日、日野市で開かれる講演会に電車で向かおうとしていたところ、駅の発券機のところで前屈みになった瞬間、水便が噴出するというハプニングがあった。時間的に自宅に帰って着替えている時間はなかった。彼女は匂うのを承知で、乗換駅の新宿まで行って、デパートで下着を買ってトイレに入り、汚れた下着を始末すると同時にジーンズを洗って再度身につけ、日野に向かっている。

「講演会を開催するのって、そう簡単なものじゃないんです。何人もの人がかなり前から準備に入り、講演会当日までにかなりの時間とエネルギーを割いているから、ドタキャンはどんなことがあってもしない主義。その日も、いざ皆さんの前に立つと、いつのまにか水便のことなんか忘れて話に夢中になっていました」

両脚を付け根から切断寸前の危機

写真:街頭演説をする吉武輝子さん

『女を議会に』というスローガンのもと、街頭演説をする吉武輝子さん

この水便事件のあとに続いたのは、ひどい便秘だった。それまでお通じのほうはまったく問題なかったので、こうなるとたいていの人間は体の異変を疑って病院に行くのではないかと思うが、吉武さんはそれほど深刻に考えてはいなかった。すでに、命にかかわるような重病、難病を幾度も経験し、多少の体の異変には動じない精神構造になっていたからだ。

最初に生命の危機にさらされたのは1974年のことだった。横浜での講演会でスピーチを終え、聴衆にお辞儀した瞬間、両足のつけ根に激痛が走った。彼女は都心の大病院に担ぎ込まれた。診察に当たった医師は、血の気を失って紫色に脹れあがった両脚を見て「このままだと壊疽が進行して生命が危うくなるので、両脚を付け根から切断する必要がある」と彼女に告げた。

この危機は連絡を受けた親友で作家の有吉佐和子さんが病院にかけつけ医師に「両脚に血が通っているかどうか、ちゃんと検査してもいないのによくそんなことが言えますねえ」と食ってかかったため、すんでのところでセーフとなったが、体の異変の根本的な原因がどこにあるのか、解明されることはなかった。

「膠原病の類縁疾患であるシェーングレン症候群だったんだけど、当時は膠原病なんていう病気はまだ認知されていない時代でしたから、病名が確定するまで7、8年かかりました。シェーングレン症候群は、基本的には全身リューマチなんだけど、体が砂漠化するみたいに、涙液、唾液、体液が欠乏するんです。だからドライアイに苦しめられてよく目に激痛が走ったし、ドライマウスのため、歯がくずれたり、口内炎もしょっちゅうでしたね」

シェーングレン症候群、自然気胸、肺気腫

シェーングレン症候群は体の免疫機能に異常が起き、体液、抗体の自己生産力が低下するために起きる疾患で、特徴は、患者の9割が女性、しかも40歳以上に多く見られることだ。この病気にかかると本来、体の維持に必要な体液や粘液の分泌が減るため、体のあちらこちらで砂漠化現象が起きる。吉武さんの場合、とくにひどい砂漠化が見られたのは肺だった。

「肺の粘膜が乾いた結果、肺から胸腔に空気が漏れ出て溜まる自然気胸になったんです。それが進行して放置させておくと心臓麻痺を起こすからすぐに手術するように言われたので、大慌てで入院したんだけど、そうしたことで命拾いしたんです。
当初は手術でちょこっと空気を抜くという話だったんだけど、手術中に偶然肺から空気が漏れ出したので、これは一大事ということで、右肺の3分の2を切除する大手術になっちゃった。肺は上葉、中葉、下葉の3つに分かれているんだけど、上葉、中葉を全部と下葉の3分の1を切り取ったんだから、3分の2以上ですね。でも、あとで手術中に空気が漏れ出した話を聞かされたときは、つくづく自分は運がいいと思いました」

この自然気胸の手術のあと、吉武さんは左肺も病に冒され、生命を脅かされるようになる。病名は肺気腫。

肺気腫は一見、がんの一種と勘違いされそうな名前だが、別物で、肺胞と呼吸細気管支が拡張された末に破壊される病気だ。肺胞は酸素と二酸化炭素を交換する重要な組織だが、これが進行すると体を動かしているとき息切れや息苦しさを感じ、ひどいときは安静にしていても呼吸困難に陥ることがある。

吉武さんはこの進行性の難病を手なずけるため、医師から学んだ呼吸法で肺の酸素率を高める一方で、4種類の気管拡張剤を常時服用していた。

話は元に戻るが、これらの気管拡張剤は副作用で便秘になることが多いため、彼女は一昨年の6月中旬頃から便秘がひどくなっても、てっきり気管拡張剤の副作用だと思い込んでいた。

しかし、大病院で看護師長をしている娘のあずささんにだけは日々メールで知らせていたため、転移が始まるぎりぎりのところで大腸がんが見つかることになるのだ。

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