女性誌の名編集者・西條英子さんが説く多重がんに打ち克つ生き方
次々にがんに襲われても、絶望するのは15分だけ!

取材・文:吉田健城
発行:2007年1月
更新:2013年8月

  

西條英子さん

西條 英子 にしじょう ひでこ
1937年、東京都生まれ。
1959年文化出版局に入社。
1964年結婚、1男1女の母。1989年退社。
1990年ステッチ設立


会社を興した矢先の告知

写真:『ミセス』の仕事で

『ミセス』の仕事で。ファッションデザイナーの水野正夫、和子夫妻のガーデンパーティで。右が西條さん

西條英子さんは文化出版局で女性誌『ミセス』の副編集長、『ハイミセス』の編集長などを歴任後、同僚だった女性編集者Kさんと出版・編集を手がける会社「ステッチ」を設立し、企業広報誌やファッション関係の書籍の編集に辣腕を振るった方だ。その西條さんが初めてがんを告知されたのは1991年6月のことだった。このときは東京女子医大病院で右乳房に2センチ大の腫瘍が見つかり、7月末に癌研究会付属病院(現・癌研有明病院)に入院し摘出手術を受けているが、まだ、がんとの向き合い方を知らなかったため、告知されたときは人並みに大きなショックを受け、思考回路がパニックをきたしている。

「文化出版局にいたときから、ずっと50歳から何かしようということが自分の大きなテーマだったんですよ。それが1年前に実現して張り切っていたときでしたから、がんだと告げられたときは、それはショックでした。しかも、ちょうどその日に限って、会社の共同経営者であるKさんは仕事でインドに出かけたばかりで不在。実家の母に相談するわけにもいかず、夫とはその日に限ってすぐ連絡がつかず、どうしようどうしようと気を揉んでいるうちに家に帰っていたという感じでした。どうやって横浜の家まで帰ったか、全然覚えていないんですよ(笑)」

「なんて運がいいんだろう」

写真:『ハイミセス』の編集長時代

文化出版局『ハイミセス』の編集長として辣腕をふるっていた

そんなナイーブながん患者だった西條さんが、したたかな「考えるがん患者」への第1歩を踏み出したのは、2001年4月に乳がんの検診の際に下腹部にテニスボール大の悪性腫瘍が見つかったときだった。手で触ると中に大きなしこりがあることがわかるほど硬い腫瘍ができていたことに加え、消化器科、泌尿器科、婦人科で様々な検査を行ってもがんが見つからなかった。そこから平滑筋肉腫が確認された。

このときは10月1日に入院してからしばらくの間各種の検査が行われ、手術が行われたのは11月25日になってからだ。検査に追われる日々が延々と続くことはさぞかし精神的につらかったのではないかと思うが、彼女はもうこの頃には、かなり吹っ切れた患者になっていた。手で触ってがんのかたまりがはっきりわかることを、プラスに考えるようになっていたのだ。

「このときは、上から触ってわかるというだけじゃなく、手で掴むことができたんですよ。これは、それだけ大きくなっているということでもあるけど、逆に考えれば、その周辺にがんが転移していないからできることなんですね。だから、手で腫瘍の固まりを掴むたびに『ここまで大きくなってどうしよう』ではなく、『自分は何て運がいいんだろう』と思うようになっていました。
もう、この頃には体と自分はまったく別物と考えることができるようになっていたんです。そう発想の転換ができるようになると怖いものなんてありません。乳がんのときは手術のことをあれこれ思い悩んだんですが、このときは、悩んでも悩まなくても同じことという気持ちになっていましたから、お腹の大きな腫瘍をとる際に、入院後にできた首の腫瘍も併せて摘出することになったんですが、それにも積極的で、手術室に向かうときもケロッとしていました」

平滑筋肉腫=消化管壁や血管壁などの自分の意志では動かせない不随筋である平滑筋にできる腫瘍のこと

右腕切断のピンチ

この、ある種開き直った発想は、その次にがんが見つかり、右腕を失う瀬戸際に立たされたとき、精神的なダメージを最小限に食い止める安全弁の役割を果たすことになる。

右腕を切断する瀬戸際に立たされたのはそれから2年後、2003年10月のことだった。

家で洗濯物を干しているとき西條さんは突然右腕に激痛が走り、駆け込んだ病院で右上腕骨の骨折と診断される。それががんの転移によるものであることなど知る由もない彼女は、はじめ保険を取り崩して整形外科で診察を受けていたが、がんの転移を疑ったドクターから専門の病院で診てもらうことを勧められ、癌研付属病院の整形外科で各種の検査を受けた。

診断は骨肉腫。骨の表面や骨を包む骨膜にできるがんで、骨折はそれによるものだった。告知を受けた際、ドクターからはがんの病巣がある上腕骨を切除しないといけないので、最悪の場合、右腕を切断することになると説明があった。それを免れたとしても、がんがある上腕骨を切除して金属製の人工関節を埋め込む手術は避けられないので、右腕の機能は大幅に低下することになる。

ペンで仕事をしてきた人間にとっては過酷、と思える説明を彼女は超然と聞くことができた。それができたのは言うまでもなく「健康な心の自分」が「がんにかかった自分」の病状を客観的な耳で聞くというスタンスで話を聞くことができたからだ。

「明日を考えるな。今日を生きろ!」というユダヤ格言があるが、そんな心境になっていた彼女は、今日できる限りのことをしたら、あすは流れに身を任せるという生き方ができるようになっていた。

幸い骨肉腫は検査の結果、人工関節を入れる手術で対応できることがわかり、彼女は右腕を失わずに済んだ。その上、今回も腕のいいドクターと巡り会ったおかげで、右腕から文字を書く機能やパソコンを叩く機能が失われることもなかった。


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