術後後遺症の苦しみを、笑いで包みながら語る庶民派政治家 「大腸がんは入院中より退院後が大変」を身をもって知った日本共産党書記局長・市田忠義さん

取材・文:吉田健城
(2006年10月)

  
市田忠義さん
いちだ ただよし
1942年、大阪森の宮生まれ。滋賀県八日市高校卒業後、大阪の繊維商社に就職。その後、弁護士事務所、龍谷大学図書館で働きながら立命館大学2部を卒業。1971年、日本共産党専従職員。
伏見地区委員長、京都府委員長を経て、現在、党書記局長、参議院議員

大腸がんは外科手術で治療してもつらい後遺症が続く。とくに苦しいのはエンドレスで襲ってくる下痢だ。それが、よりによって生放送の政治討論番組の出演中に襲ってきた市田さんは、このピンチをどうやって乗り越えたのだろう?

書記局長に就任してから1年後

写真:参議院本会議で日本共産党の見解を述べる市田さん
参議院本会議で日本共産党の見解を述べる市田さん

市田さんが病院で大腸がんを告知されたのは日本共産党の書記局長に就任してちょうど1年が経過した2001年師走のことだった。

しばらく前から下痢気味でトイレに行く回数が増えていたが、市田さんはそれを激務から来るストレス性のものだと思い込んでいた。がんを予感させるものは何1つなかった。体重は84キロあり、食欲もあったので、1日中予定がぎっしり詰まっている多忙な身であることを考えれば、そこまで気が回らないのは仕方のないことだった。

しかし、その年の10月、選挙の応援で奈良を遊説中に体調を崩した市田さんは、夜ホテルに入ったあと激しい腹痛に襲われ食べたものをみんな吐いてしまった。それでも立場上、公務を優先させないといけないため、次の遊説先の新潟では水だけ飲んでマイクを握ったが、これはただ事ではないと見て取った秘書が検査を受けるよう強く勧めたため人間ドックに入って検査を受ける気になった。

頭をよぎったのは、命が助かるかどうか

翌月ドックで内視鏡検査を受けた際、担当の医師から「大腸に潰瘍があり、便にかなり血が混じっています。精密検査を受けてください」と言われた市田さんは、12月10日と11日の両日、代々木の党本部に程近い病院で精密検査を受け、12日に主治医から大腸がんを告知された。

淡々とした口調で「S字結腸がんです。早期がんではなく進行性で、浸潤の度合いが進んでいるのですぐ手術をしてがんを切除する必要があります」と告げる主治医の言葉を市田さんは、落ち着いて聞くことができたという。

「がんを告知されてすぐに頭をよぎったのは、やはり、命が助かるかどうかということでしたから、真っ先に『まだ死ぬのは少し早いし、仕事のこと、家族のこと、いろいろありますから、もしダメならハッキリ言ってください』と申し上げたんですよ。そしたら、100パーセント大丈夫だとは言えないが、転移はしていないのでがんは取り除けると思う。進行性だからすぐに手術をしなければならないが、まず助かるだろうというお話でしたので、オロオロするようなことはなかったですね」

気になったのは生存できない率

写真:入院中に市田さんがつけていた日記
入院中に市田さんがつけていた日記

即入院となった市田さんは下痢が続いていたため、入院後間もなく食事を止められ、点滴による栄養補給を受けながら26日の手術を前に様々な検査を受けることになった。そして、それがひと通り終わったところで、主治医と手術チームの医師たちから病状や手術について詳しい説明があった。

「そのときは、まず検査の結果、私の大腸がんはステージで言えば2ないし3の段階で、リンパ節転移がない場合、5年生存率は88パーセントで、リンパ節転移が見つかった場合は78パーセントだというお話がありました。順調にいけば手術のあと2週間で退院、1カ月で仕事に復帰できるだろうという見通しも示されたのですが、とてもホッとした気分にはなれませんでした。やはり気になるのは生存できる88パーセントや78パーセントのほうではなく、生存できない12パーセント、22パーセントのほうですから(笑)。
入院してから大腸がんに関連した本を読み漁っていたんで、気になっていたことをいくつか質問しました。入院中に付けていた日記を見ると、(1)再発する可能性、(2)浸潤の度合い、(3)リンパ節に転移している可能性、(4)手術後の抗がん剤投与、の4つについて質問したとなっていますね」

大腸がんではリンパ節転移がある場合などステージ3の患者に対し、手術のあと抗がん剤投与が行われることが多いが、市田さんは自分のがんがそれに該当するのかどうか気になってならなかった。抗がん剤をやることになれば下痢、悪心、嘔吐、脱毛などの副作用が出るので、その場合は書記局長を辞任しなければならなくなるからだ。

ただ、抗がん剤投与に関しては、医師のほうも開腹してリンパ節転移の有無が確認されるまでは何とも言いようがないので、すべては手術待ちということだった。

手術は予定通り12月26日の9時半に開始され、S字結腸がんの病巣がある部分を20センチ切除。同時にリンパ節郭清も行われた。さらに胆嚢の切除も行ったため、手術が終了したとき時計は午後2時50分を指していた。

ジタバタせずに、1日1日大切に

写真:入院中、長女の愛さんからFAXで送られてきた励ましのメッセージ
入院中、長女の愛さんからFAXで送られてきた励ましのメッセージ

麻酔からさめた後はしばらく激しい痛みが続いたが、それも逸子夫人の支えがあったのと、すでに社会に出て働いている娘の愛さん、息子の創さんが年末年始の休みを利用して上京し、ずっと病室にいてくれたおかげで耐えることができた。

入院中、市田さんの病室には、お守り代わりに、愛さんからファックスで送られてきた励ましのメッセージと家族4人で撮った写真を一緒に入れた額が飾られていた。

そのメッセージを市田さんが入院中つけていた日記に書き写していたので拝見したが、それは思わず声を出して読みたくなるような、庶民的な家族愛に溢れたものだった。

『こんなにゆっくりできる機会はめったにないさ。人生健康第一。ボチボチいきまひょ。人生まだまだこれからやん』

『残りの人生が長かろうが短かろうが、日々を一生懸命生きていくことに変わりはないし、ジタバタせずに、1日1日大切に、楽しんで過ごすんやで!』

がんで入院した父親にこのような心温まるメッセージを送ることができる娘は日本広しといえど、そういるものではない。

これは教えてできるものではない。ひと昔前は当たり前だった緊密な家族関係に支えられた家に育った娘だからこそ、心の中の言葉がそのままの形で文字になるのだ。

愛情の種が成長したことを病室で確認

市田さんは、小さい頃お父さんを亡くし、お母さんと4人の兄弟が支えあう中で育った苦労人だと聞くが、自分がお母さんから授かった愛情を、父親として子供たちに注いだような気がしてならない。

市田さんにインタビューしていると、政党の最高幹部で参議院議員も兼ねる偉い先生にお話を伺っているというよりは、お茶をすすりながら関西訛りの抜けない教頭先生に楽しい話を聞かしてもらっているような感じになるが、それも苦労を笑いで包みながら成長した生い立ちから来るもののように思えてならない。

市田さんは、手術の切開範囲を尋ねると、実際に見てもらったほうが早いと、何の躊躇もなくシャツをたくしあげて『実物』を見せてくれるような、およそ政治家らしくない気取らない方だが、2人の子供が育った市田家も気取らないきわめて庶民的な家庭だったのだろう。

市田さんも「息子も東京にいるあいだ、病室で私の体を黙々と拭いてくれたんで感激しました。風呂場で足を洗ってくれたこともありました」と目を細めるが、初めての大病で入院した5週間は、自分が蒔き続けた愛情の種が立派に成長したことを確認するまたとない機会でもあったようだ。

体の機能が徐々に回復してきた市田さんは1月16日に退院の運びとなるが、退院を前に医師から手術の詳しい結果と退院後のことについて説明を受けた。

何よりもうれしかったのは抗がん剤を投与する必要がないと言われたことだ。抗がん剤をやることになれば書記局長を辞任せざるを得ないと考えていた市田さんにとって、これは何よりの朗報だった。


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