踊りの知識と経験をリンパ浮腫予防に生かす舞踊家・藤間秀曄さん
リハビリエクササイズで乳がん患者を元気にしたい

取材・文:吉田燿子
発行:2005年4月
更新:2013年8月

  

舞踊家・藤間秀曄さん

藤間 秀曄 ふじま ひであき(おおき まりこ)
藤間流日本舞踊家、藤間流師範。東宝現代劇を経て、時代劇からミュージカルまで幅広く芝居に参加。藤間秀曄舞台稽古所を主宰し、主に俳優たちへの稽古を展開。義父藤間秀嘉さんに師事し、国立劇場「藤葉会」において「蝶の道行」「お染」「千代の友鶴」などを踊り、平成13年日本舞踊協会主催「新春舞踊大会」にて奨励賞を受賞。1999年乳がん発症。右乳房切除術を受けた。

東京・本駒込。地下鉄の白山駅から歩いて5分ほどのところに、瀟洒な格子戸を構えた藤間流の舞踊稽古所がある。ここで、乳がん体験者の舞踊家がリンパ浮腫予防のエクササイズを考案したと聞いて訪ねた。

玄関のベルを鳴らすと、和服姿の女性が現れた。大木まり子さん、40歳。小柄だが明るくて物怖じしない、ハツラツとした印象の女性である。

大木さんの舞踊歴は2歳の頃にさかのぼる。子供の頃から日本舞踊やバレエを学び、東宝の演劇やミュージカルにも出演した。結婚を機に、日舞の藤間流師範である義父・藤間秀嘉さんに師事。自分自身も「藤間秀曄」として舞踊稽古所を主宰するかたわら、古典からコンテンポラリーまで幅広く活躍する舞踊家である。

そのキビキビとした立ち居振る舞いを見ていると、とても6年前に乳がんを患った人とは思えない。そんな彼女も、乳がんの手術後は、後遺症のリンパ浮腫に大いに苦しめられたという。

だが、転んでもタダでは起きないというべきか、そこからが新しい人生の始まりだった。その一部始終を、私たちはまもなく大木さんの口から聞かされることになる。

リンパ浮腫=リンパ節郭清をすると、リンパ液がうまく流れなくなり、リンパ管に吸収されるはずの蛋白成分や水分が皮下組織にたまり、足や腕にむくみが起こる

腕が動かない 1日も早く回復したい

大木さんが右の乳房のしこりに気づいたのは、98年10月のことだった。

だが、育児と仕事で多忙を極めていたこともあって、都内の病院の外科を受診したのは2カ月後の12月25日。その日のうちに触診やマンモグラフィなどの検査を行い、年明けには細胞診も受けた。

結果は「悪性」。2センチ以下の大きさでステージ1の乳がんだった。

「君はまだ若いから、オッパイを全部とらなくちゃいけないかもしれないよ」

医師の言葉を聞いた瞬間、頭の中に岩が落ちてきたような気がした。外科を出て歯科の待合室で予約待ちをしている間中、涙があふれて止まらなかった。

その後、ある専門医に国立がん研究センターでの治療を勧められたこともあって、2月4日に転院。8日に右側乳房全摘手術を受けた。リンパ節への転移はなかったものの、転移を予防するため右脇の下のリンパ節を切除。術後は再発を防ぐため、当時厚生省が行っていた抗がん剤の臨床試験に参加し、6カ月間CMFの投与を受けた。その後はタモキシフェン(商品名ノルバデックス)を5年間服用し、昨年秋に無事、治療を完了した。

手術後の体の変化を思い知らされたのは、手術翌日のことだった。

「右半身に鉄板がはめられたようで、とにかく体が痛くて動かせないんです。腕の中に強力なスプリングが入っているみたいで、まるで“大リーグボール養成ギブス”をはめた、『巨人の星』の星飛雄馬みたいでしたね」

体が動かなくなった原因は、「リンパ浮腫」。がんの転移を防ぐため、手術で脇の下のリンパ節を郭清したことによる後遺症である。 子供の頃から踊りを続けてきた大木さんにとって、思うように体が動かない状況は苦痛そのものだった。手を動かすと、ビリビリと電気のような痛みが走る。体を動かすたびに筋肉痛になり、疲労感が塊のように押し寄せる。リンパ節の切除によって、自分の体がいやおうなくマイナス面を抱えてしまったことを思い知らされた。

CMF=エンドキサン(一般名シクロホスファミド)、メソトレキセート(一般名メトトレキサート)、5-FU(一般名フルオロウラシル)の3剤併用療法

病院でのリハビリに 一抹の疑問を感じて

術後ほどなくして、がんセンターの医師が考案した15分ほどのリハビリプログラムがスタートした。早く快復したい一心で、大木さんは病院のリハビリが終わった後も、1時間近くベッドの上でストレッチを続けた。

「必死でしたね、このままでは普通の生活には戻れないし、周囲にも迷惑をかける。何より、まだ小さい息子に『抱っこ』と言われたらどうしよう、と」

病院で行われるリハビリの方法にふと疑問を感じたのは、そんなある日のことである。

リハビリに集まった患者たちは、看護師の指導の下で、麻痺した腕を上げる練習をしていた。このリハビリ体操は、患者のQOL向上を願う医師たちや看護師たちの努力のたまものでもあった。

だが、大木さんは一抹の疑問を感じないわけではなかった。歪んだ姿勢のまま、なんとなく体を動かしている患者が多いことに気がついたからである。

人間の体は各部分が全体としてつながっていて、まっすぐ立たなければ背骨も骨盤も歪んでしまう。姿勢を正さず、ただやみくもに腕を上げるだけでは、思うような運動効果は表れない。

運動の基本となる正しい姿勢や呼吸方法を採り入れれば、痛みも軽減されるし、リハビリ体操の効果も上がるはず。そのことは、運動や踊りの訓練を受けた者なら、誰もが知っている常識である。

仕事に忙殺されているはずの医師や看護師が、貴重な時間をやりくりして患者にリハビリ体操を指導している姿に、大木さんは深く感じるところがあった。だが医療者の知識に加えて、ダンスやスポーツなどの専門家のノウハウが生かされれば、リンパ浮腫予防のリハビリはさらに改善されるのではないか。

「ナースと身体運動の専門家が協力して、患者のクセを矯正しながらリハビリの個別指導をすれば、患者さんの快復はさらに早まるはず。それなら私自身の知識と経験を生かして、新しいリハビリ体操を考えてみてもいいのではないか、と思ったのです」

ルイジのように あきらめず体を動かそう

踊りの経験をリハビリに生かしたい――大木さんがそんな志を抱いた背景には、25年前のある出会いがある。

17歳のとき、大木さんはジャズ・ダンスの創始者として知られるルイジ・ファチュートの来日公演のオーディションに合格。ダンサーとして共演する機会に恵まれた。ルイジといえば、ブロードウェイでライザ・ミネリやマーロン・ブランドなどを育てた有名なダンス教師である。その舞台の素晴らしさもさることながら、過酷な運命を克服したルイジの生き方そのものに大木さんは感銘を受けた。

ルイジは将来を嘱望されるダンサーだったが、16歳のときに交通事故で半身不随となった。だが、彼は不屈の精神によって、ダンスの基礎訓練を応用したリハビリを続け、奇跡的にカムバックする。このときのリハビリ経験を通じて、“Never stop moving”という彼のダンス哲学が生まれたのである。

「ルイジの話を聞いて、当時のまっさらな私はとても感動したんですね。『踊りって役に立つんだ。自分のできることで社会奉仕のようなことができるっていいな』って。手術の後遺症で自分の体が動かなくなったとき、頭に浮かんだのはルイジのことでした。“Never stop moving”――私もルイジのように体を動かそう、と」

さする、手を横に伸ばす、手首を動かす。一口に体操といっても、マイナス面を抱えた体を思い通りに動かすのは容易ではない。だが、何よりも大事なのは、「あきらめずに、体を動かし続けること」。10代の頃に聞いたルイジの言葉が、大木さんの頭の中で木霊した。


同じカテゴリーの最新記事

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート11月 掲載記事更新!