ドラムの達人が見つけた、がんと戦う極意 悪性リンパ腫を克服したジャズドラマー・大隅寿男

取材・文:吉田健城
発行:2004年11月
更新:2018年9月

  
大隅寿男さん

おおすみ としお
1944年、福井県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。1969年、大学卒業後プロドラマーとして活動を開始。78年大隅寿男トリオを結成。00年、『ザ・サウンド・オブ・ミュージック・イン・ジャズ』をリリース。01年、音楽活動30周年を記念したコンサートには、阿川泰子を始め総勢9名のゲストプレーヤーが参加した。02年に悪性リンパ腫のため抗がん剤治療を受けながらコンサート活動を続ける。04年5月、『リジョイス』を発表。9月には『リジョイス』発売記念ライブを文京シビックホールで実施、宇崎竜童も出演し好評を得る。

免疫力は自分をポジティブな状態に置けば置くほど高くなる。それを知ったキャリア30年のジャズ職人=大隅寿男さんは、抗がん剤ですっかり髪の毛が抜け落ちた頭に玉の汗を光らせながらライブハウスのステージでドラムを叩きつづけた。ファンの人たちが送ってくれる拍手と声援こそ、大隈さんをがん克服へと導いてくれた、元気の源だった。

このままではあと半年?

写真:大隅さん

明快なスイングと切れ味のいいビートが大隅さんの持ち味。「抗がん剤の副作用で苦しめられたけれど、ライブはそのつらさを癒してくれました」

最近は、いたる所でセカンドオピニオンを受けることの必要性を説く記事や印刷物を見かけるようになった。国立がん研究センターやがん専門の医療機関もホームページでセカンドオピニオンを受けるように患者に呼びかけている。

それらを見ていると、もはやセカンドオピニオンを受けることはがん患者の常識となった感すらある。しかし、これほど実行されない常識もないといっていい。とくに、がん専門の医療機関や症例数が多い大病院でがんを告知された人は、ほかでセカンドオピニオンを仰いでもどうせ結果は同じだろと思いがちだ。患者の多くは、その意志さえあれば出来るのにそれを放棄していることが多い。

そのような人たちにちょっと見て欲しいのが、ジャズドラムの達人として知られる大隅寿男さんのケースだ。

大隅さんが悪性リンパ腫を告知されたのは2002年5月のことだ。

「2000年に『ザ・サウンド・オブ・ミュージック・イン・ジャズ』というCDを出し、その翌年に音楽生活30周年を記念するコンサートを草月ホールでやって好評だったので、気分的に乗っていたんです。そんなとき、のどの横に大きなぐりぐりが出来て、A病院の血液内科に行って検査を受けたら悪性リンパ腫であることが判った。それだけでもショックは大きいのに医者から『病気の進み方が速いタイプなので、このままでは、半年もつか1年もつか、といったところだ。そうならないためにはなるべく早く入院して、放射線と抗がん剤を使った治療を始めたほうがいい』と言われたもんだから、もう、お先真っ暗ですよ。落ちこんでしまって、何もする気にならなかったですね」

大隅さんが絶望的な気持ちになったのは当然だろう。

医者の説明によれば、病名は「非ホジキンリンパ腫」のうちの「B細胞リンパ腫」。病状は1から4まであるステージのうち、最も病状が進んだ4期で、骨髄や血液中、リンパ節にもがん細胞が広がっているという。しかも、大隅さんのがんは非ホジキンリンパ腫でも、悪性の度合いが高いタイプなので、進み方が速い。だから、抗がん剤治療をはじめる時期は早ければ早いほうがいいという。言うだけでなく、医者は「2、3日以内に入院して下さい」と早期の入院を勧めた。

告知の際に、もう一つ医者から勧められたのは、他の医療機関でセカンドオピニオンを受けることだ。A病院は、患者の立場に立った医療をポリシーの一つに掲げており、患者がセカンドオピニオンをとることを積極的に支援していた。それも、ただアドバイスするだけでなく、五つの医療機関の名前を患者に提示して、その中から一つ選ばせ、仲介の労をとるということまでしていた。

ワラにもすがる思いのセカンドオピニオン

早期の入院を選択するか、セカンドオピニオンをとるか、大隅さんは迷った。

とりあえず、お姉さん達に事情を話し、意見を求めた。しかし、お姉さん達も答えを出せなかった。「そんな大事なことは、あなた自身が決めるしかない。

決めたらどんな協力でもするから、どちらかに決めて欲しい」

そう言われた大隅さんは、たとえ結果がどうあれ自分で決めるしかないと腹をくくった。

選択したのは、セカンドオピニオンのほうだ。依頼先は、国立がん研究センター中央病院に決めた。その方面に詳しい友人にアドバイスを求めたところ、あそこなら悪性リンパ腫を専門にしているよい医者が何人もいて、症例数も多いので間違いないだろうと言われたのだ。

このような経緯で、大隅さんは国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けることになった。しかし、すぐに結果が出たわけではない。国立がん研究センターは、ほかの医療機関で行った検査データを採用しないポリシーを貫いているため、改めて検査をゼロからやり直すことになり、結果が出るまで1カ月近く待たされたのだ。

「精神的に一番キツかったのは、この時期ですね。国立がん研究センターの検査結果はA病院のものより、軽いものになると期待していましたが、そうなる保証はどこにもないわけですから、本当に不安でした。悪いほうに考えるのはよそうと思うんですが、精神的に不安定になっているときは、どんどんマイナスのほうに考えてしまうものです。俺は半年しか生きられないのか? 年を越せないのではないか? と悲観的なことばかり考えて、涙が止まらなくなることもありました」

しかし、こうした状態もセカンドオピニオンからの結果が出ると同時に終わりを告げた。

国立がん研究センター中央病院が出した検査結果は、概ねA病院と同じだったが、いくつか異なる見解が示されていたのだ。

とくに、がんの悪性の度合いに対する評価と、予後の見通しではA病院と正反対の見解が示されていた。

A病院は、大隅さんの病気を悪性リンパ腫のなかでも悪性度の高いタイプで、病状の進み方も速いと見ていた。しかし、国立がん研究センターの検査結果では、悪性度はそれほど高くなく病状もゆっくり進むので慌てることはないという見解だった。

また、予後に関してもA病院では「抗がん剤を使った治療が必要で、放っておくと余命は半年ないし1年」ということだったが、国立がん研究センターの医師は「半年なんて、あり得ないこと」と一笑に付したうえで、大隅さんに「少なくとも、あと2年半くらいは死なないから安心して下さい」と断言した。

「なぜ2年半なのかわかりますか? 実は、大隅さんの悪性リンパ腫は、発病して1年半から2年くらい経過しているんです。症状が出なかったんで気が付かなかっただけなんですね。この病気は、5年目に入ったころが一番危ないんです。全身のリンパ節が腫れたりして、危険な状態になりますからね。でも、それまでは大丈夫なので、2年半と言ったんです」

「ホントは4年なんだけど、知らない間に1年半経過していたので、残り2年半ということですね」

「そういうことです」

「でも、僕の場合、ステージが4期で悪性腫瘍が血管や骨髄にまで入りこんでいると聞きました。それによってがんが全身に転移しているでしょうから、やっぱり長く生きられないように思うんですが」

「そんなことは、ありません。がんはどれも同じじゃないんです。悪性リンパ腫のような血液のがんが上皮がんになることはないので、安心してください」


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