がんと戦う「心の薬」がたくさんあったしあわせ 乳がんで夫婦の絆を深めたタレント・泉アキさん
1950年、愛知県生まれ。1967年「恋はハートで」で歌手デビュー。22歳の時に、落語家の桂菊丸さんと結婚し、その後もタレントとして、テレビなどで活躍。1997年、乳がんと診断され、乳房の4分の1を切り取る手術を受ける。退院後、約3カ月で、夫の菊丸さんと共にマウイマラソンに出場し、見事完走。現在も、歌手活動を始め、テレビのレポーターやコメンテーター、講演活動など、多岐に渡り活躍中。
がんは人のからだを蝕むだけでなく、心まで蝕む厄介な病気だ。しかし、がんをどう受けとめ、どう対処するかによっては、逆に、がんにかかったゆえに心が豊かになることもあるようだ。泉アキさんは、乳がんにかかったことは自分の人生にとって「99.9のプラスと、0.1のマイナス」だったと言い切る。
乳がんに対する漠然とした不安
泉アキさんが乳がんを告知されたのは平成9年10月のことだ。
若いころからアキさんには、いつか自分が乳がんにかかるのではないかという漠然とした不安があったという。そのため入浴中にオッパイを両手で包み込んで揉んだりして気を配っていたのだが、乳がんはいつの間にか、アキさんの豊かなオッパイの中に入りこんで、ピンポン球くらいの大きさのしこりを作っていた。
診断の結果は乳がん。生検の結果4期のうちの2期と判明した。比較的初期の段階での発見なので、手術すれば命に別状はない。しかし、それには左のオッパイを4分の1ほど切りとらないといけなくなる。
いくら2人の娘を育てた年季の入ったオッパイとはいえ、ゆさゆさ揺れるオッパイは「泉アキ」という商標の一部というイメージがある。それだけに、ご本人のショックはいかばかりかと思ってしまうが、それは、『明星』のグラビアや「女の60分」のイメージが抜けない筆者の見当違いな勘ぐりだった。
「オッパイの一部が切り取られるから、どうのこうのということはまったく無かったですね。生まれて初めて“自分は死ぬかも知れない”という事態に直面しているときに、オッパイへの未練なんてありませんよ(笑)。むしろ、検査の結果が出て、主治医のK先生から『乳がんの2期なので、オッパイを4分の1くらい切ることになる』と告知されたときは、ほっとした気分でした。というのは、早く結果が出て欲しいという気持ちのほうが強かったんですね。検査の結果が出るまで、あれこれ考えるじゃないですか。それよりは、たとえ『がん』であろうと無かろうと、結果を出して欲しかったんです」
少女時代の経験が築いた人生観
アキさんを取材してもう1つ意外だったのは、乳がんであることを隠そうとしなかったことだ。がんを経験した著名人を取材することは、そう簡単なことではない。著名人の多くは基本的に個人事業主だ。そのため、がんに侵されたことが表沙汰になって仕事が減るのが怖いのだ。これは、タレントに限らず作家や音楽家にも見られる傾向だ。
しかし、アキさんは、とくに隠すようなこともしていない。自分はがんを告知されたのだからそれを受け入れ、治すことにすべてのエネルギーを傾けるしかない。いずれ他人がそれを知ることになるのは止めようのないことなので隠しても仕方がない、とあくまでも自然体なのだ。
また、働きざかりの人には、がんにかかったこと自体を信じたくなくて、告知を受けることを先延ばしにしたり、医者の診断や告知に強い疑念を抱いたりするケースが多いものだ。しかし、アキさんにはそれがまったくない。逆に、「がん」を正面から受け止め、医者に言われたことを100パーセント信頼し、積極的にそれに従おうとしている。これには、アキさん自身が山あり谷ありの人生の中で培った人生観が色濃く反映されている。
アキさんは、がんを克服したあと、闘病の一部始終を『天使のノック』という1冊の本にまとめているが、この本のユニークな点は、本のうしろのほうに、歌手として16歳でデビューするまでの、自分の生立ちが淡々とつづられていることだ。
アキさんは軍人だったアメリカ人の父を知らずに育ち、母の再婚で地獄を味わった末に養子に出されるという、幸薄い子供時代を過ごしている。しかし、16歳で芸能界入りして以降は、しばしば壁に突き当たりながらも、芸能人として成功しただけでなく、子供の頃からあこがれ続けたパパとママと子供が揃った普通の家庭生活も手にすることができた。
逆風が吹きつづけた子供時代を経験しているだけに、アキさんは個人の力の限界というものを知っている。だから、自分が陽のあたる道を歩むことができたのも、多くの人の支えがあったればこそ、と認識できる。それゆえ、若いころから人付合いは大事にしてきた。
結論から言えば、そのアキさん流の人生観が最高のホームドクターとがんの主治医に恵まれる最大の要因になったのだ。
ホームドクターの最高のアレンジ
オッパイにしこりがあることに気づいた日、アキさんはすぐホームドクターであるS先生のところにいって診てもらっている。ふだんから、アキさん、菊丸さん夫妻と家族ぐるみの付き合いがあるS先生はアキさんの性格も好みもだいたい頭に入っているので、「がん」である場合を想定して、その日のうちに医療面でも、それ以外の部分でも最高の環境で治療が受けられるよう手配してくれた。
S先生から「千葉の市川にある家からは少し遠くなるが、熱海病院のK先生の診察を受けたらどうですか」と勧められたとき、アキさんは即座に同意している。以前柏の国立がん研究センター東病院に勤務していたK先生とはS先生のところのホームパーティーで2度会ったことがあり、乳がんの専門家であることも知っていた。
検査の結果、乳がんを告知されたアキさんは熱海病院に入院し、手術を受けることになる。病室で闘病生活を送ることになったアキさんは、改めてホームドクターであるS先生が自分にこまやかな配慮をしてくれたことを痛感する。
まず、有り難かったのは、自分が「がん」なのかそうでないのか、不安に苛まれる期間がわずかですんだことだ。大きな医療機関の場合、検査を受けるまでにかなり待たされ、結果が出るまでにさらに時間がかかることが多い。その間に受ける精神的な苦痛はとても筆舌で表現できるものではない。アキさんの場合はホームドクターのS先生と乳がんの専門家K先生が連携して最高のアレンジをしてくれたため、その期間を最小限にすることができたのだ。
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