がんの怖さはイメージできない部分があること
2度のニアミスがあった評論家、樋口恵子さんの乳がん体験記

取材・文:吉田健城
発行:2004年5月
更新:2013年8月

  

樋口恵子さん

樋口 恵子 ひぐち けいこ
1932年東京都生まれ。
東京大学文学部卒同大学新聞研究所本科終了。
時事通信社、学研、キャノン株式会社を経て評論活動に入る。
内閣府及び東京都男女共同参画会議などの各種審議会委員を務める。
「高齢社会をよくする女性の会」代表。
主著に『地域でとりくむみんなで育てる介護保険』『私のまちの介護保険』『チャレンジ「平和ボケおばさん」七十歳の熱き挑戦!』ほか多数。


なぜ「一安心」が幻想になったのか

写真:「高齢社会をよくする女性の会」の例会で

「高齢社会をよくする女性の会」の例会で。この会では会員が地域の核になりシンポジウム、勉強会、アンケート調査などを行い、望ましい高齢社会を女性の視点からの提案で実現しようと活動している

がんの1つの特徴は、イマジネーションを超えた病気であるということだ。最近は、がんが早期に発見されれば命に別条はないケースが多い。そう告知された人は、医師からの説明や、さまざまな手段で得た情報を自分なりに噛み砕いて、手術がどれだけ自分にダメージを与え、それが回復するまでにどれぐらい掛かるか具体的にイメージできるようになった。

それだけでなく、社会で忙しく働いている人たちはそのイメージに沿って手術に入る前に仕事のタイムテーブルをひき直し、ロスを最小限にしようとする。こうしたアプローチで簡単にがんに一本勝ちを収めてしまうケースもある。

しかし、そう目論見通りいかないのが、がんの厄介なところだ。命に別条がないといわれて手術を受けた人の多くは、体にメスを入れたことで、一安心という気持ちになる。ところがしばらくしてから、それが単なる幻想でしかなかったことを思い知らされるのだ。そのときのショックは「命に関わることはない」という但し書き付きでがんを告知されたときのショックとは、比べ物にならないくらい大きいという。樋口恵子さんの場合も、そうだった。

樋口さんといえば、長年女性の雇用差別撤廃運動や高齢化問題の先頭に立って発言し、先般は石原東京都知事が無競争に近いかたちで再選されることに敢然と立ち向かった日本で最も肝っ玉が据わった女性の1人である。

その樋口さんでさえ、そのときばかりはパニックに陥ったという。なぜ、そうなったのか。 まず、そこに至る経緯をたどってみたい。

「振りパイ」スタイルで黒いかさぶたを発見

写真:「高齢社会をよくする女性の会」の全国大会であいさつをする樋口さん

2002年熊本県で行われた「高齢社会をよくする女性の会」の全国大会であいさつをする樋口さん

樋口さんが乳がんの告知を受け、手術を受けたのは、1998年8月のことだ。たまたま、そろそろ寝ようと思って着替えていると電話が鳴り「振りパイ」スタイルで応対することになってしまった。そのとき左手で受話器を持って話しながら、ふと丸出し状態のオッパイに目をやると、右オッパイの乳首のところにニキビの黒いかさぶたのようなものができていた。

「電話で話しながら、指の先でニキビを潰すみたいに押したら、膿の混じった血がピュッと飛んだんです。でも、ほんの少し。それこそ、耳カキ半分ぐらいだったんだけど、ドキッとしました。その2年前にも右のオッパイにしこりが出来て、乳がんじゃないかと思って検査を受けたことがあったので、多少気をつけるようにはしていました。だからドキッとしたんですよ。でも、血じゃなくて白いお乳が出てきたら、もっとびっくりしたんじゃないかしら(笑)」

と今でこそ冗談まじりに話すが、そのときは、以前しこりがあったほうの乳房なので不安でたまらず、その1週間後に検査を受けている。

ここから手術に至るまで、樋口さんがとった行動はほぼ完璧なものだ。以前から女性の権利と健康の問題に関わり、医者と患者の関係、とくに患者の権利と医者の義務について積極的な発言をしているだけあって、まず、乳腺外科で有名な医師がいる国立の医療機関に行って検査を受けた。

そして「クラス3a(擬陽性)」で「試験切除」という結果が出ると、さらに、その分野で十分な経験を持つ医師がいる医療機関を訪れて、セカンドオピニオンどころか、サードオピニオンさえ仰いでいる。それと平行して、乳がんに詳しい旧知の医師や、日ごろ身近に接している医師、乳がんを経験している友人などに、次々と電話をかけまくって情報を集めた。

講演の代役探しの後慌ただしく手術

関連書籍は気になったものの読んでいる暇がなかった。

生身の人間の情報が一番頼りになった。その上で熟慮の末、セカンドオピニオンでクロという違う結果を出した医療機関で手術を受けることに決めた。

大変だったのは、予定の入っていた講演会の講師やシンポジウムのパネリストを誰に代わってもらうか、ということだった。主催者に迷惑をかけるわけにはいかない。ある県の若い女性課長などは「がん」と聞いて、途中から涙声になったが、逆にこれしきのことで取り乱しては駄目だとたしなめ、すぐ代役を立てるからと慰め役になったこともあった。

結局、直前に迫った講演会に穴をあけるわけにはいかないという義務感が先に立って、この人はここ、あの人はここに行ってもらおうという感じで代役のプランを立て、自分で直接掛け合って、どんどんピンチヒッターを決めていった。

そして、それをやり終えたと思ったら、すぐ入院。そして手術という感じだった。

何よりも心配だったのは、患部が乳首に近いところにあるため、乳首を失う危険性があることだった。手術の前日に同意した手術の同意書にもそのことは明記されており、最大の心配の種だったが、これも杞憂に終わった。手術で右の乳房は2割くらい小さくなったものの、乳首はちゃんと残っていた。


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