「うっかり」ではなく「しっかり」八兵衛だったからこそ、今がある 前立腺がんと胃がんを早期発見できた、時代劇の名脇役・高橋元太郎さん

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2012年12月
更新:2019年7月

  
高橋元太郎さん 歌手・俳優

たかはし げんたろう
1941年、東京都出身。高校を卒業後、証券会社に就職するも、約1年で退社。その後、ジャズ喫茶「銀座テネシー」のオーディションに合格し、アイドルグループ「スリーファンキーズ」の結成メンバーとして人気を博したあと、ソロ歌手として独立。俳優業としては、「大岡越前」の“すっとびの辰三”や、「水戸黄門」の“うっかり八兵衛”で、お茶の間の人気者になる。

約30年にわたって、国民的番組「水戸黄門」の“うっかり八兵衛”役でお茶の間の人気を集めた高橋元太郎さん。現在は歌手として、ライブ活動やディナーショーを精力的に行っているが、その裏には、2度にわたるがん経験があった──。

ショックだった母のがん

高橋元太郎さんがお母さんの美津子さんをがんで亡くしたのは1988年11月のこと。その数年前に胃にがんが見つかり胃の4分の3を摘出する手術を受けたが、その後肺に転移。ほどなくして大腸にも転移していることが判明し、治療の甲斐なく、帰らぬ人となった。

高橋さんの家は、父親は戦争に行って行方不明となり、戦後は母1人子1人となり、母・美津子さんは必死に働いて家計を支えた。それだけに1人息子の高橋さんは母を思う気持ちが人一倍強く、胃がんが見つかったあとも、ショックを与えたくないため、医師と相談して本人には胃潰瘍だと伝えていた。

「でも、おふくろは本当の病名に気付いていました。ある日、車の中で平然と僕に『私、どうやらがんらしいよ』と言うんです。話を聞くと、病院の先生におふくろが『私はがんなんでしょう?』と聞いたら、その先生は「違いますよ」と言いつつも、少し顔色が変わったらしいんです。それを見て、おふくろは『自分はがんなんだ』と。とっさに僕は『そんなはずはない』と否定しましたが、やはり病人というのは、通常よりも勘が鋭くなっていて、病名を伝えなくても大体わかっているもんだと、そのとき感じました」

高橋さんが一番つらかったのは、お母さんのがんが大腸にも転移していることがわかり、医師からあと半年の命と告げられたときだった。なるべく時間を作って一緒に居てやりたいと思っても、明治座の舞台が控えており、また「水戸黄門」の撮影にも穴をあけるわけにはいかない。高橋さんは後ろ髪引かれる思いで仕事場に向かい、心の中で母・美津子さんの許しを請うしかなかった。

長年慕っていた人のがん発覚

2012_12_14_02

1970年、テレビ時代劇「水戸黄門」の第2部から、高橋さんは“うっかり八兵衛”の役でレギュラー出演を開始。 食いしん坊でひょうきんなキャラクターが人気を集めた

さらにその数年後、「水戸黄門」で20年以上にわたって共演してきた風車の弥七役の中谷一郎さんが、大腸がんで入院することになる。

ドラマでは、風車の弥七と、うっかり八兵衛は親分・子分の関係である。そのため高橋さん扮する八兵衛は、中谷さん扮する弥七を「親分、親分」と呼んでいるが、プライベートでも中谷さんと親しく、高橋さんにとって中谷さんは友であり、兄であり、そして師のような存在だった。

「中谷さんが入院されたときには家でじっとしていられず、無理をお願いして手術の間中、ずっと病院の駐車場に止めた車の中で、ただただ手術の成功を祈っていました」と高橋さん。数時間して中谷さんの姪御さんが無事終わったことを知らせに来てくれたときは、ホッとして、落涙を禁じえなかったという。

その後、中谷さんは咽頭がんも患い2004年に亡くなってしまうが、高橋さんにとって中谷さんのがんというものは、決して他人事ではなかった。

マメに検診を受けることに

母・美津子さんと、長年慕っていた俳優・中谷一郎さん。この2人のがんとの闘いを間近で見守った高橋さんは、最後まであらゆることに感謝の気持ちを忘れない母や、がんになったあと風車の弥七役を演じることに使命感を持ち続ける中谷さんの生き方に少なからぬ感銘を受けていた。しかしその一方で、「がんがもっと早期に見つかっていれば、対処のしようがあったのに」という思いもあった。

もし自分ががんになっても周囲には心配をかけたくない――。

そう思った高橋さんは、都内のがん専門病院で、欠かさずにがん検診を受けるようになった。

こうして、定期的にがん検診を受けるようになった高橋さんだが、毎回どこにも異常が見られないまま、数年の歳月が流れていった。

自らも前立腺がんに

2012_12_14_03

「土いじりが好きで、陶芸をやっている間は無心になれる」と高橋さん。趣味で始めた陶芸だが、現在は個展を開くほどの腕前に

しかし2008年になって、前立腺がんの腫瘍マーカーであるPSA(前立腺特異抗原)の値に異常が見られたのである。数値は4.43 ng/ml(以下単位略)。

PSAは値が4までが正常範囲で、4~10までがグレーゾーンである。主治医は、高橋さんに直腸診とエコー検査を受けることを勧めた。

「PSA値がその2年前が2.95、前年が3.56と、少しずつ上がっていたので、たまたま何かのはずみで高い数値が出たとは思えなかったからです」

エコー検査の結果、「がんの疑いあり」との診断が下された。

前立腺がんの確定診断は、針生検で行われる。10数カ所に刺して採取した細胞を調べたところ、2カ所からがんが見つかったのだ。

がんはごく早期で転移や周辺組織への浸潤は見られなかった。医師が示した治療法は、①手術、②放射線を体の外から照射する外照射治療、③放射線治療の一種で、前立腺内に放射性物質を直接入れる密封小線源療法の3つだった。

高橋さんはその中から手術を選択した。

「ショック? それは無かったです。早く発見できれば治ると思っていましたから。手術を選択したのは、根治を目指すにはそれが一番だったからです。外照射による放射線治療の選択肢もあったのですが、その場合、毎日病院に通わないといけなくなってしまい、仕事などの関係もあり、難しかったんです」

手術に対する不安はなかったのだろうか?

「尿漏れのことが気がかりでした。2、3カ月で治る人もいるけど、1年くらい続く人もいると聞いたからです。でも、そのあとでお医者さんのほうから尿漏れは運動によって克服できると説明があったので、それなら大丈夫だろうと思いました」

もう1つ感じた不安は、気持ちの面で元気が無くなるのではないかということである。手術によって神経が損傷されて、勃起障害が起きると聞かされたので、去勢されたようになり、元気がなくなるのではないかと思ったのだ。

これもその後の医師の説明で杞憂とわかったので、高橋さんは大きな不安を抱えることなく手術に臨むことができた。

「手術のときは不安より好奇心でいっぱいでした。それまで入院して手術など、1度も経験したことがなかったからです。手術室とか全身麻酔とか、すべて初体験でしたので、興味津々でした。麻酔を打たれたときは『あ、テレビドラマと同じだな』と思っていたら、そのうちに意識を失っていたぐらいです(笑)」

同じカテゴリーの最新記事

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート4月 掲載記事更新!