未亡人、がん……これで私も一人前だと思いました 乳がんの全摘手術後、世界を飛びまわる元首相夫人・橋本久美子さん(77)
橋本久美子 はしもと くみこ
1941年東京生まれ。聖心女子大ではテニス部主将を務める。1963年、衆院議員に初当選したばかりの龍太郎氏と結婚。龍太郎氏は1996~1998年に首相。現在、日本介助犬協会会長、国際なぎなた連盟会長など。
橋本久美子さんは元首相・故橋本龍太郎さんの夫人。ポマードで頭髪を固めて威厳を放つ発言をしていた夫君とは対照的に、気さくで飾り気のない話をしてくれた。がんに立ち向かうには――
2007年2月、橋本久美子さんは前の年、人間ドックに行かずじまいだったことを思い出し、急いで予約を入れた。
前年に限って受けていなかったのは、夫の橋本龍太郎氏が6月に急性腸管虚血で入院し、闘病の末7月1日に他界したからであった。元首相の死となるとその後の対応もたいへんだった。年の暮れまで忙しく、検診を受ける余裕がなかったのだ。
2年ぶりの人間ドック「3カ月後にもう一度」
久美子さんは都内の総合病院に行った。
ひと通り検査を終わって医師と面談した際、思いがけないことを言われた。「3カ月したらまた来るように」――。もしかしたら乳がんかもしれないと告げられた。しかし、
「私は楽天的なほうだから『3カ月もたてば消えているわ』と、あまり深刻に考えませんでした。触っても判らなかったし、それまで大病をしたこともありませんでしたから」
久美子さんは聖心女子大学時代、テニスで関東学生選手権の女子ダブルスで優勝するなど健康と体力には自信があった。アキレス腱の断裂で入院したことはあっても、病気での入院は経験がなかった。
そして、3カ月がたった。ドックを受けた病院を訪ねると、細胞診と超音波検査が行われ、結果は10日後に出ると言われた。
「10日後に行ったら、診察室に座ったとたんにお医者さんから『左の乳がんです』と告知されたんです」
娘にメールで「クロでした」
いくら“楽天家”とはいえ、ショックだったのでは。
「いえ。あー、私も一人前になったんだな、と思いました」
2人に1人ががんになる時代。夫の選挙活動などでもがん患者さんとかかわったり、相談を受けたりしてきたという。がんは遠いものではなかった。
浸潤性の乳がんで、なるべく早く手術を受けるように勧められた。
「まだ早期なので、手術を受ければ命に関わることはないということでした」
最初に伝えたのは同居していた三女の旦子さんだった。
「メールで『クロでした』と知らせました。この日病院に結果を聞きに行くことは伝えてあって、答えはシロかクロしかないから、メールで知らせると言って出てきたんです」
告知を受けたあと久美子さんは国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けた。がんセンターの医師も、なるべく早い手術の必要があるという見解だった。どこで手術をするか迷ったが、「ほかに病気がなければここで」というアドバイスを聞いて、がんセンターで受けることに決めた。
医師は、手術には全摘手術と温存手術があるが、がんの性質から判断して全摘手術が望ましいと話した。そして「どちらを選ぶかはあなたが決めてください」と言った。久美子さんは全摘を選んだ。
夏の予定をキャンセルして手術
医師は、翌7月の中旬には手術を入れることが可能だと言った。しかし久美子さんは9月以降にして欲しいと願い出た。
「夏はたくさん予定が入っていましたから」
7月にはメキシコに行く予定があった。
「日本・ラテンアメリカ婦人協会という団体の会長をしているので、招待されていたのです。そのあと8月には孫とアメリカに遊びに行く約束もあったので、手術のためにそれらを潰すのはしのびないという気持だったんです……」
そのことを医師に伝えて9月の手術を希望したが、正面に座る相手は難しい表情でしばらく考えたあと、「見つけた限りは早く手術をしていただきたいです」と医療者としての立場から反対した。さすがの“楽天家”久美子さんもそれに従うことにした。旅行の予定をキャンセルし、7月19日に手術を受けることを決めた。
手術を受けるにあたって、気になっていたのはリンパ浮腫だった。
それまで乳がんを経験した人たちから「腕が上がらなくなった」「手術のあと腕が丸太のように脹れあがった」と聞いていたので、そうなったら好きなゴルフができなくなると思ったのだ。
その懸念を医師に伝えると、ホッとする答えが返ってきた。
「ドクターがおっしゃるには、以前はリンパ節を切除していたのでリンパ浮腫になる人が多かったけれど、最近はセンチネル・リンパ節という“見張り役”のリンパ節を検査する便利な方法が確立されていて、そこにがん細胞が転移していなければ、リンパ節切除はしなくてもよくなったということでした。だからリンパ浮腫が起きるケースは格段に少なくなっていると。少し安心しました」
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