飽くなき好奇心を持ち続けたニュートリノ研究の第一人者 ノーベル賞最右翼だった物理学者の最後の研究は自らの闘病生活となった──。戸塚洋二さん(物理学者)享年66

取材・文●常蔭純一
発行:2012年11月
更新:2018年11月

  
戸塚洋二さん(物理学者)
享年66

ニュートリノの研究者として、最もノーベル賞に近い科学者の1人だった戸塚洋二さん。がんを患いながらも自身を観察し、最期のときまで、科学者である姿勢を崩さなかった。

ノーベル賞に最も近かった物理学者

「戸塚さんの研究者としてのリーダーシップには驚かされました」
と語る梶田隆章さん

宇宙の起源はどんなものなのか――。

物質はどのように成り立っているのか――。

科学好きでなくても、多くの人が抱く素朴な疑問だ。と、同時にこれらは人類にとって、もっとも本質的かつ根源的な謎でもある。その謎を解く手がかりとして、今、科学の最前線でもっとも大きな注目を集め、世界各国で研究が進められているのがニュートリノと呼ばれる素粒子だ。かつて少年のようなひたむきさで、このニュートリノの研究に取り組み世界をリードした1人の研究者がいた。

「新しいことへのチャレンジが大好きで、何事にも全力で取り組む研究者魂の持ち主だった。スーパーカミオカンデという観測施設で事故が起こったときに、あの人が再起に向けて皆を奮起させたエネルギーとリーダーシップは今も忘れられない。あの人が生きていれば、どんな新たな発見をしてくれたかと思うと残念でなりません」

と語るのは、東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章さんである。梶田さんが、あの人というのは、「ノーベル賞に最も近い研究者」といわれた素粒子物理学者で梶田さんと同じ研究所の元所長だった戸塚洋二さんだ。

「主人は好奇心旺盛な研究者でした」
と話す戸塚裕子さん

「好奇心が旺盛で、私がミシンを踏んでいると、ちょっと見せてとそのミシンを分解する。花や樹木を見ると、何であの花はあんな形なのかと子どものような疑問を持ち、そのことを調べ始める。研究が好きで、現場が好きで、3度の食事より仕事という人でした」

と、述懐するのは奥さんの裕子さんである。

その言葉でもわかるように、戸塚さんは素粒子の研究に生涯を捧げ、ニュートリノに重量があることなど、偉大な業績を残して2008年7月に大腸がんで他界した。恩師でともに研究を続け、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、「あと18カ月、生きていれば日本中を喜ばすことができたのに」と、自身に続く受賞が確実視されていた戸塚さんの死を悼む。

バンカラだった院生時代

ニュートリノの研究の歴史は浅く、その存在が確認されたのは1950年代のことである。太陽や宇宙空間に膨大な数のニュートリノが存在し、絶え間なく地球上に注がれ続けていることがわかったのも比較的最近のことだ。ちなみに今では私たち人間の体1cm2について毎秒660億個ものニュートリノがすり抜け続けていることも判明している。

高校時代にアインシュタインの著作を読んで量子力学に関心を持った戸塚さんが、この分野の研究に携わるのは東京大学の大学院で先述の小柴さんに師事したことがきっかけだ。もっとも同じ研究室でスキャナーと呼ばれる素粒子チェックの仕事をしていた裕子さんは、

「大学院生の頃の主人は、血のついた空手着を椅子に引っ掛けているようなバンカラでおおらかで楽しい人でした」と言う。

その戸塚さんが研究に本腰を入れ始めたのは小柴さんの命による6年間のドイツでの研究時代のようである。帰国後、戸塚さんはニュートリノ研究にのめり込む。

当時、日本では岐阜県飛騨の神岡鉱山で陽子崩壊の観察やニュートリノ発見を目的とした研究施設、カミオカンデの建設計画が持ち上がっており、戸塚さんは計画実施に向けて奔走する。ちなみに、この施設は3000トンの純水と1000本の光電増倍管というセンサーを利用して太陽や宇宙空間から飛来するニュートリノを検知することができる。

「光電増倍管の設置など、主要な研究装置は、私たち研究者が自らの手で設置する。戸塚先生も精力的に取り組んでおられました」(梶田さん)

1987年2月、その1カ月前にカミオカンデの操業を再開したばかりの戸塚さんたちに願ってもないチャンスが訪れる。

大マゼラン星雲というはるか宇宙のかなたで超新星爆発が起こったのだ。カミオカンデではそのときに放出されたニュートリノの観測に見事に成功したのである。そして、さらに1989年には、太陽から絶えず注ぎだされているニュートリノの検出にも成功した。

ニュートリノに重さがある

ニュートリノについて講演する戸塚さんニュートリノについて講演する戸塚さん

こうした研究成果を基に、戸塚さんは小柴さんらと、さらに大規模なニュートリノ観測施設の建設に着手する。カミオカンデの10倍以上の光電増倍管を備えたスーパーカミオカンデだ。戸塚さんは1996年から観測を開始したこの施設で研究に没頭する。

「千葉の自宅に帰ってくるのは、週に1度の東京での会議の日くらいのものでした。それも夜遅く帰宅すると、翌朝にはそそくさと飛騨に戻っていく。自宅はビジネスホテルのようなものでしたね」(裕子さん)

この施設では、従来の素粒子物理学を飛躍的に前進させる発見が行われた。

「それまでの研究で、現実に観測された太陽ニュートリノの量が理論上の数値の3分の1にすぎないことがわかっていた。スーパーカミオカンデの研究で、その観測値の正しさが実証された。そして、そこからニュートリノには実は重さがあることが判明したのです」(梶田さん)

こうした発見により、素粒子物理学は新たな時代の幕を開けることになる。実際それらの功績により、戸塚さんの師の小柴さんは2002年にノーベル賞を授与している。そして戸塚さん自身もノーベル賞受賞が確実視され始めた。しかし好事魔多しというべきだろうか。そんな絶頂の時代に、戸塚さんの体内はがんに蝕まれ始めていた。

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