日本骨髄腫患者の会 代表/堀之内みどり
最新の情報と会員の絆を武器に難病に立ち向かう

撮影:板橋雄一
発行:2005年6月
更新:2013年4月

  

堀之内みどり

ほりのうち みどり
東京都生まれ。東京女子大学英文科卒業。日本骨髄腫患者の会初代会長の堀之内朗氏とともに、会の開設に携わる。朗氏の没後、遺志を引き継ぎ会の運営に携わり、2003年10月代表に就任する。

俵  萠子

たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。



 会を作られたのは亡くなったあなたのご主人なんですね。

堀之内 そうです。なくなってもうじき5年になります。

 初めは健康診断で引っかかったんでしたね。

堀之内 血液検査でMタンパクが出ました。でもそのとき、病名までは告知されませんでした。仕事の関係でロンドンに赴任していたのですが「血液のがんです」と言われて、白血病なのか尋ねたら「そうではないし、まだ治療の必要はない。経過観察だけでいい」と言われました。それでそのままあまり気にしていなかったのですが……。

 治療も何もしなかったんですか? 薬を飲むとか、日頃の注意などもなかった?

堀之内 ええ。もともと骨髄腫というのはとても経過が長い病気で、少量のMタンパクが出ていても、それが治療を要する異常な値にまでいく人は3割程しかいないのです。残りの7割はそのままで一生を終えることができるのです

 7割も発症しない? ではMタンパクが多少出ても、値が低いうちは何の対応もしないというわけですね。

堀之内 そうなんです。骨髄腫は“寝た子を起こしてはいけない”といわれています。それで先生は発症しない確率のほうが高いので、骨髄腫であることを伏せていたのだと思います。自覚症状もまったくありませんでしたし。ところがだんだんMタンパクの値が上がり、異常範囲に入ってしまって、そこで「実は骨髄腫で治療が必要です」と告知されたのです。今思えばもっと早くに病名を教えてほしかったです。

 3割に入ってしまったのはどうしてだったんでしょう。

堀之内 働き過ぎだと思います。でも仕事が面白く、歯車の1つになっていましたから、そこから離れることはできませんでした。辞めて田舎でのんびり暮らしていれば良かったのかもしれません。

 30代といったら仕事も面白い時期ですし、会社からも必要とされていますからね。

堀之内 告知されてからは、しばらく通院で抗がん剤を服用していたのですが、薬の副作用で免疫力が落ちたために、中耳炎の炎症がなかなかおさまらなかったり、風邪から肺炎になり入院したりしました。そこで「入院して少し強い治療をしましょう」ということになったのです。8カ月入院しました。

 そんなに入院するんですか?

堀之内 通常ならばもう少し早いと思います。うちの場合は移植する前に抗がん剤治療をしたのですが、それが効かなかったから、長くかかってしまったのです。移植して一段落ついて、そこで初めてインターネットで骨髄腫についていろいろと調べましたが、日本のページにはほとんど治療の情報がない。ところが、アメリカにはたくさんの情報があるのです。インターネットで探るうちに世界的に有名な3人の先生がいらっしゃることを知り、すぐメールを送ってセカンドオピニオンを求めたのです。ネットで調べるとちゃんと先生のアドレスが載っているのです。そうしたらすぐ返事がきました。

 直接医者から返事が来るというのはすごいですね。日本では考えられないです。

Mタンパク=骨髄腫のがん細胞がつくり出す異常な免疫グロブリンをいう。骨髄腫では血液や尿の中にこのMタンパクがたくさん出る

渡米して日本支部の設立認可を要請

 それで渡米されたわけですね。

堀之内 はい。3人のうちの1人、臨床を中心になさっているロサンゼルスのデューリー先生が「1回診察をすれば日本の先生と連絡を取ってうまくアドバイスをしますよ」って言ってくださったのです。実はこの先生が、私たちの会の母体である国際骨髄腫財団(IMF)のチェアマンの方だったのです。

 そこで治療も受けたんですか?

堀之内 いいえ、診察をしていただいただけです。そのときに「この病気は10年、20年にさかのぼって原因があって複雑に絡んで発症するものだから、元来が弱い個体であったと思うしかない。今さらどうこう後悔しても仕方がないですよ」と言われました。それは慰めの言葉でもあるのですけれども、やっぱり本来弱かったのかもしれませんね。

 そうですか。単に仕事が忙しかったとか、ストレスが多かったとかだけではないんですね。

堀之内 そうですね。複合的な要因が絡んでいるのだと思います。

 同じ結論に至るにしても、やはり世界的な権威ある医者から言われると、観念して納得するしかありませんね。

堀之内 先生にお会いしたあと、IMFを訪ねました。IMFがもつ情報を何とか日本に伝えたいと思っていましたから、その場で日本支部の設立を要請し、快諾して頂きました。

 そうしますとあなたが主催されている患者会はこのIMFの日本支部ということになるのかしら。

堀之内 そうです。アメリカは広いので、本部として財団がロスにあり、あとはサポートグループといって、私たちみたいな患者会が各地に散在しているんです。本部はそこへ情報を提供してくれる。論文などの情報も、支部になればアメリカの国際骨髄腫財団が発表している最新情報を日本語に訳して同時にホームページで発信できるようになるのです。当時日本とアメリカの情報量には雲泥の差があり、主人はどうしても日本で苦しんでいる患者さんにもこの情報を届けたいと思っていたようです。

 ご自分が苦しんでらっしゃるのに他の患者の方を思いやれるのはすばらしいことですね。

堀之内 同じ痛みを知る者同士だからこそ、言葉に真実味がある。自分の経験を話すことで他の患者の方の役に立ちたい、と言っていました。

帰国後すぐにホームページを立ち上げる

 真っ先にやったことは何ですか?

堀之内 まずホームページを立ち上げました。biglobeで個人のホームページを作って、それで「患者会始めましたよ」と告知をして会員を募集して。それと、ロスの財団で作っている骨髄腫の治療ガイドブックを日本語に訳して、無料配布しました。それから会員を増やそうと知り合いの産経新聞の記者の方に「新聞に載せてくれ」と主人が頼んだのです。その後NHKの『おはようニッポン』で取り上げられたのですが、うちの患者会がネットを使った初めての会ということで注目されたようです。

 1998年ですから、まだまだインターネットが珍しかった頃ですよね。

堀之内 そうだったと思います。しかもハンドルネームで投稿する掲示板ではなくてメーリングリストでやりとりをしているので、Aさんから質問がでると、BさんやCさんからも、いろいろ書き込みがあり、情報が一気に広がります。命にかかわる情報をやりとりするのですから、発言には責任を持っていただきたいので、全員実名参加をお願いしています。家にいながらにして多くの患者の方や医療関係者と話ができるわけです。その後少し会員が増えて、読売新聞の医療ルネサンスに取りあげられたのですが、そのときの反響は大きかったです。

 そうでしょう。6回にわたって連載したんですよね。私もあれを読んであなたの会を知りました。反響というと電話やメールがたくさんあったのでしょうけど、あなたがお1人で対応なさったんですか?

堀之内 地域別に手伝ってくれる方を募集して対応しました。

 それでも大変だったでしょう? 今会員数はどのくらいになりましたか?

堀之内 900人くらいですね。

 日本での患者が9000人ほどだということですから、1割余りがおたくの会員ということになりますね。

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