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社団法人銀鈴会 会長/久永進
不可能を可能に持っていく努力
ひさなが すすむ
1971年、郵便局員在職中に喉頭がんを発症し、喉頭全摘術を受ける。術後、銀鈴会での食道発声訓練により、声を取り戻す。郵便局長を経て退職後、銀鈴会の活動に携わり、2001年銀鈴会会長に就任。
たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。
俵 今日皆さんとお会いして男性が多いのに驚きました。タバコを吸う方が多いからでしょうか。
久永 もちろんタバコの害もありますが、喉頭は男性ホルモンの影響を大きく受けますから、前立腺がんの次に男性に多いがんなんです。
俵 男女の比率はどのくらいですか?
久永 9対1くらいですね。
俵 そんなに多いんですか。知りませんでした。実は先ほど皆さんの発声訓練を拝見していたら涙が止まらなくなりましてね、私は乳がんの手術をして8年半になるんですけれど、乳がんの場合、手術のあと、腕が上がらないんです。洗濯物も干せなくてとても困るんですが、私がもっと困ったのは、講演会で黒板に字が書けないことでした。
久永 なるほど。
俵 上のほうに書けるようになるまでに2年かかりました。毎日毎日、壁に印をつけながらリハビリをやりました。そのときのことが思い出されました。今では何の不自由もなく上がるようになりましたから、皆さんにも頑張っていただきたいですね。
沈黙は暗闇の恐怖
俵 いろいろある病気の中でも、“声を失うって、生きている中でもっとも辛いことなんじゃないか”と思っていたんです。こちらへ伺ってみて、ほとんどの方が意思の疎通が出来る声が出ているし、こうして久永さんとは問題なく話ができますし“喉頭がんになっても、そんなに悲観しなくてもいいんだ”と考えが一変しました。
久永 そうですね。この病気は、患部を取り除いてしまえば予後は良好です。ただ最初“声が出ない”というのは言葉にならないほどの苦しみです。初めてここに来る方は皆さん暗く落ち込んでいます。
アメリカの患者会のお祈りの中に“天なる神様、暗黒の沈黙から救い出してくださったことを感謝します”とあるんですね。沈黙は暗闇の恐怖だと。病院で麻酔から目が覚めると電気はついていて明るいです。でも声が出ない。明るいのに暗闇と同じ恐怖を感じるんです。怖いのに『助けて』と言えない。
俵 その恐怖は当事者にしか分からない強烈なものでしょうね。久永さんは何歳で喉頭がんになられたんですか?
久永 42歳です。
俵 ずいぶんお若いですね。手術をしてどのくらい経って発声の訓練を始めたんですか?
久永 すぐですよ。20年以上前ですが、当時は手術が終わるとコバルト照射を1カ月くらいやるんです。その間に歩けるなら訓練に行ってよいと許可が出ましてね。ここに来てみると皆、声が出ている、喋っている人がいる。希望とやる気が湧いてきました。40歳くらいですと仕事を辞めるわけにはいきませんから。
それからはここへ来て必死に勉強して、1カ月くらいで声が出るようになった。で、郵便局に戻ったら『なんだ、声が出てるじゃないか。だったら仕事に出てこい』って言われてすぐ職場に戻りました。ちゃんと喋れるようになるまでには3カ月かかりましたけど。
俵 3カ月で喋れるようになるんですか?
久永 喋れます。中村名誉会長(銀鈴会2代目会長)も3カ月で喋れたので、それが発声訓練期間の基準になったんです。もちろん個人差はありますが頑張れば3カ月で喋れるようになります。
発声の指導員も勉強を重ねて切磋琢磨する
俵 中村名誉会長が声を失った当時はこういう会がなかったから、自分で一生懸命勉強して、食道発声が普及したと(先ほど講演で)おっしゃっていましたね。
久永 いえ、会はあったんです。しかし食道発声という概念は普及していなかった。当時は、タピア笛という人工喉頭を使っていたんです。
俵 それはいつ頃まで盛んだったんですか?
久永 この会が設立された当時、50年ほど前は、ほとんどがそれだったんです。でも衛生的ではないとか格好が悪いなどの理由で最近ではあまり使われていません。そのうちドイツで研究されていた食道発声が日本でも普及しはじめて、現在のように食道発声が主流になった。
俵 現在、会員は何人くらいですか?
久永 1600人位です。
俵 そんなに! 日本中でですか?
久永 いえ東京地区だけです。全国各地にこのような患者会があります。厚生労働省が障害者の補助金を県ごとに出すので、県ごとに患者会があるんです。
俵 発声訓練を専門にやっている会はここだけですか?
久永 全ての会です。というのも、こうした患者会というのは、この発声訓練をやるための会なんです。各会とも発声が上達した人が指導員として他の患者さんに教えていますよ。
俵 発声訓練の指導員はボランティアで?
久永 そうです。それはこういうことなんです。ヨーロッパやアメリカでは教えるという行為は、言語聴覚士と競合するので法律で禁止されています。資格がないと教えられない。日本でも4年前にその法律が出来たんですが、我々はずっとこの活動を続けているので、“節度あるボランティアで活動する限り、今まで通りの訓練を続けても良い”という取り決めが出来たんです。
俵 指導員と一口に言っても難しいですね。指導者としての資質が求められますから。中には練習が辛かったり、指導員の方に怒られたりとかでドロップアウトしてしまう方もいるのではないですか?
久永 その通りですね。ですから終わったあと、指導員たちを集めて反省会をし、さらに月に一度は指導員自身の勉強会をして切磋琢磨を心がけています。
俵 私は55歳で自動車の運転免許を取ったんですけど、教える人があんまり意地悪だったり、怒鳴ったりされるとめげちゃうんですよ。まして声が出なくてショックを受けているときに、怒鳴られたりしたらやる気も失せるんじゃないかと思って。指導員の方の影響は大きいでしょうね。
久永 そういう意味では指導員の中心的役割を果たしている新美さんという女性は、皆さんのすばらしいお手本になっているんです。
彼女はいくら練習しても声が出なかった。プログラムの基本は3カ月なのに彼女は1年もかかったんです。彼女が“もう食道発声を諦めて*ELクラスにいこうか”と断念しかけたとき、駅で階段を上っていたらふとした拍子に『あ』って声が出た。あきらめないで続けたことで声を手に入れたんです。だから『3カ月というのは一つの目安であって決して諦めちゃいけない』と彼女が言うと説得力があります。うまく声が出なくて意気消沈している人も、彼女の励ましでやる気を取り戻しています。
俵 それはすばらしいですね。何ごとも諦めたら終わりですから。
*EL=中に乾電池が入った筒状のバイブレーターで、顎の下にこれを当てて口を動かすと音が出る。 声の質は抑揚のない機械音だが、明瞭度は悪くない。短期間で習得できる
医療技術の進歩により助かる患者が増えた
俵 先ほど会員さんが喉の下の穴を見せてくれたんですけど、お風呂に入るときはどうするんですか? 温泉に入る会の会長としては非常に気になります(笑)。
久永 その穴を気管孔といって喉頭を全摘した人はここで呼吸するんです。お風呂に入るときは息を止めて気管孔を塞ぎます。
俵 息を止めて? その間に肩まで入るんですか。その穴に水が入ったらどうなるんですか?
久永 中に空気があるから、ちょっとなら大丈夫ですけど、程度によっては溺れてしまいますので注意が必要です。
俵 苦労しますね。発声訓練のときに皆さんここを押さえていましたけどそのほうがうまくいくんですか?
久永 喉と気管が切り離されているために肺に入った空気を声にすることができないので、食道発声のためには呼吸とは別の空気を取り込むんです。しかし『空気を呑んで』と言うと深呼吸して気管孔から息を吸ってしまう人が多いんです。気管孔からではなく“口で息を呑み込む”感覚を覚えるために穴を押さえるんです。
俵 そういうことですか。難しいでしょうね。
久永 いや、練習して感覚を身につければ、どうということはありません。自転車に乗れない人が一度乗れるようになれば、もういつでも乗れるようなものですよ。
俵 こんなことを言うと“夢のような話だ”と言われるかもしれないんですけど、手術をしても声が出るような方法はないんでしょうか。
久永 最近になってレーザーメスで声帯にあるがんだけを切り取る手術が進んでいて、この手術だと質は落ちますが、声を残すことが出来る患者が増えてきました。今まで全摘が必要だった患者の4割はこの手術が可能だそうです。ですから全摘の患者はずいぶん減ってきており、以前なら亡くなっていた方たちが助かっています。最近は食道や喉頭を取っても胃をつり上げるなどして治ってしまう人が本当に増えました。ここへ来る患者数が減らないのは、重症の方が助かるようになり、そういう方々が増えたわけです。
俵 喉頭を全摘しなくても良い患者は増えてきているけれど、逆に声を失う人も増えているということですね。しかし、一番の理想は早期発見して、声帯を取らずにすむことですね。
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