財団法人財団法人がんの子供を守る会 会長/垣水孝一、ソーシャルワーカー/近藤博子
がんと闘う子供を育み、サポートする社会環境を目指して

撮影:板橋雄一
発行:2004年10月
更新:2013年4月

  

垣水孝一

かきみず こういち
1926年生まれ。52年東京大学法学部卒業。同年大蔵省入省。73年、三男祐君を神経芽細胞腫で亡くしたことをきっかけに、がんの子供を守る会の活動に携わる。同会評議員などを務め02年理事長に就任する。現在印刷朝陽会会長も務める。

近藤博子

こんどう ひろこ
がんの子供を守る会で相談を担当するソーシャルワーカー。大学卒業後14年間小学校の教員を務める。夫の転勤でドイツにて4年間を過ごしたのち、日本社会事業大学に編入する。平成6年より会のソーシャルワーカーとして働く。

俵  萠子

たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。



死亡率が30パーセントまで激減した小児がん

 垣水さんが“がんの子供を守る会”に関わるようになったのはいつ頃ですか。

垣水 三男が3歳のとき小児がんで亡くなってからですので、かれこれ30数年になりますね。私たち夫婦は子供にもがんがあることを知らなかったんです。がんは大人が罹るものと思っていました。

当時友人には小児外科の著名な医者もいたのですが、そもそも小児外科とは何なのかさえも知らないで、子供が怪我をしたときに行く所程度の知識だったんです。ところが小児外科医とはまさに小児がんの手術をするお医者さんだった。

 私も小児のがんについてはほとんど知りませんでした。

垣水 妻は“知らなかったから治療が遅れ子供を死に至らしめてしまった”と思い込んでしまったんです。『友人にそんな大家がいたのに子供を死なせてしまった。あなたが一言、小児外科とは小児がんの手術をするのだと言ってくれればこんなことにはならなかったのに』と悔やんで悔やんで、私を責めました。

 恐らく、苦しみが大きすぎて自分だけでは抱え切れなかったんでしょう。あなたにあたるしかなかったのかも知れません。

垣水 その妻が10年程前にアルツハイマーになってしまったんですね。それで数年前に妻の物を整理していましたら、その当時のことを書いた手記が出てきたんです。

 それを自費で出版なさった。

垣水 はい。でも皆に反対されました。子供にも親戚にも友人にも。多分妻も判断能力があったら絶対出すことを肯じなかったと思いますよ。でも嘱託医の先生やここにいる近藤さんなどは『ぜひ出して下さい』と言ってくれたんです。

近藤 子供を失くした親の気持ちがどれほどのものであるかを公表することによって、同じ境遇で苦しむ親たちの支えになると思ったんです。経験していない人には分からない、分かち合えない思いですから。

垣水 私は、小児がんに対して無知であったことの子供への罪滅ぼしとして、『子供にも怖いがんがあるんですよ』ということを、広く世間に訴えたかったんです。ただ当時の小児がんの死亡率は95パーセント程もあり、早期発見したからといって助かったわけではないですが。でも今は医学の進歩によって、死亡率は30パーセントをきるほどに激減しています。

近藤 これは驚異的な数字です。1991年に骨髄バンクが設立され、骨髄移植が血縁でなくてもできるようになったことも大きく寄与していると思います。

垣水 ですから今こそ早期発見が大事なのです。息子の死を無駄にしないためにも多くの方に知ってもらいたかったんです。

世間には「バカの壁」ならぬ「がんの壁」が存在する

 本人が会員ではないのですから患者会というよりは“患者の親の会”になりますね。

垣水 うちの会は“がんの子供を守る会”として昭和43年に設立されました。お子さんを亡くされたうちの会の初代、2代目の2人の理事長が病院にお礼をしたいと申し出たら、ちょうど小児科の先生がアメリカから帰国したばかりで『向こうには小児がんを支援する会があるから日本でも作ったらどうか』と提案されたのがきっかけだったようです。そのいきさつがNHKで報道され、富国生命の会長さんが共鳴してくださって10年間で10億円の寄付をしていただきました。その基金をもとに財団法人となりました。

 そんなことがあったんですか。メディアの力は大きいですね。会としては、主にどのような活動をなさっていますか。

垣水 当初はほとんどの子供が亡くなっていましたから、慰め、励ましなどの相談対応がほとんどでした。今は生存率が高くなってきていますので、活動内容もかなり多岐にわたっています。

近藤 具体的には医療や生活面での相談、若いご家庭が多いので経済面での援助、遠隔地の家族のためのペアレンツハウス、病院へのボランティアの派遣、病院で治療している子供たちを楽しませるためのクラウンドクター活動、そして小児がんへの偏見をなくすための広報活動などです。

 そうした活動は、他のがんの患者会とはかなり異なりますね。

垣水 そうですね。でも、子供ががんになってしまって狼狽している親御さんへの相談が一番大事な仕事であることは確かです。また『生存率が高くなったからそれでよかった』ではなく、子供は成長していく過程でさまざまな問題にぶつかります。

いじめもその一つです。例えば抗がん剤治療をしたら髪の毛が抜け落ちますね。子供は見たままを言ってしまって、それがいじめのようになる。また就職時、結婚時でもがんであったと伝えることに躊躇があります。

 それは私もよく分かります。先日江戸東京博物館で友人の田原節子さんと絵門ゆう子さんの3人でトークショーをやったんです。“がんにもらった素敵な人生”というタイトルで。そのときに期せずして一致したのは、最近売れている『バカの壁』という本じゃないけど、「がんの壁」ってあるよねっていうこと。

がんを公表した途端に、口では『お気の毒です』とか言っときながら『じゃ、来年の仕事は辞めましょう』(もうそんなに長くないからこの仕事は他の人に頼もう)とか、『体力の心配をしなければいけないから、もっと元気な奴にやらせよう』と思っているフシがありありと見えるわけですよ。そういう形でがんの壁が作られてしまう。それは口先の親切とは裏腹のもっとも薄情な仕打ちだと思います。

ですからがんを公表すべきかどうか、公表してしまったらいろんな面で支障が出るんじゃないか、という危惧は今でもありますよ。

垣水 まさにそうなんです。だから私の子供達はこんな本を出すことを嫌がったんです。一つはママがかわいそうだということのほか、自分の弟ががんで死んだと世間に知られたくなかったのだと思います。でも私は偏屈なのかも知れないけど、だからこそ出して世間の偏見と闘うんだ、という思いがありました。

 まだまだ日本では、家族にがん患者がいると皆がその遺伝子をもっているんじゃないかと思ってしまう。特に地方はそれが強いですね。だからがんであることを黙っている。ある県では私が講演会に行っても誰も私のやっている患者会に入会しようとしない。入会したことが近所にばれると娘の結婚に差し支えるとか、就職に差し障りがあるとか思うわけです。

ですが、統計によれば日本人の2人に1人ががんに罹る時代です。偏見を抱いているご本人ががんになる可能性も大いにあるわけです。そろそろそういった偏見から脱却すべきだと思いますよ。

近藤 そうですよね。私も各支部に行って話を聞いていると『ああ、東京だけでものを考えてちゃいけないな』と強く感じることがあります。“いろいろな情報は知りたいからがんの会に入りたいのだけれど入れない”という、世間の偏見との狭間で揺れている様子がよく分かります。

子供への告知にしても東京ではかなり定着してきていますけど、地方ではまだまだです。親の立場からすれば“この子をがんにしてしまった”という自責の気持ちが強いのですが、子供からすれば結局“がんであることを背負っていくのは自分”なわけです。結婚するとき、相手の両親には言わなくてはならない、とか。子供ですからこれからの長い人生に超えなければいけないハードルがたくさんあるんです。それに対応しようと発足したのがフェロートゥモローの会です。

ペアレンツハウス=アフラックの寄付金と医療施設等施設整備費国庫補助金を得て2001年に設立。遠隔地から上京して専門病院での治療を受けるために、慣れない土地での通院生活を余儀なくされる子供とその家族が安心して滞在できる専門施設
クラウンドクター=クラウン(ピエロ)になって厳しい治療や手術などを受ける子供に、笑いや楽しみのなかで安心を与える専門の人。がんの子供を守る会では、テレビのキャラクターやミュージカルなどを病院へ送り届けている


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