鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
ルポライター/イラストレーター・内澤旬子さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2011年6月
更新:2013年9月

  

極貧イラストルポライターが乳がんに罹って経験した「とても奇妙な」物語
がんを機に、身体の声に耳を傾けたらすべてが好転しました

内澤旬子さん

うちざわ じゅんこ
1967年生まれ。ルポライター・イラストレーター。日本各地、海外各国を歩き、製本、印刷、建築、屠畜など、さまざまなジャンルを取材したイラストルポで知られる。著書に『先生の書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』(河出文庫)『世界屠畜紀行』(解放出版社)『おやじがき 絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版)『身体のいいなり』(朝日新聞出版)など

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数


がん患者さんの闘病記は多いが、ルポライター・イラストレーターの内澤旬子さんの乳がん(粘液産生がん)闘病記『身体のいいなり』は、一種突き抜けた作品である。極貧のフリーランサーだった内澤さんが、乳がんに罹り、がん治療の副作用を和らげるため始めたヨガがきっかけで以前から不調だった体調が良くなり、仕事運も開けてきたという。

鎌田  「内澤さんはがんを突き抜けて生きていくタイプですね。こういうスタイルもあるのかな、と思います」

内澤  「諸々のしがらみを『私はがんですから』と言って徹底的に切りました。そうしたらものすごくさっぱりしました」

左胸にしこりを発見粘液産生がんと診断

写真:内澤さんのようながんの受け止め方もある

「内澤さんのようながんの受け止め方もあることを、読者に紹介したいと思ったんです」と話す鎌田さん

鎌田  がん患者さんの体験記や手記の多くは、がんと闘いながらも、夢や希望を持って生きるという内容のものが多いのですが、内澤さんの『身体のいいなり』(朝日新聞出版)を読むと、ちょっと違う。まず、乳がんと診断されたときの心境が、「私は癌という致死性の病名を、この膠着状態を断ち切るものとして歓迎したのだった。そしてこれが人生の終わりの訪れであるのなら、(中略)こんなに清々することはない」と書かれている。どんな女性なんだろうと、お会いしたいと思ったわけです(笑)。

内澤  まさか鎌田先生に読んでいただけるとは思いませんでした。きょうはお叱りを受けるのではないかと、びくびくしてまいりました(笑)。

鎌田  いやいや、そんなことはありません。内澤さんのようながんの受け止め方もあることを、読者に紹介したいと思ったわけです。乳がんと診断されたのは6年前ですね。

内澤  2005年の4月に左胸にしこりを見つけ、病院で針で組織を取って診ていただいたところ、粘液産生がんの可能性が高いと言われ、切除手術を受けました。

鎌田  1回目は部分切除ですね。

内澤  はい。部分切除をして病理検査をした結果、悪性だけれど非浸潤性だと言われました。ただ、他にも同じようなしこりが残っているということでした。実は、その2年前に乳房にしこりを見つけ、マンモグラフィ検査を受けたのですが、石灰化した白い点がいっぱい散らばって写っていました。しかし、そのときは先生が、「これは動かないものかもしれないから、このままにして様子をみよう」と言われて、そのままにしておきました。それが2年後に、粘液産生がんと診断され、粘液を出して大きくなったものだけ切除したわけです。残ったしこりについては、ホルモン療法をやる選択肢もありましたが、何となく怖かったものですから、そのままにしました。

鎌田  本を読んでいて、素直な人だと思ったのは、お金がなかったからそのままにしておいた、というような書き方もされていたことです(笑)。残っているしこりを、ホルモン療法で治療してもしなくても、どちらでもいいのなら、お金がないからやめておこうと。

内澤  絶対にそう思いました(笑)。生活するのがやっとのフリーランスで、月々の収入が10万円を切ることがざらでしたから。私は人付き合いも良いほうではありませんし、当時、連載も専属の雑誌も持っていなかったものですから、仕事がブツッと無くなることがあったのです。若干の貯金はありましたが、イザというときのために、できれば使いたくないと思いました。しかし、最初の手術のあとにホルモン療法を受けなかったいちばんの理由は、副作用がつらいと聞いていて怖かったからです。

ホルモン療法を断念し両胸の全摘手術を決断

鎌田  その後、またすぐにしこりができた。

内澤  8月に今度は右胸がごろごろし始めました。大きいしこりが3個ほどできていました。それでまた切除手術をしたのですが、残ったしこりを放っておくと、どんどん大きくなるということで、10月ごろからホルモン療法を始めたわけです。

鎌田  そのクスリが身体に合わなかった。

内澤  最初は良かったのですが、冬を越す2月ぐらいから、だんだん合わなくなりました。最初はのぼせがひどくなり、次に耳がおかしくなりました。その後、坂を転げ落ちるように具合が悪くなり、もうクスリはいいと思い、2007年12月に全摘手術を受けることになったのです。

鎌田  ホルモン療法は効かなかったんですか。

内澤  2度目の手術後は、しこりは大きくならなかったので、効いてはいたと思います。

鎌田  効いていたけれども、クスリの副作用に耐えられなくなった。

内澤  そういうことです。

鎌田  全摘手術を提案されたときは、どんな気持ちでしたか。

内澤  いやぁ、私は最初のときから「切っちゃえ、切っちゃえ」という気持ちになっていましたので、全摘を気にしてくださっていたのは、むしろ先生のほうです。私は子どもがいなかったので、先生としては少しでも残して母乳を使わせてあげたいと、心遣いをしていただいたようです。私自身は子どもを産む気はなかったのですが、短い問診の中では、それを伝えることもできていなかったのです。

鎌田  本には、もともと貧乳だから、残さなくてはならないという気持ちはあまりなかった、と書かれています(笑)、それは屈折した表現ではなく、正直な思いだった。

内澤  そうですね。人それぞれで、私は乳房に対する思い入れはありません。温存していつ大きくなるとも知れない爆弾を抱えていくのは面倒だ、という気持ちもありました。ただ、乳首が無くなるのはさすがにショックでした。

鎌田  先生も乳首は残したいと考えていたんですか。

内澤  いえ、先生は母乳を使う必要がないのであれば、危険要素はさっさと取りたいという、わりと切りたい派の人でした。私も、乳首に対するこだわりはありましたが、危険要素はなくしたほうがいいのであれば、最終的に全摘もやむを得ないと考えました。

鎌田  すごい潔さだね。

内澤  そうですか。他の人に聞くと、みんなすごく温存に走るので、びっくりします。

シリコン入れ再建したが左右の位置がちぐはぐに

鎌田  全摘するときには、再建することが頭の中にあったのですか。

内澤  自分の頭の中にはなかったのですが、先生が「再建しちゃおう」と積極的に勧めてくださいました。それで「ああ、そういうものか。それでいいのかな」みたいな感じでした(笑)。それに、本来はシリコンを入れる乳房再建は保険の適用外だそうですが、保険価格でできるということでしたから。

鎌田  親切な病院ですね。美容整形でやると200万円ぐらいかかりますからね。

内澤  はい、それは無理です(笑)。

鎌田  本を読むと、再建してくれた先生が他の病院に移って、コミュニケーションがうまくとれず、ぎくしゃくする話が書かれていますが、再建した左右の乳房が上下に少しずれたそうですね。

内澤  その先生は月に1回、元の病院に来てくれますが、それでは術後のケアが十分にできないのです。再建手術は術後1~2週間のケアが勝負で、その間のマッサージが大事ですが、若い経験不足のドクターでは対応できません。再建乳房は1~2カ月経過したら、直すのが難しいのです。いまも私の乳房はずれたままです(笑)。

鎌田  それにしても、内澤さんはあっけらかんとしていますね。

内澤  気にしてもしようがないですから(笑)。

鎌田  もともとそういう性格ですか。

内澤  そうです。

鎌田  その性格が救っている面があるのかなぁ。

内澤  人見知りをし、人付き合いも下手ですが、ダメなものはダメと割り切る部分はあります。

鎌田  先ほど少し触れたように、内澤さんが粘液産生がんと診断されたとき、生活が膠着状態に陥っていた最大の要因は、フリーランスという仕事からくる貧困だったわけですが、それにがんが加わって、さらにつらい状況に追い込まれたわけですよね。

内澤  手術の予後が悪かったために、てきぱきと働けない状態でした。長く歩くことができない。取材に行けない。要するに、仕事を受けられない状態がしばらく続きましたからね。

鎌田  もともと人付き合いが悪く、わずかな仕事でかろうじて生計を立てていたのが、術後、体調が良くないために動くことができず、ますます仕事が減った。悪循環だね。

内澤  体力が落ちると、仕事を受けるのが怖くなるのです。もともとイラストの仕事が多かったのですが、イラストの仕事は細かな作業を長時間続けますから、体力が必要なんです。ですから、そのころからイラストの仕事を減らし、文章を書く仕事にシフトしました。

乳がんになって開き直ったら

写真:鎌田實さん

鎌田  しかし、生活がいよいよ大変になったにもかかわらず、がんの手術を行ったことによって、それまでのアトピーとか、腰痛とか、低体温といった持病が改善され、体調が次第に良くなったそうですね。なぜなんだろう。

内澤  自律神経の問題といいますか、気持ちの問題が大きかったと思います。体調の悪い原因の半分ぐらいは、ストレスだったのではないかと思います。それが、がんになって開き直ったことによって、解消されていったような気がします。もともと他人に気を遣うような人間には思われていませんが(笑)、これでも自分なりに気を遣っていて、「これはできません」となかなか言うことができず、ストレスをためていた部分があります。そういうしがらみを、「私はがんですから」と言って、徹底的に切ったのです。ちょっとイヤなもの、ちょっと面倒なもの、ちょっと煩わしいもの、そういうものを全部切ったら、ものすごくさっぱりしました。

鎌田  そうか。私の本に『人は一瞬で変われる』(集英社)という本がありますが、その中に、タイプAとタイプCの人の話が書いてあります。タイプCの人は、いろんな問題が起きたとき、自分が悪いんじゃないかと思ったり、言いたいことを言わないで自分を責めたりする人ですが、そういう人ががんになりやすいといわれている。逆にタイプAの人は、ものすごくエネルギッシュで、人を攻撃したりしてがんがん仕事をする人ですが、こういう人は心筋梗塞とか脳卒中とか、血管性の病気になりやすいといわれています。

AとCの中間にいるタイプBは、言うべきことは言いながら、人を攻撃するようなことはしないで、まあまあバランスがとれて、やるべきことはやるタイプの人です。私は、タイプCの人はBになれなくても、Bに近いところへ行けば、かなり変われるんじゃないかと思っているんです。いま話を聞いていて、タイプCの人だった内澤さんは、がんになったことによって、BとCの境界型のところに入り込んだのかなぁと感じました。

内澤  みんながイヤなものをイヤと言うのは許されますが、感覚的にイヤなものは受け入れないというのは、一種のわがままですよね。しかし、「まあ、がんですから」と言えば許されるかなと思いまして(笑)、随分わがままになりました。

鎌田  いいねぇ(笑)。

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