ドイツがん患者REPORT 83 乳房インプラントのスキャンダルが規制のきっかけ EUの新医療機器規制は本当に患者のため?

文・イラスト●小西雄三
発行:2021年9月
更新:2021年9月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

5月末から、「EU新医療機器規制」が始まりました。医療機器は検査データを厳格に審査し、パスしなければ認可されません。しかし、需要の少ない医療機器は、「新規制によってコストが高くなりすぎて製造中止に追い込まれ、患者が不利益をこうむるのでは?」と、8月4日、国営放送局ARDの「プルス・ミヌス」という番組で問いかけていました。コロナ以降、やっとドイツで現実と理想を対比して、いろんなことを冷静に判断検証しようという風潮が出てきたようです。

大人用サイズの機器で子供の手術する事態に

ミュンヘン大学病院小児外科主任のO.ミュンスター教授は、「食道内を広げるステント(Stent)の、子供用サイズが供給されなくなり、患者に最良の手術ができなくなってしまいます」

患者の安全性を高めるための新規制なのに、それが今よりも患者の治療環境を悪くさせるというのです。同大学小児外科には希少疾病や奇形の専任医師がいます。

小さな患者のケリケは食道が閉鎖した状態で生まれたため、その直後に最初の手術を受けました。そして手術した部分が細いまま今に至っています。そのため、教授は食道を拡張するステント手術をしました。これで食道の機能を2カ月間は維持できます。ここで問題になるのは、ケリケは2歳にも満たず、体重はわずか8㎏しかないことです。少し前までは小児用ステントがありましたが、製造が打ち切りになり、しかたなく大人用のステントを装着しました。

しかし、術後のチェックで問題が発覚。「ステントの位置が深すぎたため、噴門部の開閉が正常に行われていない。長すぎるステントを正確な位置に装着させるのは困難なこと。子ども用が入手できればいいのですが」という。

僕は「細工して、ステントを短く切れないのかな?」などと単純に思ってしまいます。しかし、ステントはほんの1例で、EUの新医療機器規制法によって今後もっと多くの機器が消えるのです。

5月末より医療機器の認可が厳格化されました。「それって良いことじゃない?」と思いがちですが、もう何十年も市場に出回っている機器も例外なしに2024年までに新たに認可を受けなければならず、そのコストが問題になっているのです。

企業が新たに認可を得るには多岐にわたる膨大な事務作業がネックに。ID化は世界的なトレンドですが、過去に多くの医療機器を開発してきたドイツでは簡単にはいかず、かなりのコストが生じます。中でもとくに重要視されているものに手術器具や人工関節があります。

ドイツのこれまで開発してきた機器も認可が必要

エアランゲン近郊にあるペーター・ブレーム社は、義足を始め多種多様の人工関節を開発製造しています。扱う製品は12,000種を超えますが、新規制をただの1つもクリアしていません。

経営代表M.ミヒェルは「私たちの製品は、長年開発・製造していて顧客からの信頼を得てきました。私たちの製品は、医療のニッチ(隙間)に特化され、かなり特殊な用途に限定されています。しかし、そのような製品でも特例はありません。問題はここにあります。限られた人材を認可のための事務作業に回さなければならず、過重な負担になっています」

そういった理由で、会社は全製品の中からどれを残し、どれを製造中止にするかの選択を迫られます。例えば、膝関節が麻痺している患者用のインプラント。年間販売数が200くらいでは、製造中止は会社としては仕方がありません。

認可には、もちろん十分な研究データの提出が不可欠。M.ミヒェルは「認可のために急上昇するコストを販売価格に上乗せすることもでるが、営業的には現実的ではない」と。

ドイツの健康保険は「民営」(ここが日本と大きく違う)で、理由があっても突然の値上げは難しく、代替品や違った治療法を求められる可能性が高くなります。そしてそれ以上の問題は、長年に渡って製造しているため、開発当時の充分な研究データがもはやないということ。

僕はこういうときに「人手が足りないなら新雇用すればよし。費用は税金で賄えはよし。雇用も増えて安全性も増してウィンウィンだ」と、政治家が言い出すかもと思ってしまいます。脱原発時に「ドイツは太陽光パネル立国になる」と、将来の予測も立てず言っていた政治家のように。

新規制法ができたきっかけ

2012年にフランスで起こった乳房インプラントのスキャンダルが、この新規制法の発端となりました。フランスの会社が医療用の高品質のシリコンの代わりに、安価で低品質の工業用シリコンで乳房用インプラントを製造。その結果1,000人以上の女性が再手術を受ける大騒ぎに。これをきっかけに、EUはより厳格な医療機器認可へと舵を切ることになったのです。

もちろん、製品の安全性は重要なこと。しかし、極端すぎるのはどうか、と今では感じます。このスキャンダルが起こったとき「これは特殊なケースではなく、どこの会社ででもあり得ること」と、人々が不信感を持ち「安全のためには国の徹底管理しかない」と、極論がまかり通るような風潮に。医療機器の製造管理の先進国フランスで起きたことにショックを受けたということもありました。

医療機器開発とそれに対する安全性

長年医療品業界を注視してきたWifOR(医療の質・安全)学会のD.オストヴァルド教授は「法による規制を行うことは正しくて賛成だが、その手法のために本来の目的である患者の利益がないがしろにされていないか?」といいます。

「患者の安全性を重視するのは当然だが、行き過ぎた安全性を追求するがゆえに、患者を救えないのなら、それに意味があるのだろうか? 今回の新規制法は、安全性に過度に重点を置きすぎている。そのせいで、最悪の場合は患者を死に追いやることになってしまう」と続けた。

これでは本末転倒だ、ということを最近よく見聞きします。極論を言う人はどこにでもいます。感情論は僕も否定はしません。しかも、極論のほうが納得しやすいのは確かです。ただ、極論がもたらす結果は、冷静な判断ができていない分問題が多そうです。

新規制法は患者だけではなく、医療業界をも危うくする

この新規制法の影響が「医療業界にとって甚大であるのに、ドイツ経済省が対応をどう考えているのか疑問だ」とD.オストヴァルド教授。

中小の医療品業界は年間150億ユーロを生み出し、20万人が従事。さらに、輸送などの関連事業を含めると320億ユーロ、45万人が従事する巨大産業。それらが今、新規制法により危険に直面しているというのです。

「我々のような中小企業には、EUからの要求は重過ぎる。修正がなければ、経営が困難となり、競争力を失い、ドイツの患者は治療状況の悪化を受け入れないといけなくなる」と予想する。

先述のペーター・ブレーム社は、ここを乗り切るには新たな雇用が必要で、開発チームのほとんどが製品の資料整理やデータ集めの仕事に追われているため開発プロジェクトも延期。ミヒェル代表は「製品開発を犠牲にして、今までのようにやっていけるのだろうか? このままでは、開発は死に絶えてしまう」と心配する。

EUからの返答とは

「新医療機器規制法は5月末から施行が開始され、問題なく進むことを期待している。この新規制法は、開発や競争力を高め、医療機器業界の強力な市場を維持させる」との、あまりにも予想通りのお役所的EU議会の返答に、僕はびっくり。

このEUの返答に対して、当然多くの企業は反発。

M.ミヒェルは、「これでは事務処理が会社を潰してしまう。長年使用されてきたものや希少疾病用の機器には特例が必要。そうでなければ新規制法は意味をなさない」

経済専門家も「医療品業界の経済的な損害だけでなく、健康上の損害にもなる。EUに適合しなくてはいけないが、その目的が患者の安全ならば、治療を悪化させるものであってはいけない」と法の修正を求めています。

EU諸国は、格差が大きく、結局この問題は格差を無視して規格を作ろうということに無理がある話で、理想はわかるが、患者の利益を守ろうと規制を強化した法律が、皮肉にも患者の利益を損なうことになる。本当に意図したことが、意図したようにはいかない難しさを感じます。

この新規制法ができる要因となったスキャンダルを僕も覚えています。乳がんの乳房再生だけでなく、美容整形の被害者がマスコミによく取り上げられていました。

「悪いことができないように、すべて管理して取り締まれ」という極論が、当時は当たり前のように思われ、それに反論する声は僕には聞こえてきませんでした。これに僕は何を期待していたのか、今となっては覚えていませんが。

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