ドイツがん患者REPORT 85 「続・コロナがうちにやってきた」家内がブレークスルー感染して

文・イラスト●小西雄三
発行:2021年11月
更新:2021年11月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

PCR検査を受けに行く――8月30日(月)、家内のコロナ感染が判明してから我が家の生活は一変しました。

娘がすぐ予約を取ってくれ、翌日午前9時に初めてPCR検査を受けに行きました。検査会場はいかにも即席なプレハブの簡易な作り。感染者数は一進一退という状況(新たな感染者数6,823人/8月30日)で、「混んでいるだろうな」と予想していたら、会場の閑散とした様子に拍子抜けでした。

受付でIDカードとワクチン接種の手帳を見せ、次の場所ですぐに検査です。喉の奥を綿棒のようなものでこすり取りました。会場に入ってわずか5分、検査をしたのは、いかにもアルバイトという感じの3人の若い子たち。

抗原検査も同時に受けました。PCR検査の結果は明日までにはわかるけど、抗原検査は2時間後とのこと。QRコードを携帯で読み取れば、検査結果がわかるとのことでした。

僕は濃厚接触者であっても感染者ではないので帰りに銀行に寄り、当座の食料品をスーパーで買う。感染の可能性を考えると、少し引け目を感じましたが……。義務化されている医療用マスク着用、手の消毒、購入する商品以外は見るだけで手を触れないという基本を忠実に守って買い物を済ませました。

僕は普段から「自分が感染者、キャリア」と考え、行動しています。「他人に迷惑をかけない」と思えばより注意深くなれます。どこでどう感染するかわからないコロナ感染を防ぎ、なるだけ今まで通りの生活をしたければ、それ以外の方法は浮かびません。

帰宅してしばらくすると、抗原検査結果は陰性という連絡が来ました。家内は信じられないようでした。そしてPCR検査の結果も陰性で、娘も陰性でした。

家内の目には、僕が注意深く生活しているようには映らないでしょうが、がんになってから感染して迷惑はかけられないと思っていて、この13年間絶えず注意してきました。

感染症はコロナだけでなく、免疫力の弱くなった僕は、簡単に命の危険に晒されてしまいます。それも運命と思っていますが、僕に感染させた人に罪悪感を持たせたくないという思いでやってきました。長年のサバイバルで、どうすれば良くないのかだんだんわかってきます。

今では抗原検査キットは薬局で安価で購入でき、最近ではスーパーでも販売しているのを見かけました。自分で検査できてわずか1ユーロなら便利ですが、精度がPCRより高くないという認識をあまり持ってはいないようです。

家内は3度も抗原検査をして3度とも陰性でしたが、ウイルス量が少ないと偽陰性になることがあり、そのせいで息子が感染しました。3度も陰性だったので、症状が出ていても風邪だろうと僕ですら思ったのです。

呼吸器の持病のある息子が感染

9月1日の夜、息子から陽性だったと連絡がありました。娘も僕も陰性だったので、息子も大丈夫と思っていたのでショックでした。息子と一緒に来た彼女は陰性だったのでホッとしましたが。若い人はまだワクチン接種が進んでなかったのですが、保育士の彼女は先にワクチン接種を受けていました。

もう1つ、僕がショックを受けたのは、息子がワクチン接種をしていなかったこと。息子にはアレルギーと喘息の持病があり、コロナ感染は命にかかわるため、僕が接種申請をするとき一緒に息子も申請したはずでした。

しかし、当日都合がつかず予約をキャンセルしたことを僕は知りませんでしたが、家内は知っていたそうです。重いアレルギーのある息子には命にかかわること。普段何も言わない僕が言うときは、息子も納得して行動することを知っている家内は僕に伝えなかったのです。

息子は卵のアレルギーがあり、アナフィラキシーショックを起こす可能性が高いので、これまでワクチン接種したことがありません。しかし、このワクチンは製造法が違い卵アレルギーの心配がないと家内に説明していたのですが、それでも息子が接種することに積極的ではなかったのです。

2日(木)になると息子にも症状が出てきましたが、軽いようで、少しホッとしました。とはいえ、急変するという話もよく聞きますし、絶対に大丈夫とは言えません。

自分が感染元でもある家内は、息子のことをかなり気にしていましたが、5日(日)にはほぼ回復したようで、ひと安心しました。

元気になればなったで

家内は陽性が判明した30日は症状が出て4日目で、さらに3日後の2日(木)にはほぼ回復していました。そうなると、外出を禁止されているので暇で仕方がありません。

食事の支度も、必需品の買い物も僕です。外出も2日に一度に減らしましたが、なかなかうまくいかず、結局は何度も外に出ることに。僕は感染していないはずですが、普段以上にそのリスクが高まっているので、外出はなるだけ避けるべきなのです。ところが家内は「陰性なんだから、堂々と出て行ってもよい」と、とても楽観的です。

感染症に関して、僕と家内とでは認識の違いを痛感しました。その中で、まいったのは家内の掃除好き。暇なこともあり普段以上に掃除機をかけまくっていました。掃除機で空気をかき回し、僕の感染リスクを高めているとは思ってないようです。

僕は掃除機の音がうなっているときは、自室に籠っていましたが、何度ものトイレタイムと掃除タイムが重なるときは、息を止めてトイレに駆け込むという無駄な努力もしていました。

家内は、朝起きて夜寝るまで窓を開けて空気の入れ替え。とにかく寒かろうが換気すればいいと信じていて、低温症で困っている僕への配慮はなしです。窓ふきまでやっていたのには、さすがに驚きました。

そのうえ、唯一安全な自室もそうではありませんでした。買い物に行っていたわずか30分ほどの間に、僕の部屋を掃除。それも、ほぼ毎回。仕方がないので、トイレに一時避難。そんなことをしているといかにも神経質に見えますが、実際にはごく普通に家内に悟られないようにしています。コロナに感染して、しかもクラスターを起こして子供たちに迷惑をかけている。表には出さなくても、家内も十分に傷ついているのですから。

僕はもう10年以上「病気のプロ」なので、優しく親切にされた経験と同じだけ嫌な思いもしています。だから、家内にはそう感じてほしくはありません。僕の言葉に普段以上に過剰に反応もしますし、これ以上のトラブルはごめんです。

今回、これだけ感染リスクの高い中で感染しないで済んだことには、ワクチンの効果はやっぱりあると思いました。

僕は家内が陽性とわかって、すぐに日本から入手したマスクを手渡しました。日本の立体マスクは機能性もあるし呼吸が楽です。ところが、家内は僕にマスクをつけるようにと言い、自分が感染源だという自覚はありません。

さすがに、家内が着用したほうが合理的で、道義的にも良いのではないかと言いました。家内は反論の余地がないため黙っていましたが、その言葉に対する不満をひしひしと感じました。病人は、絶えず自分だけが理不尽な目にあっていると感じるものなのです。

よくなっていた息子が重症化?

8日(水)の朝、キッチンへ行くと家内が床に座り込んでいます。突然悪化したのかと、一瞬思いました。前日の夜に息子から症状がまた出たという連絡があったからです。

「もう1時間以上も前にメールしたのにリプライがない」と、心配していたのです。携帯にもでない。息子の彼女は仕事中で連絡がつかない。「ひとりでいて、もし発作が出て死んでいてもわからない」と。

確かにその可能性は無いわけじゃないけど、本当に息子がひどい状態なら彼女が仕事を優先するとは思えない。しんどいときに何度も答えるのは面倒という経験があり、眠りたいしそっとしておいてくれるのが一番の看病と思えることもあります。

しかし、今でも病弱で何度も死にかけた息子のトラウマから脱却できていない家内にとっては冷静に考えられないのです。

僕は息子に「僕への返事はいいから、とりあえずママにすぐにリプライしろ。なんでもいいから、生きているサインをママに送れ!」とメールを送ると、10分もしないうちに息子からリプライが僕にあり、謝っていました。

息子は気管支が悪くなると、炎症を抑えるため機器を使った洗浄をしないといけなくなります。僕は自分が服用する薬を最低でも3週間分リザーブしていますが、息子はいつものようにぎりぎりまで放っていたようで、足りなくって苦しんでいました。

非常時に「家内のホームドクターに処方箋を書いてもらい薬局で購入」したことがありましたが、今回はうまくいきません。そこで、家内が内科の診療所に電話をかけまくり、処方箋を書いてくれるところを見つけた。朝、彼女が届けてくれた息子の健康保険カードを持って、僕が診療所で処方箋をもらい、薬局で薬を受け取りその足で息子に届けました。それでも届けるまでに3時間ほどかかりました。

その間、いつ襲ってくるかわからない腹痛と下痢。今の僕にはこれが一番難しい行動で、そのためには、前日から夕食を抜き、鎮痛薬を容量ぎりぎりまで服用。その結果、元の体調に戻るのに2週間以上もかかりましたが、呼吸困難の苦しさを知っているので、無理をしてでも息子に早く届けたいと思いました。まだ自分ができると思うことで、少しでも生きる気力がわくので、僕のためでもあります。

息子の彼女にお願いする方法もありましたが、家内は望みません。それは親の義務と思っている節があります。しかし、そういうときに限って当人は動けない。もう回復して元気なのに、外に出てはいけない。家内のストレスは相当なものだったと思います。

僕はがんに罹患してから、他人に面倒をかけるくらいならと、やりたいこともあきらめるようにしてきました。でも、できることがあるなら子供らを助けたい。普通の人なら簡単なことが、僕にとっては大変なことです。しかし、それは僕の問題なのです。

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