がん哲学「樋野に訊け」 22 今月の言葉「悲しみすぎると心が死んでしまう」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2018年5月
更新:2018年5月

  

最愛の妻を失くして、すべてのことに関心を失った

T・Sさん 63歳男性/神奈川県横浜市

 最愛の妻が今年1月、乳がんで亡くなりました。初めてがんが見つかったのは、3年前の秋のことでした。幸い、少しは経済的な余裕もあったので、それからは会社を辞め、時間の融通のきくアルバイトをするようにして、妻の看病にできるだけ時間を割くようにしていました。

一昨年には、妻のがんは全身に転移し、歩くこともままならなくなりましたが、それでも、車イスを利用して、2人で旅行を楽しむこともありました。

しかし、今はその妻がいなくなり、私はただ呆然となす術もなく、1人自宅に引きこもっています。何かをしなくてはと思うのですが、その気力もなく、ただ妻との思い出に浸り続けている毎日です。早い話、妻がいなくなったことによって、私はすべてを失くし、抜け殻のような毎日を送っているのです。

そうしているうちに気がついたのは、自分の心がどんどん萎縮し続けているということです。妻が亡くなった当座は、まだテレビをつけてニュース番組を見たり、時には、バラエティ番組を見て口元を緩めることもありました。

しかし、今は妻のこと以外にはほとんど関心が持てなくなり、テレビをつけることもほとんどありません。このままでは抜け殻どころか、「生ける屍」と化してしまうようで、空恐ろしさも感じます。それにこうして引きこもっていると、うつ病や認知症についての不安も芽生えてきます。この窮地から脱出するための手がかりを見つける方法を教えてください。

落ち込みの原因は後悔にある

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 がんという病気は患者さんだけでなく、周囲の人たちにも強い影響を及ぼします。とくに患者さんが命を落とされたような場合には、そのことが家族をはじめ、周囲の人たちをも苦しめることが少なくありません。

がんという病気では患者さんだけでなく、ご家族に対するケアが、患者さんが亡くなった場合には、グリーフケアが必要だといわれる所以です。

日本では、こうした影響はとくに男性が残された場合に強く現われることがわかっています。ある調査報告では、30年以上、連れ添ったご夫婦でご主人が亡くなった場合には、奥さんの余命は約20年、一方、奥さんが亡くなった場合のご主人の平均余命はわずか3年程度とされているほどです。

これは日本人男性のメンタルの弱さとともに、奥さんに対する無頓着さを物語っている数値といえるでしょう。奥さんが健在なときは、それこそ空気のように当たり前の存在として受け止めていて、その大切さを意識することなどほとんどありません。そのため、奥さんがいなくなって初めて、その存在の大きさに気づかされるということです。

もっとも、それにしても奥さんが亡くなったことによる落ち込みには、人によって大きな違いがあるのもまた事実です。一般的にいうと、奥さんが亡くなって、どんなに落ち込んでいても、1、2年もすれば、少しは元気になり、新たな人生に向かい合おうとする気力が出てくるものです。

ところが、なかには3年経っても、5年経っても、ひどい場合には10年経っても、落ち込みから立ち直れない人がいます。それどころか、時間が経つにつれて落ち込み方がより深刻になっていくこともあるのです。

こうした反応の違いは、いったい何に起因するのでしょうか。もちろん人によって、いろんな事情があるのでしょう。ただ、私はパートナーが亡くなったことに対する〝悔い〟が大きな要素として作用しているのではないかと思っています。

わかりやすくいえば、奥さんが亡くなった後で、自らの奥さんへの接し方について「もっとしてやれることがあったんじゃないか」「もっと精一杯尽くしてやれたのではないか」と、後悔しているということです。

ひょっとすると、T・Sさんもそうした1例かもしれません。T・Sさん自身は自分では、奥さんに対して精一杯やったと思っている。でも、それは自己満足に過ぎず、他でもない、T・Sさん自身がそのことに気づいているのかもしれません。それが現在の落ち込みにつながっているような気もします。

落ち込んだ気持ちを外に向ける特効薬

もっとも今、大切なことは落ち込みの原因を考えることではなく、落ち込みから脱出するための手立てを探ることです。そのためには、当然ながら、何よりT・Sさん自身の気持ちを外に向け、新たな生き方を模索していかなければなりません。

そこで考えたいのが、他の人たちとの接し方ということです。当然ながら、奥さんが亡くなって、落ち込んでいる人に対しては、そうそう人は近づいてはきません。

しかし、世の中にはそう数は多くはないけれど、奇特な人もいるものです。奥さんを失くして落ち込んでいる人に対して「力になってやろう」と、接近してくる人もいるものです。

とくにT・Sさんの場合は、自己満足かもしれないけれど、奥さんに対し、人並み以上に尽くしてはいます。その姿を見て、「今度は自分が力になってやろう」と考えた人もいるでしょう。

しかし、T・Sさんの状態は変わっていない。これは、ひょっとするとT・Sさんが、接近してくる人に対して拒絶反応を示していたということではないでしょうか。そのことは、たとえば表情にも現われていたかもしれません。

「元気か」と話しかけても、眉間に深いしわを寄せた怖い顔で睨みつけられれば、2度とその人に近づく気にはなれないでしょう。ひょっとすると、T・Sさんにもそんなことがあったのではないでしょうか。

落ち込んでいる時期だからこそ、無理をしてでも、ゆったりとした表情で人に相対する必要があるのです。

もっとも、今となってはそのことをいい募っても手遅れというものでしょう。そこで、ここでは落ち込んだ気持ちを外に向ける特効薬をお教えしましょう。

前にいったようにT・Sさんが落ち込み続けているのは、1つには、〝悔い〟が残っていることが原因だと考えられます。

もっともT・Sさんの後悔はまだ100%には達しておらず、70%程度に過ぎないように思えます。そこで荒療治です。意識的にその後悔の度合いを100%に上昇させてやるのです。

具体的には1日1時間でいい。奥さんに対してやりたかったこと、できなかったことを徹底的に考え続ける。そして、それを3日続けてみる。

そうすると、悩み、考え続けることに疲れて、脳は自然に外に向けられるようになるのです。つまり、徹底的に思い悩むことによって、脳が疲れ果てて開き直り、自然と頭の働きが外に向けられるようになるのです。

徹底的に思い悩み、悲しみの底まで到達すれば、自然と反発力が芽生え、再び浮かび上がってくることができるということです。他に手立てがないと思ったら、こうした逆療法の効用も考えていただきたいと思います。

グリーフケア=グリーフ(grief)は、深い悲しみの意。身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること

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