がん哲学「樋野に訊け」 23 今月の言葉「自分が犠牲になっても心豊かになるために」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2018年6月
更新:2018年6月

  

郷里の老父が肺がんを患った

M・Wさん 63歳男性/東京都

 高校卒業後、熊本から上京して45年の歳月が経過しました。3年前には、長年勤めた会社を定年退職し、今は妻と2人悠々自適の日々を送っています。経済的にそんなに余裕があるわけではないけれど、2人の娘も時折りは、可愛い孫を連れて遊びに来てくれるし、現在の暮らしに、これという不満はありません。

ただ、1つ気になるのが郷里にいる老父のことです。これまでずっと母と2人仲睦まじく暮らしてきたのですが、2年前に母が他界、そして昨年(2017年)には1人残された父にステージⅡの肺がんが見つかりました。

当然ながら、そうなると父のことが気がかりになり始めます。92歳という高齢で、肺がんを病んでいるのだから、1人暮らしにはやはり無理があるでしょう。

そこで私を含めた兄、姉3人で話し合い、高齢者向けの介護施設に入居してもらおうということになりました。ところが肝心の父がなかなかうんとは言ってくれません。それどころか、介護ケアなどの福祉サービスも、なかなか受けたがりません。母が他界したときには、3人の子どもの誰かと一緒に暮らすことを提案しましたが、全員が東京近辺で暮らしていることもあってか、父親にはにべもなく断られました。

実際、老いた父に、今さら上京してくれというのも無理があるでしょう。私たちにしても、すでに生活基盤が固まっているので、熊本に帰るのも難しい状況です。

父親が「母さんと2人で暮らした家に居続けたい」というのもわかります。しかし、テレビや新聞で「孤独死」という言葉を見るたびに、父親の顔が脳裡に浮かび、不安に駆られます。何とか上手く説得する方法はないものでしょうか。

がんの進行に年齢は関係しない

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 M・Wさんの悩みは、50代後半以上の年代の方の多くに共通します。80代、90代に達した老親とどう暮らしていくか。かくいう私もその例外ではありません。質問者と同じように、郷里の島根には、今年95歳になる母親が5年前92歳の父親を看取った自宅で、今も1人暮らしているのです。もっとも私の場合は、今も郷里で暮らしている実姉が母の面倒を見てくれているので、状況は全く違っていますが……。

さて、M・Wさんのケースです。

質問を見ると、M・Wさんの父上は少々頑固なところがあるのではないでしょうか。そのため、92歳という年齢にかかわらず、自治体などが行っている福祉サービスもあまり利用されていないのかもしれません。

しかし、今は元気でも、年齢を考えると、先のことが心配です。もちろん、もう少し先になって、今は何不自由なくこなしている日々の暮らしに支障が出てくれば、施設に入居することにも理解を示されるかもしれません。

しかし、そのときになって慌てて対応しないためにも、父上がお元気な今のうちから、準備は進めておく必要があるでしょう。

とくにM・Wさんの父上はがんを患っておられます。一般に高齢になると、がんの進行も緩慢になると考えられがちですが実際は違っています。20代の若者も90代の高齢者もがんの進行に違いがあるわけではありません。要はがん次第ということです。と、すれば父上に異変があったときのために、早期に準備を整えておく必要があるでしょう。

自らが率先することで心が豊かになる

そのためには、まずM・Wさんたち3人の子どもが、よく話し合って、父上に余生を全うしてもらうための計画を立てたほうがいいでしょう。

M・Wさんのご兄弟はご自身を含めて、全員が東京近辺に在住とのこと。残念ながら、東京にいては、郷里の状況は、なかなか理解しづらいものです。もちろん、今はネットがあるので簡単に情報は集められます。しかし、それだけではなかなか実のある対処法が打ち出せないのも事実です。

私自身の例を見ても、父が暮らしている地域のデイサービスはなぜか、相性がよくなく、隣り町のサービスを利用していました。

父上に快適な日々を送ってもらうためには、きめ細かな視点に基づいた対策を講じる必要があるのです。さらにつけ加えれば、準備を整えたからといって、父上の暮らしを、すべて福祉サービス任せにすることにも抵抗があるのではないでしょうか。

そこで私からの提案です。

M・Wさんたち3人の兄弟の中では、M・Wさんが末っ子であるとのこと。と、するとご兄弟は全員が、ある程度の余裕を持って暮らしておられると察せられます。

と、すれば3人が交代で、父上のもとを訪ねられ、生活を共にすればどうでしょう。つまり、3人のご兄弟が1年のうち、4カ月を父上とともに郷里で暮らし、残りの8カ月を東京で暮らすということです。

郷里には、ご夫婦で行かれるのもいいし、パートナーが行きたくないというのなら、単身で行けばいい。そうして共に暮らし、十分に意向を理解したうえで、父上のこれからの暮らしを組み立てていくわけです。

そこで大切なのは、M・Wさん自身が率先して行動すること。とにかくまず、M・Wさんがトップバッターとして、父上とともに暮らされることです。

あるいはお兄さんやお姉さんは4カ月間、東京を離れることに難色を示されるかもしれません。その場合には、その分をM・Wさんが肩代わりして差し上げればいい。そうして他の2人に状況をしっかりと報告する。

ひょっとするとM・Wさんは割を食ったように思うかもしれません。しかし、その分だけ確実に心は豊かになる。言葉を替えれば、父上とともに暮らす時間が長ければ長いほど、M・Wさんは1人の人間として成長できるということです。

そうして孤軍奮闘していると、最初は難色を示していたとしても、2人のご兄弟もM・Wさんに同調されるようになることでしょう。そうすれば家族全員が、幸福な時間を過ごすことができるようになる。大切な父上のことを考えれば、損得勘定など度外視して、自ら率先して行動したい。そのことはM・Wさんにとっても、将来の大きな財産になっていくことでしょう。

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