がん哲学「樋野に訊け」 24 今月の言葉「心配事は心の片隅にそっと仕舞っておく」
がんになって最期の生き方を考え始めた
Y・Uさん 44歳/会社員/男性/神奈川県
Q 昨年(2017年)、会社の定期健診で早期の胃がんが見つかりました。そのがんは腹腔鏡手術で切除。現在は健康面で何の問題もなく、以前と変わらない生活を送っています。ただ、1つ変わったのは、時折、漠然とではあるのですが、「死」について考えるようになったこと。がんと診断されたとき、もし「余命あとわずか」と言われたら、最後のひと時をどう生きるべきかと考えたことがきっかけです。
そのときに、仕事でも趣味でもいい、元気なうちに大きなことをして、周囲の人たちの記憶に自分を留めたいと考えました。具体的にいうと、自分は登山が好きなので最後にエベレストに登ってみようとか、家族と共に世界一周旅行に出かけてみる、あるいは仕事で大きな業績を残したいといったことです。そうして何かを成し遂げることで、家族や友人に自分のことを覚えていてもらいたいと考えているのです。
現実には、私はまだ40代で、人生の折り返し地点に達したところです。にもかかわらず、先々のことを考えるのはおかしいでしょうか。先生は著書で「人生は晩年が最も輝く」と言っておられます。
では、実際に人生最期のひと時をどう生きればいいのか。これから長い人生を生き抜いていくためにも、自分自身の最期についてしっかりとした指針を持っておきたいと思っています。先生の考えを教えていただければ幸いです。
がん患者の誰もが「死」について考える
A 私が主宰する「がん哲学外来」でも、同じようなことを話す人が少なくありません。人生最期のひと時をどう生きるか。がん患者さんの多くはがんと宣告されたときに、程度の差はあれ、死という言葉が頭をかすめます。と、すれば、最後の生き方について思いを巡らすのも当然のことでしょう。
最も、身も蓋もないことを言うようですが、現実的にはY・Uさんの言葉には無理がある。残念ながら、がんが末期段階に達すると、体力的に、エベレスト登頂はおろか、世界一周旅行の実現も厳しいものがあるでしょう。
とは言え、中には自分の状態をうまくコントロールして、最期の時期に旅行を楽しんだり、趣味の活動に力を入れている人が少なくないのも事実です。そうした人たちは、後に続くがん患者さんに「人生は最期まで楽しめる」と、無言の激励を送っているとも考えられます。
Y・Uさんの考えは、少々子どもっぽいようにも思えますが、その意味では大いに意義があるとも言えるでしょう。
さらに1つ、つけ加えると、がんになると誰もが子どものように自分自身に素直になるのも事実です。その面でも、Y・Uさんが人生最期のときに、何かを成し遂げたいと考えるのも無理のないことと言えるでしょう。
まずは「今」を生きることを考える
見方を変えると、まだ40歳代で、しかもがんが完治しているY・Uさんが死について考えるのは、あまりにも時期尚早ではないかとも思えます。
すでに述べたように、がんになると、誰もが死という言葉を思い浮かべます。
そして、そのがんがどんなに軽微なものであっても、また完治していたとしても、再発の不安から完全に逃れることはなかなかできないものです。
Y・Uさんが自らの最期の生き方について考えられるのも、1つにはそうしたがん患者特有の心理が働いているのかもしれません。私はそんな人たちと話すたびに、幕末の偉人、勝海舟の言葉をお伝えしています。
それは、「心配事は心の片隅にそっと仕舞っておく」ということです。
自分の力ではどうにもならないことを、あれこれと心配しても結果が変わることはありません。それならそのことは、心の片隅に仕舞い込み、そのまま封印してしまえということです。そして、自分の前に開かれている人生をひたむきに精一杯生きていく。
Y・Uさんの場合で言えば、まだ40歳代という若さで、しかも見つかったがんは軽微で、現在はすっかり健康を取り戻している。それなら先の不安に脅えることなく、今を全力で生きていけばいいのです。
質問の中でY・Uさんは、人生最期のひと時に「エベレストに登りたい」「家族と世界旅行を楽しみたい」と言われています。それなら最期のひと時になどと言わず、体力的に余裕のある今、この時に、その目標を達成することを考えられてはどうでしょう。そのほうがよほどY・Uさんの人生の充実に繋がっていくのではないでしょうか。
1日の積み重ねが最期の生き方を決定する
自らの人生をどう終わらせていくか。がん患者さんに限らず、多くの人はそのことについて漠然と考えています。
しかし、現実は自分の思うように進んでいってくれるわけではありません。いくら綿密に考えていても、人生というものはなるようにしかならないものなのです。遠い先のことを憂い、思い患って、対策を講じても、そのことに意味があるとは思えません。
先のことは先になってから考えればいいのです。不安や悩みは、それまでは、自分1人の胸の中にそっと仕舞い込んでおけばいい。そうして目の前の暮らしを精一杯生きていけばいいのです。
そうしているうちに、少しずつではあっても、自分自身の人生の意味が理解できるようになっていくことでしょう。そして、人生の意味がわかってくれば、意識するしないにかかわらず、最期の生き方についても、しっかりとした指針が定められているものです。
要はあくまでも自然体で、自らの人生を一歩一歩、踏みしめていくということ。その積み重ねによって、人は人生の意味を知り、自らが与えられた役割を理解するようになるのです。
そしてその役割を全うして生きていく。そうすれば、人生の最期のひと時を迎えても迷うことなどありません。その時のために、それまでの人生があったことを確信されることでしょう。そんな最期を迎えるために、まずは今、この時を真摯に生きていただきたいと願います。
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