がん哲学「樋野に訊け」 26 今月の言葉「人生に逆境も順境もない」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2018年9月
更新:2018年9月

  

職場の仲間や友人たちにもがん罹患を知らせるべきか

E・Rさん パート勤務/女性/埼玉県さいたま市

 今年(2018年)の5月、入浴後に体を拭いているとき、右乳房の奥にウズラの卵大のしこりを見つけました。嫌な予感を覚え、翌日、近所の病院を受診すると、不安は的中していました。ステージⅡの乳腺がん。ただ比較的、早期のがんなので、手術とかホルモン療法で完治も可能とのこと。そのこともあって、がん告知の後の落ち込みからも回復し、全力で治療に取り組もうと気持ちも定まりました。

ただ1つ、気になっているのが周囲の人たちにがんになったことを、どう伝えるかということです。もちろん夫や2人の娘には、がんになったことやこれからの治療について、詳しく話していますし、そのことについてどう思うか、意見も聞いています。

しかし毎日、パートで3時間ほど働いているスーパーの仕事仲間や、週に1、2度一緒に汗を流しているママさんバレーのチームメイトたちへの対応をどうすればいいのかということです。

担当の先生の話では、手術の後、1、2週間もすれば、以前とほぼ同じ生活に戻れるとのこと。それなら、相手に無用の気を使わせるかもしれないし、改めてがんになったことを伝える必要もないように思えるのです。

でも、全く何もいわずにいるのも、あまりに水臭いのではないかとも思えます。周囲の人たちから見ればどうでもいいことのように思えるかもしれません。でも私にとっては、そのことが気になって仕方ありません。うまい対処法を教えていただければ幸いです。

がんも1つの個性に過ぎない

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 私が主宰するがん哲学カフェには、多様な人たちが訪れます。

例えば、ある中年男性は私が話を始めるや否や、こっくりこっくりと白河夜舟を決め込むし、また、私が冗談を言ったわけでもないのに、大笑いを始める人もいる。

これらは人それぞれの個性と言うほかないでしょう。だから、もちろん私はそのことを捉えて、どうこう言うこともありません。

ただ、再会した折りなどに、「先日は実に気持ちよく眠っておられましたね」と、褒め言葉のように笑顔でいうと、逆に恐縮されるのか次回は、しばらくは眠い目をこすりつつ、話を聞いてくださるのですが……。

こんな話をしたのは他でもありません。ここで紹介した人たちの言動と同じように、がんであるということも、1つの個性にすぎないからです。

例えば、内気な性格の人がいたとしましょう。でも、その人はわけもなく、「自分は内気です」と言い募ったりはしないでしょう。必要があるときに、「実は私、内気なんです」と告げる程度です。がんの場合も同じです。必要なときに、必要な相手に「実は私、がんを患ったんですよ」と告げればいいのです。

大げさに「私はがん患者です」と吹聴する必要など全くありません。そのことがわかると、周囲の人たちへの告知について悩むこと自体が無意味であることも理解いただけるのではないでしょうか。要はE・Rさんが告げたほうがいいと感じたら、そうすればいいし、必要を感じなければ、改めて口にする必要もないということです。もちろん相手に聞かれたときには、嘘をつく必要もありませんが……。

それより、私がE・Rさんにお話ししたいのは、なぜE・Rさんが、そんなことで悩んでいるのかということです。すでにお話ししたように、がんであることは1つの個性にすぎません。

でも、E・Rさんはそれをもっと深刻で特別なこと、誤解を恐れずに言えば、よくないことのように考えているのではないでしょうか。それはE・Rさんが病いを得ただけでなく、人間的な側面から見ても〝病人〟になってしまっているからかもしれません。

残念ながら、E・Rさんも、とるに足らない些細なことで悩み続けているのです。そんな悩みから解放されるためには、まず自分自身を解き放つことが必要でしょう。

がん罹患を契機に新たな人生を切り開く

そのためには、まずE・Rさん自身が、前向きにポジティブに物事を捉えることから始めるべきでしょう。もちろん病気に対する見方もその例外ではありません。しかし、誰にとってもがんを患うことは、心身両面でショッキングな出来事です。でも、それは必ずしも悪いことばかりではありません。

例えば、がんになったことを契機に人生を変えていくこともできるのです。それまでは縁がなかった人たちと繋がり合い、自分の世界を広げていく。その結果、E・Rさんにとっての本当の生き方が見つかるかもしれません。それは人生で最も大切な、自分自身の役割を見つけ出すということです。

その1例を紹介しましょう。

私が主宰するがんカフェを運営している人は実にさまざまです。

仙台では、妹さんががんで亡くなったという女性が、そのことを契機にがんカフェを開設、さらにがんになって生きることについてのシンポジウムまで開催しています。妹さんががんで亡くなったことはとても悲しい出来事です。でも、その人はその悲しさに屈することなく、逆にそこから新たな人生を切り開いているのです。

E・Rさんも、同じようにがんになったことを出発点に、新たな人生を切り開いて行ってはいかがでしょうか。私が主宰するカフェでもいいし、患者会の集いでもいい。積極的に外に出て、新たな友人とともに新たな世界を築いていく。これまで培ってきた人間関係ももちろん大切です。でも、そこに留まらず、より大きな世界に向かっていただければと思います。

私の心の師、明治期の偉大なる教育者、新渡戸稲造は「人生に逆境も順境もない」と言っています。ひたむきに生きていけば、それで人は満ち足りた心を持つことができるということと私は解しています。E・Rさんにはこの言葉を心に留めて、些細なことに拘泥(こうでい)せず、新たな生き方に向かっていただきたいと願います。

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