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腫瘍内科医のひとりごと 79 「治癒をめざして」
Yさん(35歳男性、会社員)は、高熱と歯肉からの出血で近医から紹介され、急性骨髄性白血病(AML)の診断で入院となりました。
Yさんは白血病の病名を告げられ、死の恐怖に落とされましたが、主治医から「完治をめざして頑張ろう。私たちも一緒に頑張ります」の言葉を信じて、赤血球、血小板輸血を受けながら、清潔な空気の部屋で、大量の抗がん薬治療を受けました。
ひどい口内炎と発熱を繰り返しましたが、約1カ月後完全寛解(かんかい)(骨髄中白血病細胞5%以下)となりました。まさに死の淵からの生還です。Yさんは人生でこんな喜びは他になかったと思いました。
末期でも完治を信じたい心
私は治療が始まるときに、Yさんにこんなことを話しました。
「あなたの場合、例えば手術できないほど進んだ胃がんや肺がんで、『治りません』『余命は1年と思ってください』とか告げられるのとは違うのです。若い方の急性白血病では、どんなに厳しくとも治療の先には治癒(ちゆ)があるのです。急性骨髄性白血病は50%以上の方が治癒するのです」
そのとき、Yさんはうなずいて、「頑張ります」と答えてくれました。
そうYさんに話した夜、私は「白血病の50%以上は治癒」「胃がんや肺がんとは違う」と言った自分の言葉を、もし胃がんや肺がんの患者さんが聞いていたら、どう思っただろうか? 助かる命と助からない命に差別されていると思うのだろうか? と考えました。
そして、以前、朝日新聞に載った*絵門裕子さん(2006年4月3日乳がんで死亡、49歳)の言葉が頭に浮かんできました。
「どんなに確率が低くても、難しいと思われても、完治を信じる自分がいる」
「患者から希望を奪わないで」
そうだ、絵門さんの言うように、がんの末期と言われても、完治を信じたい心があるのは当然だ。
薬だけでがんが治る時代へ向かって
あれから10年、何が変わっただろうか?
もし、末期がんの患者が「死を受け容れよ」「幸せな死があります」と担当医に言われたとしても、1000年以上も前から、人間だもの、生きたい思いは変わらないのだ。
「生まれてきたからには死が必ずくる」「人間はみんな死ぬ」
それを理解できていても、本当に死がすぐ近づいたときは、生きたい気持ちが強くなるのは当然のことではないか。
胃がん、肺がんの末期でも、命は同じ、生きたい気持ちは同じだ。
しかし、絵門さんが言ったあれから10年、あのときとは薬の治療は違ってきたぞ。
肺がんは分子標的薬が使えるようになり、*EGFR遺伝子変異あれば*ゲフィチニブで70%以上の効果、変異なければALK融合遺伝子を調べる。遺伝子変異陽性ならALK阻害薬で80%以上の効果、そしてPD-L1抗体を調べる。陽性の患者は少ないかもしれないが、免疫チェックポイント阻害薬が使える。これまでとは違う。
胃がんも、*オキサリプラチン等使える抗がん薬が増えた。血管新生阻害薬、そしてHER2遺伝子を調べて陽性なら*トラスツズマブが使える。もしかしてもうすぐ免疫チェックポイント阻害薬も使えるようになるかもしれない。
緩和の医師から「末期なのに、余計な希望を持たせて……」との声が聞こえそうだが、薬だけでがんが治る時代へ向かって進んでいるのだ。
*絵門裕子=元NHKアナウンサー、エッセイストや女優として活躍。がんを公表して朝日新聞にコラム「がんとゆっくり日記」を連載 *EGFR=上皮成長因子受容体 *ゲフィチニブ=商品名イレッサ *オキサリプラチン=商品名エルプラット *トラスツズマブ=商品名ハーセプチン