“DNR”「蘇生させないで下さい」
処置しても完全に回復する率は6%未満

文:諏訪邦夫(帝京大学幡ヶ谷キャンパス)
発行:2008年2月
更新:2013年4月

  

すわ くにお
東京大学医学部卒業。マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学などを経て、帝京大学教授。医学博士。専門は麻酔学。著書として、専門書のほか、『パソコンをどう使うか』『ガンで死ぬのも悪くない』など、多数。

“DNR”は“Do not resuscitate”の略語で、日本語では「蘇生させないで下さい」「蘇生の努力は止めて下さい」の意味で、(余命が限られているので)「緊急時に心肺蘇生をするな」との意思表示です。このテーマは、医療担当者側からも重いテーマですが、患者さん側からも重要な事柄です。がん関連では妥当性がとくに高そうなので調べてみました。

DNRと治療の変更・中止とは違う

トップに出てきたのが、高松平和病院がDNRに関する勉強会の模様を2度に分けて掲載している記事です。

医師のみでなく看護師や他の職種の方も含めた勉強会で、「患者はDNRを表明していたが、臨終に家族を間に合わせたいと迷った」、「本人が必死に痛みと闘っているときに“死”の話はしにくかった」、「本人の希望とは異なったが、家族の希望を受け入れて状況に満足を感じた」などの報告があり、一方医師からの発言で「一時は極端な重篤状態でDNR指示書を頂いたが、その後小康状態で落ち着いたときに、このDNR指示書はまだ有効かどうか悩んだ」との表明もあります。

これと関連して、東松戸病院の山崎俊司さんが、講演記録の中で、こんな説明をされています。

「DNRと治療の差し控え・中止とは違う。DNRは蘇生をしないことで、治療・ケアをしないことではない。しかし、現実にはDNRのある患者さんには治療やケアを差し控える傾向がある」と述べ、さらに「現場の人手不足の関係もあるのか、DNRであれば多少目が届かなくても良いのだという風潮が感じられる」と説明しています。医療担当者も生身の人間で、「気分に左右される」要素は否定できません。

医療者側と患者さん家族の思いは違う

DNRは、考え方も実際的な手順も違うし、“DNR”という単語自体が横文字なので、外国からの情報が多い。その例を2つほど挙げます。

「DNRを胸に刻んだ医師」は、オーストラリアの救急専門医が80歳に達した際に、“DNR:Do not resuscitateと文字どおり胸に刺青したとの記事で、実名も載っています。彼自身が救急専門医として、数多くの患者を「蘇生させた」立場ですが、自分ではその処置を拒否しています。

彼の言い分はこうです。「ずいぶん多数の患者に蘇生処置をしてきたが、完全に回復する比率はごく小さくて6パーセント未満だ。たまたま心停止の際に、モニターや除細動装置がそろっていない限り、蘇生の結果はいいはずがない」、「それで胸にこの刺青をした」というのです。この人のこうした死生観は永年の経験によると同時に、80歳という年齢にもあるでしょう。高齢になると、「蘇生の成績は悪化する」一方、「無理に生きなくてもいいという諦め」も理解できます。「だから80歳の患者に心肺蘇生行為はムダ」と一律にはいえないのは勿論です。

もう1つ、医師対象の医学雑誌『Medicina』の連載記事にこのテーマを扱ったものがみつかりました。そこに、患者さんと医療担当者の解釈や意思疎通がうまくいかずに、混乱する様子が記述されています。

高齢女性が脳出血の後遺症で、気管挿管で人工呼吸を受けていましたが、状況が悪くて「呼吸器を外す」ことに家族が同意しました。ところが、経鼻栄養の管を抜いたところ「おばあちゃんを飢え死にさせるつもりか」と激しい抗議を受けたのです。医療者側からみれば、「呼吸器を止めることに同意したので、薬も経鼻栄養も止めて当然」ですが、患者さんの家族の思いは違うのです。

こういう事例の積み重ねでできたルールでしょう。アメリカの病院では“DNR”関係の承諾書には“DNR”だけでなくて、血液やその製剤を使うか否か、抗生物質を使うか否か、透析するか否か、など何種もの項目にわたって書かれていると説明してありました。

緩和ケアをいかに教育するか

DNRの概説的な記事として、「日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」の頁に、「大学医学部の緩和ケア教育カリキュラムと教科書の作成と提言―大学医学部の緩和ケア教育カリキュラム試案に基づく教科書作成―」(黒子幸一さん)があります。

300行ほどの記事で、タイトルの通り医学部の緩和ケアをいかに教育するかカリキュラムと教科書の枠組みを提案し、その中の「生命倫理」の章で、DNRは尊厳死や安楽死の問題と並んで項目提示されています。もっとも、DNRと尊厳死は法律面ですでに認められた概念と行為ですが、安楽死は日本では議論はされながら正規には認められていません。教科書の構造の提案なので、DNRは位置づけだけで具体的な内容の記述はありません。

DNRには定訳がない

アメリカの 連続テレビドラマ『ハウス』がDNRを扱い、内容が詳しく紹介されています。そこに、「うつ状態にあった時のDNR承諾書署名は有効性が疑わしい。裁判所は認めないかも云々」との議論があります。契約社会では日本とは議論が違うことに感心しました。

具体的で興味深い記述として、救急救命隊の方々を中心にした、生々しい体験談の頁があります。こちらはもちろん実話で、その中にDNRが出てきます。

DNRという名前の抗がん薬があります。「ダウノマイシン」といい、特に白血病などに使われる頻度が高いようで、蘇生とはもちろん無関係です。

DNRには定訳がありません。いろいろな表現がありながら、「日本の医療関係者共通の認識」という訳はありません。

それと関連して、こんな問題を知りました。DNRを「蘇生しないで下さい」と書いて説明したところ、出版社が「蘇生させないで下さい」と訂正しました。

この差が興味津々です。医療担当者側からみると、「蘇生する」は“Resuscitate”の訳語で、つまり医療ないしその周辺の活動です。

一方、一般の方からみると「蘇生する」はむしろ「生き返る」、「よみがえる」意味で、英語の“revive”つまり偉いお坊さんの「復活」みたいなものを意味するようです。

ですから、「心マッサージ」その他は「蘇生させる」行為にあたります。医学用語と一般用語が異なる例のうち、「蘇生」の解釈は差が極端に大きい例です。

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