上顎がん
学生による優れた考察

文:諏訪邦夫(帝京大学八王子キャンパス)
発行:2006年12月
更新:2013年4月

  

すわ くにお
東京大学医学部卒業。マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学などを経て、帝京大学教授。医学博士。専門は麻酔学。著書として、専門書のほか、『パソコンをどう使うか』『ガンで死ぬのも悪くない』など、多数。

学生のレポートが最初に登場

「上顎がん(癌)」をGoogleで検索すると、最初に出てくるのは意外にも医学生のレポートです。タイトルは「上顎癌の治療法―手術と再建を中心に―」です。この病気の見事な概観なので、詳しく紹介します。

「いろいろな症例を4例ほど学習したが、この病気が1番衝撃的で印象的だったのでレポートに題材に選んだ」と冒頭に述べ、「症状」では、医学用語を一般用語に置き換えて、「鼻が詰まって口が開かなくて顔や口の中、鼻の中の変なところが膨らむ」、「目が飛び出し、耳が聞こえなくなり口が開かなくなり」、「顔や歯が痛い」、「涙や鼻水が止まらず、さらに顔面が変形する」と述べます。医師の解説では、「鼻閉・鼻と顔面の変形・流涙」などの用語を使うところを、一般用語に置き換えた配慮に感心します。

治療には、手術・放射線・薬物があるが、「三者併用が基本」と説明し、とくに「化学療法・放射線治療を併用してなるべく腫瘍を小さくし、その上で手術で腫瘍を摘出」と上手に表現します。

そうした医学的記述も優れていますが、以下の記述があります。「(初めて読んだ本に)1974年当時治癒率は50パーセント、とありました。顔の半分と同側の眼球を摘出された人。放射線治療で虫歯が多発して歯が1本も残っていない人。再手術で3センチ程度口が開くようになった人。そういう人たちも、『治癒した人』としてカウントされていたと見受けました。『健在』扱いでした。しかし治癒って何でしょう? 健在って、何なのでしょうか」

さらに言葉を次いで、「2000年の論文では、5年生存率は76パーセント、10年生存率は66パーセントとあります。この数字は、どのような状況であれ生きている人を数えた数字です。寝たきりであろうと、意識がなかろうと、うつ状態で閉じこもっていようと、それでも生存率にはカウントされます。生存率のみで治療成績をうんぬんする風潮に、疑問を感じます」

「元気でいられる率は何パーセントなのでしょう? 少なくとも自宅で、簡単な家事をこなせる年数は、だいたいどのくらいでしょうか。社会復帰、少なくとも退院できるまで、どのくらいの時間がかかるのでしょう。反対に死期を早めたり、苦痛をいたずらに長引かせる可能性は? それぞれの確率を計算した上での、対応が必要だと思います」

この文章に続いて、病気と治療がもたらす変形や機能障害の面も考察しています。

若い柔軟な頭脳のするどい指摘で、多数の方々に読まれているのも当然です。次に述べる患者さんに発生した脳の合併症の問題は、まさにそこにあります。

がん告知問題と手術後遺症

中沢クリニックの中澤肇さんが、[最近の癌事情](その15)〈ガンと闘う患者さん・ご家族に聞く vol.2〉として、上顎がんでなくなられた方の奥様・Tさんとの会話を詳しく記述しています。

患者さんは金融関係のお仕事に従事されていましたが、上顎がんを発症し、手術は受けたものの結局約1年半の経過で54歳で亡くなりました。がん告知は、精密検査の結果を元に奥様と患者の兄夫婦とが受けましたが、実はその前に患者さん自身が相談した嘱託医から告知されて、ショックだったようだと奥様は述べています。

治療は、まず化学療法でがんを小さくしてから、顔面の左半分切除・左眼摘出・脳の一部切除などで、26時間の大手術だった由です。「手術は成功した、といわれた」と述べ、さらに術後の放射線治療や化学療法は行わず、形成外科が顔面の形をととのえる手術をしています。

手術で脳の一部を切除して、予想外の障害がでました。右半身マヒ・歩行障害などで、リハビリで機能の一部は回復しましたが、右手の力が回復せず、字を書けず、さらに失語症(考えていることが言葉に出せない、考えているのと違う言葉が出てしまう)、性格の変化、部分的な記憶の喪失なども起こりました。この後遺症は、術前には説明がなかったようです。 それでもリハビリの一方、左手で字を書く練習をし、毎日日記を書き続けたそうです。奥様は、リハビリ担当の機能訓練士や言語療法士の方への感謝を表明されています。

手術後8カ月の時点で再発しましたが、放射線治療は病巣の位置から難しいのと、患者さん自身の病識がうすれていたので、施行しませんでした。 何とか散歩や買い物は可能で、1度は北海道まで旅行しましたが、手術1年後には自力歩行不能となり、その後は自宅療養でした。

ここから、在宅医療を担当した医師の説明です。この時点では右半身マヒがありながら、ソファーには座れました。言語は不能で、話しかけても反応がありません。間もなく、病状が急速に悪化しはじめ、発熱・呼吸困難・食事不能・肛門からの出血(腸からの出血らしい)、などが次々と起こり、約2週間の経過で亡くなられています。

奥様のお話として、告知の仕方にもう少し配慮が欲しかった点と、脳の後遺症を考えると手術は妥当だったのか、化学療法と放射線治療に限定すべきではなかったかと述べています。

その他の記事

「マイペースでいこう」というタイトルのブログがあります。2000年に「副鼻腔乳頭腫切除手術(内視鏡)」を受けて、2005年に上顎洞に再発、その後いろいろと治療を進めています。そこにこういう文章があります。

「先輩が『親戚が同じ病気だった気がする』というので、治療経過を教えてくれるよう、お願いしました。上顎がんは、症状や治療方法はわかりますが、治療経過や予後の情報はありません。数日後、『悪いけど、いい情報はない』。頭痛で検査したところ、上顎がんが発覚し放射線・抗がん剤・手術をしたが、3~4年後になくなったそうです。20代前半でした。『いい情報はない』と言われて、それ以上聞けなくなりましたが、自分には貴重な情報です。必要なのは、いい結果の情報だけではないのです。『いい情報』ではない、『悪い』と言われてしまうと、人から情報をひきだすことは難しいです」

医療関係者と限らず、誰でもついとりがちな態度ですが、でもこの方のおっしゃる意味はわかります。それが常に妥当か判断できませんが。

上顎がんという病気を調べて、結果は病気の解説だけでなく、少し異なった点からのアプローチになりました。

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