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- 吉田寿哉のリレーフォーライフ対談
治療困難な「難治性白血病」の子どもたちが3割以上もいる
行政には医療制度のしっかりした骨格を、血肉の部分は「みんな」で育てる
みずたに しゅうき
1974年東京大学医学部卒。英国留学、国立小児病院勤務を経て2000年より現職。現在、日本小児血液学会理事、日本血液学会評議員。日本癌学会評議員。小児科学会代議員。アメリカ癌学会コレスポンディングメンバー。2005年より東京医科歯科大学生命倫理研究センター長兼任
よしだ としや
1961年北九州市生まれ。84年一橋大学卒業後大手広告会社入社。89年アメリカ国際経営大学院(サンダーバード)でMBA取得。2003年秋に急性骨髄性白血病発病、臍帯血移植を行い、05年6月復職、現在部長。著書に『二人の天使がいのちをくれた』(小学館刊)
失意の体験から白血病の世界にのめりこむ
吉田 この対談で前回、ご登場いただいた音楽プロデューサーの大橋宏司さんから先生のことをおうかがいしました。先生は小児白血病治療の第一人者であると同時に、日本では例のない「白血病研究基金」を立ち上げられておられます。
今日はそのことを中心に、最近、話題になっている『元気にな~れ、こどもたち』(山辺一身著・水書坊刊)という本でも取り上げられている小児科医療の難しさも含めてお話をお聞きできればと思っています。まずは先生が白血病診療に携わるようになった経緯から教えていただけますか。
水谷 最初は小児科医療に対して、それほど特別な思い入れがあるわけではありませんでした。大学を卒業し、医師の道に入って診療科を選択する段階で、小児科か精神科のどちらを選ぼうかと迷い、まずは体のことをしっかりと理解しておくべきだと考えて小児科を選択したんです。
そうして小児科での研修を開始した年の夏、自分が担当していた4歳の女の子が急性骨髄性白血病で命を落とすことがありました。これは私にとっても過酷な体験でした。それから、これは何とかしなくてはと、白血病の世界にのめりこむようになりました。早いものであれからもう30年近くが経過しています。
吉田 その間に小児白血病の治療成績はどんどん向上していますね。
水谷 そうですね。現在では小児白血病の治癒率は7割近くにまで達しています。私が医師になった頃から考えると、隔世の観がありますね。しかし、逆に見れば、まだ治癒が見込めない難治性白血病の子どもたちが3割以上もいるということです。当然ですが、少しでもこの数値を小さくしなければなりません。
吉田 もちろんですね。ところで白血病は、子どものがんの約半分を占めているんですよね。そこで素朴な疑問ですが、がんっていう病気は一般的には、大人がかかる病気なのに、なぜ白血病だけは子どもの罹患が多いのでしょう。
胎内にいるときに遺伝子の損傷が始まっている
水谷 ひとことで白血病といっても、大きくはリンパ性と骨髄性のそれに分かれます。そのなかで子どもの罹患が突出しているのは、リンパ性の白血病ですね。このリンパ性白血病は基本的には体の成長とともにリンパ球が分化したり増えたりする段階で、がんを防ぐ遺伝子やがんを引き起こす遺伝子に小さな傷ができ、その傷が、細胞が増殖するにつれて蓄積されていくことが原因だと考えられています。実をいうと母親の胎内にいるときにそうした遺伝子の最初の損傷が始まっていることもわかってきているんです。ですから母体環境が今まで想像されていた以上に大事だと考えられます。
吉田 子どもたちの白血病では、治療面でも難しいところが多いでしょうね。じつは私自身が骨髄性の急性白血病を患い、臍帯血移植を受けているんですが、移植前後のつらさは今でも忘れることができません。ハンマーで叩かれたような頭痛が続き、強烈な吐き気に襲われる……。よく子どもたちがあの苦しさに耐えているものだと、いつも感心しています。
水谷 多くの子どもたちも吉田さんがいわれるように、何らかの症状に苦しめられています。それを表現できないでいる子どもがいる可能性もありますね。白血病に関しては、治療面も含めて、まだわかっていないことがたくさん残されています。子どもたちの治療をもっと楽なものにしたり、発病の予防法を見いだすためにも、さらなる研究が求められているんです。
吉田 だからこそ先生が白血病治療の研究基金を立ち上げられたのでしょうね。その研究基金について、まず立ち上げの経緯から教えてください。
水谷 そうですね。その前にまず、私自身について話させてください。私は大学卒業後、東大病院の小児科で約10年間、白血病治療に取り組んでいました。その間に何人もの子どもたちが亡くなりました。大勢の子どもを失い、臨床を続けているのが、ちょっとつらくなった時期があるんです。
そんなときにある専門雑誌で、イギリスの白血病研究基金が研究スタッフを募集している告知が掲載されていた。それでちょっと現場を離れて勉強するのもいいんじゃないかと思って、その基金に手紙を書いたところ、しばらくして、やる気があるのなら生活の面倒はこちらでみると返事が来た。
それで2年間、イギリスでこの病気について基礎研究を始めることになったんです。大げさに聞こえるかもしれませんが、このイギリスでの体験で、私の医療に対する見方は180度転換しました。日本で基金をつくりたいと考えたのも、イギリスでの経験が土台になっているんです。
ボランティア意識が医療を充実させる
吉田 その基金というのは、どんな性格の基金なんでしょう。たとえば日本でいえば厚生労働省が関係しているとか……。
水谷 いえいえ。純然たる民間の研究基金です。白血病治療の質を高めたいと考えている人たちが、ボランティアスタッフとして一般の人たちから寄付を募り、研究者に資金提供しているんです。その資金をもとに病院などの施設の一部を借りて、研究者たちが活動を続けています。イギリスではこうした民間の基金活動が、とても盛んに行われているんです。
吉田 そうですか。日本ではちょっと考えにくいですね。
水谷 街を歩くと、いたるところで何人ものボランティアがさまざまな名目の募金活動をしています。それにPR活動も盛んです。たとえば地下鉄に乗ると、駅のホームの壁に広告が掲げられているでしょう。そのなかに「白血病研究に協力を」という呼びかけも含まれているんです。そうした呼びかけに市民がしっかりと答えているんですね。イギリスの白血病研究基金の場合は年間で20億円もの予算が組まれているほどですからね。その予算を1年間でパッと使い切ってしまう。
吉田 20億円……。たいへんなスケールですね。日本でも最近になって、骨肉腫などの難病治療の研究に患者さんたちが自分たちでお金を集めて、研究費を助成している話も耳にしますが、そうしたケースはまだまだ少ないですね。これほど大規模に活動が進められるのは、やはりイギリスの人たちの国民性が影響しているのでしょうか。
水谷 医療の歴史が違うせいでしょうね。イギリスも含めてヨーロッパの医療は教会を中心に発展しています。だから皆で助け合う精神が根づいているのでしょうね。
自分たちの医療は自分たちで良くして行こうと考える。日本の場合は上から与えられた医療がベースになっていますからね。税金を払っているのだから、その範囲で何とかしてくださいということになってしまう(笑)。
吉田 なるほど。それで日本に帰ってこられてから、イギリスと同じような基金を立ち上げようと考えられたわけですね。でも、日本では、そう簡単に事業を進めるわけにはいかなかったのではないですか。さぞご苦労も多かったと思いますが……。
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