シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・荻野尚さん
コンピュータと情報の時代の申し子 陽子線治療は手術に匹敵する治療法

撮影:板橋雄一
発行:2004年6月
更新:2013年5月

  
荻野尚

荻野尚
おぎの たかし
1956年新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業後、1985年より国立がん研究センターに勤務し、放射線治療を専門としている。現在、千葉県柏市の国立がん研究センター東病院陽子線治療部長。日本医学放射線学会専門医、日本放射線腫瘍学会認定医。通常の放射線治療も行っているが、国立がん研究センター東病院に設置されている陽子線治療に主として携わっている。

田原節子

田原節子
たはら せつこ
エッセイスト。1936年東京に生まれる。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。アナウンサーとして17年、CMプロデューサーとして10年勤務した後退社。現在は田原事務所代表を務める。乳がんを中心に医療、そして女性問題をテーマに各方面で執筆講演活動を行っている。98年10月に乳がんを発症、再発転移はあるが、満5年生存を超えた。

陽子線ががんだけに効くしくみは?

田原 IT技術が加わって放射線治療がどんどん進化し、より厳密な治療が行われるようになってきました。北海道がんセンターの西尾正道さんに放射線治療の歴史から現代まで、そして千葉県がんセンターの幡野和男さんに、放射線照射の最先端技術IMRT(強度変調放射線治療)のお話を伺いました。どんどん理屈も難しくなりますが(笑)。今回は3回目、陽子線治療というものについて、放射線治療の中での位置づけや、患者がその恩恵を受けるにはどうしたらよいかを荻野さんに伺いたいと思います。やはり最新鋭の技術なんですよね?

荻野 IMRTのほうが技術としては最新鋭です。陽子線は実はもっと古く、昔から物理研究などに使われてきたのですが、1946年にアメリカで原爆の研究をしていた物理学者のウィルソンが初めて、陽子線を医療に使うことを提案したんです。

田原 陽子線という言葉も、一般にはなじみがありませんよね。治療に使う機械が非常に大掛かりだとか、台数が少ないとか、費用もすごく高いというイメージはあるんですけれど(笑)。

荻野 陽子線は、重粒子線と呼ばれるものの一種です。

田原 二つとも放射線ですね?

荻野 放射線は、大きく分けて、X線やガンマ線などの光子線と呼ばれるものと、中性子線、炭素線などの重粒子線に分類されます。陽子線も広い意味では重粒子線の仲間です。研究的には、炭素だけでなく、ヘリウムやネオンの粒子も使われていますが、現在医療に使われているのは炭素線と陽子線です。炭素を加速したものが狭い意味の重粒子線、陽子を加速したものが陽子線と簡単にご理解いただいても間違いではありません。

田原 いろいろ種類がありますね。それぞれの特徴はなんでしょう。

荻野 普通のX線の特徴は、体表面で一番エネルギーが高くて、あとはだらだらっと減っていって、体を突き抜けることです。これに対して重粒子線は、最初はあまりエネルギーを出さず、あるところで一気に放出して、一気になくなるという性質を持っています。専門用語でこの一気に放出するところをブラッグピークと呼びますが、ここに病巣を持っていけば、集中してたくさんの量の放射線を当てることができます。また、その前後の正常な部分にはほとんど放射線を当てずに済みます。

[陽子線の特徴]
陽子線の特徴
ブラッグピークと呼ばれる、一気にエネルギーを放出するところがあるので、
そこに病巣を合わせると、正常な組織に障害をさほど与えずに治療ができる

田原 そのブラッグピークを、人工的に指定できるんですか?

荻野 体の奥深くに病巣があっても、反対に浅いところにあっても、そしてそこにある腫瘍が大きくても小さくても、ブラッグピークを合わせることが可能です。体のどの部分でも、一気に放出して一気になくなる、重粒子線に共通の特徴は保たれるんです。

ITの進歩が陽子線を医療用として普及させてきた

田原 その治療が、もう半世紀も行われてきているんですか?

荻野 1954年にアメリカのローレンス・バークレイ研究所で初めて陽子線が患者さんの治療に使われましたから、今年でちょうど50年です。日本では、79年に千葉市の放射線医学総合研究所で治療が始まりました。

田原 日本はだいぶ遅れて出発ですね。

荻野 それももとは、物理研究用の装置を流用していたんです。83年に筑波大学でも物理研究用の機械を借用して治療に使い始めました。一番の転換点は、90年に、カリフォルニアにあるロマリンダ大学メディカルセンターが、初めて医療専用の装置を導入しました。それが引き金となって、医療として普及しはじめたんです。

田原 そうすると、臨床専用になって、まだ14年ですね。

荻野 ロマリンダ大学が医療用第1号機で、第2号機はわれわれの国立がん研究センター東病院です。98年に導入しました。第1号から第2号まで8年、われわれのところで導入して6年ですが、最近どどっと増えてきているんです。

田原 その理由は?

荻野 強度変調放射線治療と同じように、90年ごろから普及してきた理由は、やはりIT技術の進歩です。昔の研究用の施設では、横20メートルぐらいのパネルに計器がずらりと並んでいて、研究者はそれらの計器を見ながら調整をして陽子線を出していました。

田原 それだけのものが必要だったんですね。まるで工場。

荻野 それが、コンピュータの進歩で、今机の上にあるこのパソコン1台程度で制御できるようになったんです。

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