シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・青木正美さん
大いに語り合った医師と患者がよい関係を築く秘訣

撮影:板橋雄一
発行:2004年7月
更新:2013年5月

  
青木正美

青木正美
あおき まさみ
青木クリニック院長。1958年東京生まれ。85年獨協医科大学卒業。第1麻酔科入局後、国立栃木病院などを経て、96年東京都中央区にペインクリニックを専門として開業。頸腕肩痛・腰痛など多様な痛みを訴える患者と、コミュニケーションをよく取ることを心がけながら治療をめざしている。著書に『首と肩の痛みをとる本』(講談社)

田原節子

田原節子
たはら せつこ
エッセイスト。1936年東京に生まれる。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。アナウンサーとして17年、CMプロデューサーとして10年勤務した後退社。現在は田原事務所代表を務める。乳がんを中心に医療、そして女性問題をテーマに各方面で執筆活動を行っている。98年10月に乳がんを発症、再発転移はあるが、満5年生存を超えた。

同じマンションの住人同士

田原 青木さんとは、同じマンションの上と下に住んでいるというご縁で、もう10年以上のお付き合いです。最初は夫の総一朗を診ていただいていて、それが不思議なご縁で私が診ていただくようになった。それももう6年になりますね。最初はエレベーターや近所のスーパーでご挨拶するぐらいでしたよね。

青木 上の階に田原さんご夫妻が住んでいらっしゃることは存じ上げてました。私が医者だということがわかったのは、やはり同じマンションに私の患者さんがおられて、その方が亡くなるときに、お世話をしていた姿を総一朗さんがごらんになって。

田原 総一朗から、青木さんがお医者様だとお聞きしました。

青木 実際にお付き合いが始まったのは、93年ごろに総一朗さんの具合が悪くなられて。ですから、最初は、病弱な夫の、面倒見のよい妻としての出会い(笑)。妻というより、総一朗さんの冷静なプロデューサーとかマネージャーのような方でした。

田原 あの頃の総一朗はいつ倒れるかわからないような仕事ぶりでした。年末年始や真夜中とか、世の中の医療が途絶えるときに調子が悪くなる。青木さんは、そんなときに天から降りてくる命綱のような存在でした。

不安の頂点での再会

田原 私が、がんというとんでもない病気に出合って、おまけに最初の病院に納得できなくて自分で勝手に飛び出してきた。その後を診てくださるドクターがどこへ行ったらいらっしゃるのかわからなくて、困り果てていました。
最初に抗がん剤と放射線を受けてから手術をした右の胸に、ゴルフボールがすっぽり入るような、縫合不全の大きな穴が二つもあいて、毎晩、その手当てを、総一朗がしていたんです。でもそのときは「がんのドクターを探さなきゃ」って頭の中がすごく狭くなっていて、青木さんに面倒を見ていただくということは、考えていませんでした。

青木 あれは99年の4月、ちょうど石原都知事が出てきた都知事選の日でしたね。

田原 そう、雨のしょぼしょぼ降る日で。エレベーターの扉が開くと、その真ん中に青木さんが立っていらして、「あっ! そうだ、青木さんがいらっしゃるんだ」って。まるで夢のような。

青木 私の記憶では、エレベーターの扉が開いたら、そこに田原さんご夫妻がいらして、なんだか、エレベーターの中の空気が非常に暗いんです(笑)。 それまで、総一朗さんからは一言二言、節子さんのご病気のことを伺っていましたから、ああ、退院されたんだな、と思ったんですが、その暗い空気の中に入っていくのは、非常に重かったんです。

田原 選挙会場までの、ほんの5、6分の間ですよね。青木さんが「いかがですか」って聞いてくださって、そこから一気にだーっと、困っていることをしゃべり続けたんです。

青木 傘を持っていなくて、総一朗さんの傘に入れていただいたんですが、総一朗さんは私にだけ聞こえる声で「毎日僕が消毒しているんですけれど、怖いんですよ」っておっしゃった。それで「まず、傷を見せてください」と。

田原 その夜、来てくださって、傷口をお見せしたんです。

青木 私は専門がペインクリニックで外科ではないですが、「こんなの見たことないぞ」というような傷がぽっかり開いている。「なんでこんなので退院してきちゃっているの?」と頭が真っ白になりました。これは素人が手当てするのは無理だ、私がやらなきゃ、誰も引き受ける人はいないだろうと。

田原 傷の穴は、クルミみたいなでこぼこがあって、底なしで、消毒薬をつけた綿棒がどこまでもずぶずぶ入ってしまう。毎日手当てをしても、良くなる様子がない。本当に不安でした。

青木 でも、その夜は、なんだか3人の話がかみ合わなくて、おかしな具合でしたね。

田原 総一朗は炎症性乳がんであることも、その時点で医師から私の命がもって半年と言われたことも知っていながら、私には隠しているときでした。だから、青木さんが質問なさっても、なんだかもやもやと。

青木 誠実に嘘をつかないようにしていらっしゃるんですが、本当のこともおっしゃらない。でもとにかく、これは治療を始めなきゃならないと。

炎症性乳がん=しこりをつくらず、乳房全体が、がん細胞のため炎症を起こしたようになる。予後が悪いとされるが、化学療法等の発達で長期生存できるようになってきている

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