乳がんサバイバーの再発恐怖を軽減 スマホアプリの臨床試験で世界初の効果実証
語る明智龍男さん
がん種にかかわらず、がん患者さんの多くは治療が終わっても、大なり小なり再発や転移の恐怖を抱えて日常生活を送っていることはよく知られています。とくに乳がん患者さんは、10年生存率は90%と予後はいいものの、10年以上経っても再発することがあり、再発に対する恐怖を抱えている方が多いという背景があります。
そこで、乳がんサバイバーを対象にした医療用アプリを開発し、再発恐怖の軽減について臨床試験を行った名古屋市立大学大学院医学研究科精神・認知・行動医学分野教授の明智龍男さんに、その結果について伺いました。
再発恐怖の症状をやわらげる治療法は?
最近のがん治療の進化により、さまざまながん種で長期生存が可能になってきました。一方で、そのことにより、再発の恐怖との戦いという側面も増えたとも言えます。
がんの「再発の不安や恐怖」については、海外では「fear of cancer recurrence」とfear(恐怖)という言葉を使います。そのため日本でも去年、「再発恐怖」に言葉を統一したそうです。
現在、日本では毎年9万人以上の方が乳がんに罹患、その数は年々上昇しています。
乳がんは、手術だけではなく、放射線治療や薬物療法を行ったり、ホルモン療法に至っては10~15年間も行う必要があったりします。
名古屋市立大学病院では、外来乳がん患者さん406人を対象にして体のこと、心理的なことなど34項目のニード調査を実施。その結果、半数以上の患者さんに精神的なケアや治療の必要性があることがわかりました。
再発恐怖63%、不安51%、落ち込み・憂うつ45%などの心理的な側面、中でも再発への恐怖に関しては、症状があるだけではなく、症状をやわらげてほしいというニードが高いことが示されました。
「しかし、医療現場ではどうしようもないという状況が続いていました。そこでなんとかしなくてはいけないと、10年来研究に取り組んできました。多くの患者さんの再発恐怖には、誘因があります。典型的なものは、どこか体が痛んだりすると再発したのではないかと、再発の恐怖に囚われるのです。しかし、再発恐怖の症状をやわらげる直接的な方法がないため、『認知行動療法』のようなアプローチを考えるようになりました」と、名古屋市立大学大学院医学研究科精神・認知・行動医学分野教授の明智龍男さん。
再発の恐怖は、痛みなどの症状のほかに、芸能人ががんになったなどの「がん関連のニュース」と「定期受診時」が3大誘因と言われています。
「そのような中、認知行動療法の中の『問題解決療法』と『行動活性化療法』が、間接的に再発恐怖がやわらぐという臨床的な経験を持っていました。単純に活動量の減少があった場合には、行動活性化療法が効きます。もう1つの問題解決療法というのは、日常生活上の問題点を細かく砕いて、問題を解決可能な形(目標)にして、1つひとつ達成していくもので、『構造化問題解決技法』とも言います」(明智さん)
再発の恐怖が強くなると、活動そのものが減り、その結果楽しめる行動も減り、家で再発のことを考えてしまう。すると「快刺激」が減少して、再発恐怖を感じるというように悪循環に陥ります(図1)。
スマホのアプリを開発するきっかけは?
「もともと実臨床で、問題解決療法と行動活性化療法を行なっていて、再発恐怖が軽減するという印象を持っていました。一方で、がん患者さんのこのような症状に医療提供できる専門医はほとんどいません。そのようなこともあって、スマートフォンで使える医療アプリを作れば、非常に多くの患者さんに一度に届けられるということで、研究開発を始めたということです。そして考案したのが認知行動療法のスマホアプリなのです。
今回の研究のもう1つの大きな特徴は、患者さんが来院しなくても臨床試験に参加できる『分散型臨床試験』というシステムを開発したことです。また、研究計画の段階から患者さんに参加してもらいましたが、これも大きな特徴の1つです」(明智さん)
「分散型臨床試験」とは、自分のスマホさえあれば、病院に行かなくても場所や時間の制約を受けずに臨床試験に参加できる、今回のコロナ禍でより注目を浴びている方法で、「今後病院に来てもらえなくても、症状緩和ができるものにつながるでしょう」と明智さん。
問題解決療法はどのようなことを行うのでしょうか?
たとえば、「再発のことが頭から離れない」という患者さんがいた場合、まず問題を小分けします。
そのやり方は、「独りでいるときに、がんのことを考えてしまうと、頭から離れなくなってしまう」というように、「独りでいるとき」とか「がんのことを考えると」というように具体的に問題を小分けします。その上で、具体的な達成可能な目標を考えます。
例えば「休日にがんを考えない時間を2時間つくる」など、できるだけ多く解決策を考えます。良い悪いは別にして、散歩、お風呂、図書館、カフェ、ワインを飲むなど思いついたものをリストアップします。その上でメリット、デメリットを考えて自分が行う行動を選びます。
「計画して、実際に行ってもらうところまでします。そして実行した上で気持ちの変化を振り返える、これが大事なのです。これにより、病気を考える時間が少し減ったとか、自分の気持ちをコントロールできることがわかったなどというように。これをアプリ(解決アプリ)で行いながら、自分ができるようにするというのが今回の大きなテーマになりました」(明智さん)
行動活性化療法はどのようなことを行うのでしょうか?
一方、行動活性化療法とは、患者が自らの活動を抑制している感情を断ち切り、本来望む目的に沿った行動を学ぶ療法です。
行動活性化療法(元気アプリ)では、やってみたい行動を記入して実行します。
恐怖が強くなると、これまで楽しめていた行動が少なくなり、その結果より恐怖が強くなります。なので、活動の重要性を知った上で、楽しい活動や新しい活動を行います。
「この場合も、行動した結果を振り返ってもらうことが重要で、とにかく行動してみることの大切さを、身を持ってわかってもらうことが大切なのです」(明智さん)
自分でいろいろと考え、アプリの中には、5秒でできるのも、5分でできるものなどのアイデアが紹介してあり、取り入れてもらうようにしてあるそうです。
スマホを活用した「分散型臨床試験」の成果は?
このようなアプリを使って、無作為比較試験を行ないました。今回の試験デザインは、iPhoneユーザーで術後1年以降の無再発の乳がん患者さん(20~49歳)。2018年4月に試験開始、2020年7月登録エントリー終了した無作為化割付比較試験です。解決アプリ+元気アプリ介入群(n=223名)と通常治療群(n=224名)に分け、8週間認知行動療法のアプリを行ってもらった(2021年1月フォローアップ終了)(図2)。
結果、主要評価の再発恐怖に関して、4週からアプリ介入群が有意に改善し、24週まで効果が持続。その効果は、うつ病に対する抗うつ薬と同程度であったという。
「この認知行動療法のスマホアプリで、世界で初めて乳がんサバイバーの再発に対する恐怖感を軽減することに成功しました。自分でできることを目標に書いて、実際に行動することが大切だという結果です」(明智さん)
この結果は、2022年11月、『Journal of Clinical Oncology』に掲載されました(図3)。
アプリは今後どう使えるようになるのでしょうか?
「今回の分散型臨床試験の特徴として、脱落者が非常に少なく8週時点では99%、24週時点でも96%の方が継続できた点で、試験の質が良かったことが挙げられます。参加されたサバイバーの半数以上は働いている方で、いつでもどこでもできることが大きなメリットでしたね」(明智さん)
また、参加された患者さんの感想は、どこでもできて気軽だった、隙間時間でできてよかったなど、とても好意的でした。また、デメリットとしては、病気のことを考えてしまうなどがありました(図4)。
今、このような研究はさまざま行われていて、がん患者さんのもう1つの大きな問題「うつ」についてのAMED(日本医療研究開発機構)の研究も、これから結果が出るそうです。
「今回アプリで、初めて抗うつ薬くらいの効果が科学的に実証できたことは、これからが大きいのだろうと思います。アプリの維持・運営にはかなりの費用がかかるため、実臨床の場で、どのように利用していくかはこれからの課題ですが、将来は、外来診療に加えて、補助的にアプリを行ってもらうことができるなど、この成果を生かしたいですね」と明智さん。
がん患者さんの精神的ケアと痛みのニーズは非常に大きいにも関わらず、日本には腫瘍精神科医は非常に少なく、このような再発恐怖やうつ病でつらい思いをしていても、医療的ケアを受けられるがん患者さんはごく少数です。アプリがそのような状況を改善するツールとして、広く使えるようになることを期待したい。
愛知県がんセンタープレスリリース 乳がん患者さんの再発に対する恐怖をスマートフォンアプリを⽤いて軽減することに世界ではじめて成功
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