喉頭全摘手術で声を失った元編集者が 医療従事者にいま訴えたいこと

声が出ない不自由さは 想像をはるかに超えていました

取材・文●吉田燿子
発行:2014年8月
更新:2014年11月

  

今坂和子 さん (元編集者)

いまさか かずこ 1952年東京日本橋人形町生まれ。日本大学国文科卒業後、75年婦人画報社に入社。「美しいキモノ」の編集を手がける。90年転職し、シニア向け月刊誌「花も嵐も」の編集に携わった後、93年編集プロダクションを設立し、2009年会社清算。13年秋に喉頭がんと診断され、喉頭全摘手術を受ける

煙草を1日20本、日本酒を2合~3合を飲んでいた今坂さん。2009年ごろから喉に痛みを覚えて病院を転々と。しかし、痛みはひどくなる一方。昨年の秋、大学病院でステージⅢの喉頭がんと診断され「仕方ない、お灸をすえられたな」と喉頭全摘を覚悟する。しかし想像を超えるつらさは喉頭全摘手術後から始まった……


マスコミ関係者に多い病気

喫煙や飲酒との強い関連が疑われる、「喉頭がん」。喫煙率や飲酒機会が多くなりがちな、マスコミ関係者に多い病気としても知られている。

2013年に喉頭がんを発症した今坂和子さん(61歳)も、その1人。現役時代は出版社で、婦人ファッション誌やシニア向け月刊誌の編集を手がけてきた。

喉に強い痛みを感じ病院を転々 やっと喉頭がんの診断

今坂さんが喉に違和感を覚えたのは、50代後半に差しかかったころ。声がかすれ、喉の痛みや飲み込みにくさを感じるようになった。尋常でない喉の痛みに襲われたのは、還暦を迎えた2013年5月のことだ。

「気がついたら体重が10kg減っていた。人に会うたび、『痩せたね』と言われました。今にして思えば、喉を痛めるような生活をしていたのも事実です。煙草を1日20本、お酒も一晩で2合から3合は飲んでいましたから」

近所の耳鼻咽喉科で内視鏡検査を受けたところ、「ポリープがあるが心配はない」とのこと。痛みを和らげるため、吸入に通ったが、それでも痛みはとれない。原因を突き止めようと、さまざまな病院を訪れたが、どこに行っても診断は「軽い炎症」。心配した友人が、〝名医〟と名高い日本橋の耳鼻咽喉科医を紹介してくれた。

クリニックで内視鏡検査を受けたところ、写真に白い腫瘍のようなものが写っていた。医師は食道がんを疑い、直ちに胃カメラの検査が行われた。

「アレルギー性鼻炎と逆流性食道炎ですね。1カ月で治りますよ」。〝名医〟の言葉にホッと胸をなでおろしたが、痛みは消えるどころかひどくなる一方。10月4日に内視鏡の再検査を行ったところ、写真には大きな腫瘍がはっきりと映っていた。

1週間後、紹介状を持参して大学病院を受診。CT検査の後、検査手術をすることになった。

「喉頭の腫れの原因を突き止めるため」というのがその理由だったが、主治医は『がんを疑っている』とはっきり言った。ただならぬ雰囲気を感じた今坂さんは、「喉頭がん」であることを確信。組織検査のための手術を受けたのは、10月20日のことだった。

ひとり暮らしの今坂さんは、友人夫婦に付き添われて告知を受けた。確定診断は、「ステージⅢの喉頭がん」。主治医からは、「喉頭全摘手術」「化学放射線治療」「何もしない」という3つの選択肢があると聞かされた。喉頭を全摘すれば治る可能性は高いが、声を失い、気管孔から呼吸することになる。化学放射線療法を選べば、声は失わずにすむが、呼吸の安定に問題があるという。その丁寧な説明に信頼感を覚えた今坂さんは、主治医が勧める全摘手術を受ける覚悟を決めた。

「なんで私が喉頭がんに、と思いましたし、手術で声を失うことにも納得がいかなかった。ただ肺転移がないようなので、『喉頭を全摘すれば大丈夫』というお話だったので、声を失うことだけが不安でした。それに、煙草が原因であることははっきりしています。喉頭全摘を決めてからは、『仕方ない、お灸をすえられたな』と思い、平常心を取り戻しました」

喉頭全摘手術を受け 自力でリハビリを行う

11月20日、8時間にわたって喉頭全摘手術が行われた。転移があった右リンパ節を全摘し、左リンパ節と甲状腺も切除。首に永久気管孔を作った。

食道を縫合したため、手術直後はつばを飲み込むことを禁じられたが、つばは次から次へと湧き出してくる。それがおさまると、今度は気管孔に痰が湧き出るようになった。自力では痰を出せないので、1時間に5、6回も痰を吸引してもらわなくてはならなかった。

また、リンパ節を郭清すると五十肩のような症状が出るので、術後すぐに肩のリハビリ体操を行わなくてはならない。入院して3週間もすると、体調も回復してきたので、1日2回20~30分ずつ、病院内を散歩しながら体力の維持を図った。

「私はてっきり、専門の方がリハビリを指導してくださると思っていたんですが……。先生は手術までが自分の仕事だと思っておられるようで、リハビリのことは何も教えてもらえませんでした。自分から質問してやり方を教えてもらい、病室でジュリー(沢田研二)のDVDを見ながら、曲に合わせてリハビリをやっていました」

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