膵がんⅣb期と尿膜管がんで「余命3カ月」の宣告を受け、一時は地獄を見た男が辿りついた境地とは
膵がんサバイバーとして膵がん研究の支援活動に取り組みたい
林 育生 さん (食用廃油リサイクル会社代表取締役)
福岡で食用廃油のリサイクル事業を営む林育生さんが、がんの宣告を受けたのは2年前。林さんを襲ったのは、難治がんの筆頭格である膵がんと、希少な尿膜管がんの併発という過酷な運命だった。脊髄への骨転移の疑いもあり、一時は延命治療を勧められながらも、決してあきらめることなく、自ら手術への道を切り拓いた林さん。絶望的な状況のさなかで、林さんはいかに希望を見出し、生き延びたのか。
糖尿病で入院中
2つのがんが発覚
がんが発覚したのは偶然だった。2012年4月、馴染みの居酒屋で「最近、痩せた?」といわれ、開業医の友人のもとで血液検査を受けた。「糖尿病」と診断され、九州大学病院の糖尿病内科に入院。尿にドロッとしたゼリー状のものが混じっているのが気になり、泌尿器科の検査も受けることにした。
エコーや膀胱鏡検査を行ったところ、「尿膜管がんの疑いあり」。画像診断の結果を見て、主治医は「膵臓に腫瘍があるかもしれない」と告げた。
「ただ、当時の僕は能天気だったので、膵臓腫瘍がそんなにヤバイとは思っていませんでした。『切ればいいんだろう』、ぐらいの感覚でしたね」
膵臓生検を受け、検査結果を聞きに行った。主治医と膵臓内科医、研修医の3人が揃って入ってきたのを見て、林さんは最悪の事態を覚悟した。
「その頃には勉強もしていたので、膵がんの5年生存率が低いことは知っていました。ただ、ショックを受けたというより、どうやってがんと闘おうか、と考えていました」
膀胱鏡検査で発覚したもう1つの腫瘍も、国内では年間20~50の症例しかない尿膜管がんと判明。糖尿病のつもりで入院した林さんは、思いがけず、難治がんと希少がんのダブルキャンサー(重複がん)を抱え込むことになった。
脊椎に転移が発覚 一転、手術は中止へ
だが、さらなる衝撃が林さんを待ち受けていた。膵がん手術の2日前、MRIで背骨に転移巣が見つかったのだ。ステージはⅣaからⅣbに上がり、「手術はできなくなった」と、主治医から告げられた。手術ができないということは、延命治療しか道が残されていないことを意味する。(俺はもう、助からないのか)……林さんはショックで打ちのめされた。
「今思えば、転移が発覚してからの2週間は、宝物だったかもしれません。死というものをまざまざと見せつけられましたから。ただ、Ⅳb期の膵がんでも、抗がん薬だけで奇跡的に10年以上生きている方が稀にいらっしゃる。俺は、そこに分類されるようにならんといかん、と思いました」
その日、林さんは尿カテーテルを入れたまま、熊本まで車を走らせた。実家の仕事を手伝ってもらっている妻に、転移があったことを伝えるためだ。
「『骨転移があった』ことは伝えたんですが、それが何を意味するかまでは言えなかった。『俺、死ぬんだよ』と嫁にいうのは、つらかった。嫁に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
背骨に見える影は「転移」ではなかった
告知後の2週間を失意の中で過ごした後、林さんは腹を決めた。人間いつかは死ぬものだ。少々早すぎた感もあるが、ジタバタしてもしようがない。
「先生、俺、一番早くて、どのぐらいで死にますかね」
林さんが食い下がると、膵臓内科医は渋々、こう答えた。
「うーん、そうですね。3カ月ぐらいですかね」
背骨の腫瘍が悪性かどうかを知るには生検が必要だが、もし誤って針が脊髄に触れれば、下半身麻痺になる危険がある。転移発覚から約10日後、林さんはセカンドオピニオンを受けようと、妻と一緒に鹿児島県指宿市のメディポリスがん粒子線治療センターを訪れた。
下半身麻痺のリスクを避けるため、生検は局部麻酔で行われた。ハンマーとペンチで骨を削っていく感触に必死で耐えたが、結果は「シロ」。このときの心境を、林さんはこう振り返る。
「もう楽勝だ、と思いましたね。1回地獄を見せられているので……。これで自分も手術を受けることができる。もしかしたら、完治できるかもしれない。これまでは奇跡的治癒を期待するしかなかったのに、現代医学で治る可能性が出てきたわけですから、テンションも上がりますよね。あの時期を経験したからこそ、『膵がんは厳しい』とは、あまり思わなくなりました。『再発率は高いけど、これだけの運があるんだから、きっと再発しないだろう』と、勝手に思い込んでいます」
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