進行性肺線がんⅢBと診断され手術不可能と宣告。しかし、そのあきらめない生き方に学ぶ
がんを隠さず、オープンに生きると闘う力が湧いてくる
水野ゆき さん (障害者送迎車添乗員)
肺がんが、がん死亡率第1位といわれるようになって久しい。そんななか、7年前にステージⅢBの進行性肺線がんを発症。アレルギーや喘息の持病を抱えながらも、手術と化学療法によって生還し、元気に暮らしている人がいる。埼玉県在住の水野ゆきさん(61歳)。穏やかな笑顔が印象的な女性だ。
病気を隠さないことも、がんと生きていくための大切なポイントではないか
「私はがんになったことを全然隠していないんです。『私、がんになっちゃって』と話していたら、『今度、話をしに来てよ』『私も(がん)なんですよ』と、声をかけていただく機会も増えました。『あなた、病気だなんてうそでしょう』と言われたことも(笑)。病気を隠さないことも、がんと生きていくための大切なポイントではないかという気がするんです」
足のむくみがきっかけで肺がんが発覚
がんの兆候は、両足のむくみから始まった。2007年1月、家庭医から紹介された隣駅の循環器科でCTを撮影したところ、左肺に3㎝超の腫瘍が写っていた。
「おそらく腺がんだと思います。でも、左肺の下葉の中だけに限局しているので、下葉切除で取り切れると思います」
予想もしなかった突然のがん宣告。水野さんは事態を飲み込むことができず、茫然とした。
「先生、大丈夫です。私、がん保険に入ってますから」。混乱のあまり、気がつくとトンチンカンなことを口走っていた。看護師から「大丈夫?」と肩を叩かれ、我に返ったのを覚えている。
その日の夜、水野さんは家族に病名を告白。中2の長女はじっと聞いていたが、小6の次女は「お母さん、死なないで」と泣きじゃくった。(この子たちを残してはいけない……)そんな思いに駆られながら、水野さんは滂沱の涙を流していた。
「手術はできない」という無情な宣告
2月中旬、地域の国立病院に検査入院。ある日、4人部屋の病室で休んでいると、若い主治医がベッドサイドにやってきて、軽い口調でこう言った。
「水野さん、やっぱりがんでした」
病室は水を打ったように静まり返った。告知の内容もさることながら、患者のプライバシーを一顧だにしない医師の態度に、水野さんは愕然とした。
外科医の診立てによれば、水野さんの病期は、「うんと楽観してⅠB、側にある影を転移と考えるとⅢB」とのこと。仮にⅢBだとすると、標準治療では手術対象外だが、手術で命を長らえた患者も多いという。
水野さんは迷わず手術を希望したが、思わぬ伏兵が待ち受けていた。負荷心電図に異常があるので、手術前にカテーテル検査を行う必要があるというのだ。
だが、水野さんには強いヨード・アレルギーがあるため、ヨードを使うカテーテル検査を行うことはできない。代わりに、心筋シンチ検査が行われた。その結果を主治医から聞かされたとき、水野さんは思わず耳を疑った。
「右冠状動脈に広範囲の虚血が認められるので、ここでの手術はできません」
そう言って、主治医は自分で転院先を探すように告げた。
「病院を紹介していただけないんですか」
「はい。紹介状なら5枚でも6枚でも書きますから、自分で探してください」
その突き放したような態度に、水野さんは愕然とした。患者の権利という美名の下に、医療者が責任逃れをしている――そう思えて仕方がなかった。
知人の紹介で、がん研有明病院に転院
国立病院を退院したのは3月下旬。幸い、知人の医師から、がん研有明病院呼吸器外科の中川部長を紹介してもらうことができた。検査の結果、「手術は可能」との診断が出て、がん研に入院したのは5月7日。最初の入院から、すでに3カ月が経過しようとしていた。
がん研では、3人の医師が担当医として付いた。術前の説明によれば、腺がんは播種が起こりやすいタイプのがんで、水野さんの腫瘍は大きいため、すでに播種が始まっている可能性がないとはいいきれない。持病の喘息やアレルギーもあるため、手術中に死に至る可能性が一般的な数値の6倍も高いと説明された。だが、どんなにリスクが高くても手をこまねいていれば、座して死を待つしかない。リスクを承知の上で同意書にサインをしたが、「不思議なほど不安はなかった」と、水野さんは振り返る。
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