腫瘍内科医のひとりごと 88 人生の最終段階への「事前指示書」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2018年4月
更新:2018年4月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

Sさん(68歳、男性、元公務員)は、妻Kさん(66歳)と2人暮らしでした。Kさんは4年前、肺がんで手術、化学療法、放射線治療を受けました。さらにその2年後には脳梗塞を患い、左半身麻痺となりました。

Sさんは、Kさんの介護と家事を一手に引き受けて頑張りました。

夏のある日、Kさんは急な発熱と呼吸困難があり、A病院に救急搬送されました。担当医から「嚥下(えんげ)性肺炎で、がんの再発ではありません。入院して抗菌薬で様子を見ましょう」と言われ、Sさんはほっとして夕方帰宅しました。

しかし、翌朝の4時頃に、すぐ病院に来るように電話が入り、Sさんは娘、息子に連絡し病院に駆けつけました。

当直医から「このままでは、呼吸が止まります。血圧が下がって、意識ははっきりしなくなっています。人工呼吸器をつけるか、このまま様子をみるか、どうしましょうか?」と問われました。

Sさんは、「妻はずっと病気で苦労してきたから、安らかに眠らせてあげよう。もう何もしなくて結構です」と言いかけたとき、駆けつけた息子と娘が「先生、出来るだけのことをお願いします」と、はっきり言ったので、Sさんは何も言えなくなりました。

妻を見て「事前指示書」を書こうと

人工呼吸器に繋がれたKさんは、その後、血圧は安定し、鎮静薬の作用もあって意識のない状態となりました。

Sさんは友人にこのことを話すと、友人は「だから、元気なときに自分自身の希望を書いておく『事前指示書』が勧められているんだよ。私だったら、意識がない状態になったら人工呼吸器はいらない。蘇生もしない。自然のままでいい。そう書いておくよ。意識がない状態でずっと生かされたら最悪だよ」と言われました。

事前指示書の「私の意思表示帳」。群馬県の原町赤十字病院と老人クラブが一緒に小冊子を作成、終末期の治療などのコミュケーションツールとして活用されている(発行:NPOあがつま医療アカデミー・吾妻郡老人クラブ連合会)

Sさんは、友人の言うことをなるほどと思いましたが、意識なく横たわっているKさんを見つめながら複雑な思いでいました。ネットを調べてみると、「終末期医療に関する事前指示書」というのがありました。

4日後になって、担当医から「血液の酸素の状態がよくなってきました」。そして、7日後には「挿管(そうかん)の管は口から入れておくのに限界があります。喉の所に穴を開けて、そこから呼吸器に繋ぎます、気管切開です。その後に鎮静薬を減らしていきます」と、言われました。

そして2週間後には肺炎は好転し、救急蘇生室から一般病棟へ移り、人工呼吸器ははずされました。しかし、Kさんの意識は朦朧(もうろう)としていて、Sさんのこともはっきりわからない状態が数日続きました。

妻の笑顔がここに

あるとき、Sさんを見つめるKさんに笑顔が見られました。そのとき、Sさんは思いました。

「あのとき、もし妻が書いた事前指示書があって、『人工呼吸器はつけない、いざというときは何もしない』とあったら、もしかして息子も娘もそれを見て納得し、医師もそれを尊重して人工呼吸器はつけなかったかもしれない。そうしたら、いま、Kさんのこの笑顔は見られなかったのだ。これからも生きるのは大変だけど、つらいことがいっぱいあるだろうけど、笑顔の妻がいまここにいる。助かってよかったのだ」

そして、Sさんは、「そうか、妻の場合の肺炎は不治ではなかったのだ。それでも、もし自分自身の場合だったら、人工呼吸器をつけるのは嫌だ。自分の事前指示書には『人工呼吸器はいらない』と書いておこう」。そう考えたのでした。

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