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腫瘍内科医のひとりごと 101 「死に目に会えた」
がんの終末期、ご臨終、そのときのお話です。
「今、息子がこちらに向かってもうすぐ着くのです。間に合うでしょうか?」と言われたことは、何回も、何回もありました。
血圧が下がって意識がない、下顎呼吸(かがくこきゅう:呼吸の度に下顎を動かす状態)の患者さんを前に、「ほら、あなたが来るのを待っていたのよ」「間に合ってよかったね。〇〇ちゃんだよ、お父さん。待っててくれたのね」と話しかける家族。間に合ってほっとして、それでも、間もなく臨終になって、皆さんは泣き崩れます。
急いで病院に着いたが「先ほどまで息をしていたのに」、と言われ愕然とされる方。白い布で顔を覆われているのを見て、肩を落とされる方もおられました。何日も、病室で寝泊まりを一緒にしていた家族が、病院の近くの食堂に行っている間のわずかな時間に息を引き取り、とても残念がった方もおられました。
間に合わなくとも……
1980年頃と思います。私の娘と息子が小学生のときに下村湖人の「次郎物語」という映画を池袋の劇場へ見に行ったことがあります。記憶が定かではなく、間違っているかも知れませんが、こんな場面があったと思います。幼少期に次郎は母親のお民の教育的配慮から、お浜の家に預けられ育ちます。
お浜が次郎に話す昔話です。
「お釈迦様が亡くなる時、スズメはいち早く駆けつけた。だから今でもお米が食べられます。ツバメは、白いシャツや燕尾服のおしゃれをするために、駆けつけるのが一番遅くなりました。お釈迦様は『そんなにおしゃれが好きなら、虫でも食うておれ!』と言われました。ツバメはいまでも虫しか食べられなくなった……」
私はなんとなくこの場面がずっと頭に残っていました。この話が、臨終に間に合った、間に合わなかった、それに重なっていたのかも知れません。
まったく意識がないのに、わかってももらえないのに、「間に合う」ということは、そんなに大切なことなのかと考えることもありました。
入院していた私の父(96歳)は、ある日の夕方に嚥下性肺炎(えんげせいはいえん)となり、翌朝に駆けつけたときは、もう冷たくなっていました。
私の母(95歳)は、食事が摂れなくなり入院中のある日、次第に血圧が下がり、意識もなくなりました。その晩は私が隣に寝ました。翌夕になって、今晩は大丈夫だろうと考えて、一家で家にタクシーで帰える途中で病院から連絡があり、すぐ戻りましたが、着いたときはすでに息を引き取っていました。
最近は、がんの末期で入院された場合、いざとなってから蘇生術を行うことはほとんどなく、点滴は行っていても、強心薬や昇圧薬を使うようなことも少ないと思います。
それぞれの人生です。終末期も、最期の瞬間も、その時の想いもさまざまです。死ぬ瞬間に、その場に居なかったからといって、それほど後悔されなくともよいのではないかと私は思います。後後になって「俺は親の死に目に会えなかった」と何回も言われる方もおられるのですが、その瞬間に、そこに居ることが難しいことも多いのです。