自分の体験を医師として患者のために生かす 自己触診ができる乳がん、自分の直感をもっと大切に

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2019年6月
更新:2019年6月

  

筑丸志津子さん ケセラスキンケアクリニック院長

ちくまる しずこ 1986年東海大医学部卒。卒業後、関東逓信病院で内科、麻酔科、皮膚科診療に従事。2002年横浜市青葉区に「松風台クリニック」を開設。2004年「ケセラスキンケアクリニック」を開設。著書に『皮膚科ドクター推奨免疫メディカルコスメで美しく生まれ変わる!』(メタモル出版)『最強のアンチエイジング リセットスキンケア』がある

叔母2人が共に乳がんで亡くなったこともあり、毎年乳がんの定期検診を欠かさなかった。あるとき、右乳房にあったしこりが明らかに大きく硬くなっていることに気づいた。変だと思い精密検査を受けるのだが、毎回異常なしの診断。しかし、がんはその検査をすり抜けるかのように毎年大きく育っていっていたのだった。

変だなという勘は働いていたのだが

横浜市青葉区でスキンケアクリニックを開業している院長の筑丸志津子さんは、歯科医の叔母2人が共に乳がんで亡くなったこともあり、20歳の頃から毎年乳がんの検診を行ってきた。

「乳房に濾胞(ろほう)が出来やすい体質で、一度大きなしこりが左乳房に出来たときに摘出して調べてもらったことがあります。そのときに乳腺症と線維腺腫(若い女性に最も多い良性の腫瘤)という組織結果が出て、医師からこういうタイプの人は将来的にがんになりやすいですよ、とは言われていたのです」

筑丸さんは自身で日々乳がんチェックも行っていた。

2010年ごろ、右乳房に以前からあったしこりがソラマメ大くらいに大きくなり、それまでとは違う硬さになっていることに気づいた。

これは変だと思った筑丸さんは、知り合いのクリニックでマンモグラフィ(乳房X線検査)、CT、MRI、PETの画像検査を行ったが、結果「異常なし」との診断だった。

しかし、大きさも硬さも変わってきて明らかにおかしいとは思ったものの、そのことを医師には強く言い出せなかった。

筑丸さんは、そのときのことを振り返って言う。

「私の中で変だなという勘が働いていたので、無理やりにでも生検して調べてもらったらよかったかな、といまは後悔しています」

しかし、そう強く主張しなかったのは自分も医師であり、医師が忙しいのは承知していたし、同じ医師なのに「面倒くさい人だな」と思われるのが嫌で遠慮したのだという。

がんが見つかりにくいのには理由があった。それは筑丸さんの乳房は乳腺組織の多いタイプの高濃度乳房(デンスブレスト)だったからだ。

高濃度乳房の女性はマンモグラフィの画像では全体が白く映り、同じく白く映るがんを見つけにくい。

アメリカでは40歳以上の女性の半数を占め、日本人の女性の4割がこの高濃度乳房だと言われている。最近、高濃度乳房についてFDA(米国食品医薬品局)が、各検査機関に個々の乳房のタイプを本人に通知することを義務づけることを決定した。自分がどのタイプの乳房なのかを把握することができれば早期発見に役立つからだ。

しかし、日本の厚労省は、高濃度乳房が病気だと誤解される恐れがあるとして一律に通知することは時期尚早としてこれを行っていない。ただ、地方自治体によっては高濃度乳房である場合は、本人に伝えているところもある。

すでにがんは4.9㎝の大きさになっていた

2015年10月、いちばんつらい時期、自宅で

別の医療機関で2年に一度検査を受け、3回目の検査で右乳房にがんが発見された。

高濃度乳房の場合、乳腺組織が多く、がんが見つけにくいといわれてはいるが、筑丸さんのようにこれだけ定期的にマンモグラフィやPET、超音波で検診して、初めて見つかるぐらい発見されにくいものだ。

がんが見つかった筑丸さんはその医療機関で改めてブレストセンターを紹介され、そこで針生検の結果、乳がんステージ(病期)Ⅱbと診断された。

筑丸さんは執念で乳がんを見つけたのだが、そのときすでにがんは4.9㎝の大きさにもなっていた。2015年9月のことだった。

ブレストセンターの医師から言われたのは、「10年以上前からがん細胞はあっただろう」ということだった。

筑丸さんは皮膚科を専門としていることもあり、しこりに触ることには慣れていたので、やはり「変だなと思っていた勘は正しかったんだ」、と思ったという。

乳がんと宣告されたことよりも、針生検を行って乳がんがどのくらい進行しているのかを知るまでの3週間の期間が「精神的に一番つらかった」という。

「叔母2人が乳がんで亡くなっているので、乳がんになればそのまま死んでしまうか、再発して死んでしまうものだというイメージがすごく強くありました。だから自分としては死んだ場合に備えて、クリニックのことや子どものことなどもしものために準備しなければいけないことがいろいろあって、とてもつらい時期でした」

つらい副作用に悩まされることに

筑丸さんは「直ぐにでも手術するのだろう」と思ったのだが、腫瘍が4.9㎝と大きいこともあり、術前化学療法(抗がん薬で腫瘍を小さくしてから手術する)で、最初にFEC療法を行うことになった。

外来の点滴室で薬を投与され帰宅するのだが、帰宅直後からつらい副作用に悩まされることになった。

「体がだるく、めまいや吐き気が続いて起き上がることも出来なくなり、髪の毛もすべて抜け落ち、ウィッグが手放せなくなりました」

針生検をして、乳がんがどのくらい進行しているのか不安な日々を送り、死んだ後のことまで考えていた筑丸さんだが、「抗がん薬の副作用で自分の身体のことがしんどくて、とても死んだ後のことまで考える余裕すらありませんでした」

そのくらいつらい副作用だった。

「もちろん診療はできないので、休んでいました。3週間目ぐらいからやっと診察が出来るようになりました。とにかく休んでいる間は、代診の先生を探してお任せしていました」

「途中から抗がん薬がタキソテール(一般名ドセタキセル)に代わったのですが、そうしたら全身に薬疹が出て何も飲み込めなくなりました。それでタキソール(一般名パクリタキセル)を毎週投与に代えてもらいました」

2016年2月、皮疹

2016年5月入院中、頭髪の脱毛でウィッグが欠かせない

そんなつらい思いをした結果、抗がん薬治療が功を奏し、がんは3㎝×2㎝ぐらいまで小さくなった。そして2016年4月、右乳房全摘手術と同時乳房再建を行った。

「全摘しないで部分切除して、その後、放射線治療を行う提案もあったのですが、仕事を休めなかったので、放射線を止めて右乳房全摘することを選びました」

無事手術が終了したのだが、「再発や死に対する恐怖がずっとついて廻る」、ということが実感としてわかったという。

「自分ががん患者になって患者さんの気持ちというのはこういうことなんだ、としみじみ実感しました」

現在はホルモン薬などを服用しながら2カ月に一度、定期検診に通っている。

FEC療法=5-FU(一般名フルオロウラシル)+ファルモルビシン(一般名エピルビシン)+エンドキサン(一般名シクロホスファミド)の併用療法

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