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腫瘍内科医のひとりごと 105 自分だけの命なのか?
「先生、この春に亡くなった母のことですけど、こんなこと聞いていただけますか?」と話しかけてきたのは、病院事務の女性(50歳)でした。
「母は80歳で、夜、血を吐いて、気づくのが遅くて、私が家に帰ったら亡くなっていたのです」
4カ月前、胃がんが見つかったときに、母は担当医から「進行した胃がんですが、今なら手術で助かる可能性があります。手術するかどうかは、あなたの命ですから、あなたが決めてください」、そう言われたのです。
手術するかは「あなたの命、あなたが決めて」
母は、私にこう言いました。
「私は十分に生きてきた。夫はもう亡くなって10年になる。私は肺がんの手術もしたし、もうこのまま死んでいいから、手術はしたくない。先生は、あなたの命だからあなたが決めてくださいと言った。私は手術しない。いま、何にも痛くもかゆくもない」
母と私は大喧嘩になりました。私は手術して欲しかったのです。生きていて欲しかったのです。母は頑として、手術はしないと言い張りました。
担当医は「今なら助かる可能性がある」と言っておきながら、どうしてもっと強く、強く手術を勧めてくれなかったのでしょうか? あの「今なら助かる」の言葉が私には忘れられません。
「あなたの命だから、あなたが決めてください」ではなくて、「手術しましょう。今なら助かります。リスクはありますが、出来るだけ頑張ります」と、どうしてそう言ってくださらなかったのでしょうか?
母が自分で決めたことで、いまさら、こうなってしまって仕方ありません。でも、私は母と喧嘩になったあのとき、母は「私の命なんだ。担当医もあなたの命と言った。だから私が決める」と言った。
私は「母の命は、母1人の命ではない。一緒に暮らしてきた家族の命でもあるし、私の命でもある」と言ったのです。でも、そのあと、数日は口を利かなくなりました。
担当医は、手術のメリット、デメリットみんな話してくれたと思います。でも、患者にはみんなすべてわかるはずはありません。そのことで文句を言っているのではないのです。
患者の自己決定権と医師の言葉
患者の権利としての〝自己決定権〟と言われますが、母の命は、母だけのもののような考え方は間違っていると思うのです。何回も言ってすみませんが、助かる可能性があるときでも、「あなたの命だからあなたが決めてください」と、医師はそう言われるものなのでしょうか?
「母の命は、母のものだ」と、先生もそうお思いになりますか?
私は、もっと、もっと喧嘩をして、手術を受けさせればよかったと後悔しています。
痛いとか、何かあれば、無理やり病院に連れて行って、手術を受けさせることも出来たかもしれません。母は、血を吐いて亡くなるまで、不思議に痛むことも、苦しむこともなかったのです。
今さら他人のせいにするな、私のこの悲しみ、寂しさを他人のせいにするな。死んだ者はかえってこないじゃないか、そうも考えます。
でも、仕事が終わって、家に帰って、何も言わなくとも、微笑んでいてくれた母はいないのです。現実に母はいないのです。