腫瘍内科医のひとりごと 110 イヌとヒトの絆――愛犬と一緒に緩和ケア入院へ

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2020年2月
更新:2020年2月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

ある診療所でのことです。

Gさん(53歳男性)は、悪性リンパ腫のなかで最も悪性度の高いタイプでした。

緩和治療目的ということで、マルチーズという白いイヌと一緒の入院でした。

Gさんは、母親が数年前に亡くなり、1人になりました。マルチーズとの暮らしで、他の親戚とは音信不通となっていたようでした。

Gさんは1年前、イヌは知人に預けてA総合病院に入院。強い抗がん薬治療で病状がかなり良くなったのですが、長くはイヌと離れていることはできず、その後の治療を中断したようでした。

そして、今回、病気が悪化したがA総合病院には入院せず、緩和医療を希望し、イヌも一緒に入院させてもらえるとのことで、紹介状を持って、この診療所に来られました。

マルチーズは12歳で、15歳まで生きられるから、Gさんは「もう3年は生きたい」と話していました。

私は相談を受けて、見せていただいたデータは、悪性リンパ腫の急激な悪化から、厳しい白血球・血小板減少、著しい黄疸(おうだん)などがみられ、標準的な抗がん薬治療は出来ない状態でした。私たちが診察に伺うと、マルチーズはベッドと同じ高さの傍のかごの中でじっと診察を見つめていました。

リンパ腫をコントロールするのは無理な状態で、的確なアドバイスが出来ずに、私はとても気になりながら帰りました。

3日後、診療所からメールが来ました。

伺った翌日、Gさんは亡くなられたとのことでした。

「やれるだけのことはしたという思いもありますが……マルチーズは、イヌ好きのご夫婦に引き取られ、他のイヌといっしょに暮らすことになりました」

Gさんは、自分の病気の治療をしなくとも、命を懸けてでも、唯一の家族だったマルチーズと一緒に居たかったのだと思いました。イヌと人間とが、離れられない、こんなに強い絆で結ばれている、本当にこんなことがあるのだと学びました。

イヌはヒトの心をわかってくれる

考えてみれば、お隣のOさん(76歳女性)は、Nちゃんという柴イヌ(9歳)との暮らしで、「Nちゃんが死ぬまでは、自分は死ねない」と言っています。

ある時、私たち夫婦が旅行から帰ると、我が家の庭の木にNちゃんが繋がれていました。私たちが水をあげても、じっとしたままで、目も会わせません。そして2時間後、Oさんが帰ると、飛び上がって喜んで水を飲みはじめました。

Nちゃんには、私はいつも無視されていますが、とても賢いイヌです。玄関先で、Oさんが立ち話をしている間は、じっと伏せていますが、「散歩」という言葉が出ると、すっと立ち上がるのです。

「Nちゃんは話せないだけで、すべてがわかっている」と私は思います。

知人のIさんご夫婦(80歳代)は飼っていたイヌが亡くなると気が抜けて、2カ月経ってもイヌの写真の前に座り込んでばかりで、弟さんから、「あなたたち夫婦は、イヌがいないとやっていけないのか?」と言われたそうです。その後、Iさんご夫婦は四国お遍路に出かけたのでした。

Iさんは言います。

「イヌは私の心をわかってくれる、聞いてくれる、信頼できる。今の政治家と違って絶対にうそはつかない、裏切らない」

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