治療の適応と限界を知って、自分らしい生き方を選ぶ
なだらかな下り坂を豊かに過ごす「がんとの共存」人生
ぬかだ いさお
医療法人倫生会みどり病院理事長。
1940年神戸市生まれ。
1966年京都大学薬学部卒業、1975年鹿児島大学医学部卒業。
北九州健和会総合病院を経て、1980年から神戸みどり病院院長、2003年より現職。
1995年の阪神大震災直後には医療ボランティアに奔走、地域に根付いた医療活動に取り組む。
『孤独死』(岩波書店)、『いのち織りなす家族』(岩波書店)等、著書多数。
2003年、全国の保健医療分野で草の根活動をする人を対象とした「若月賞」を受賞。
がん医療には豊かな人間性が必要
みどり病院の全景
額田勲さんが理事長を務める、みどり病院(神戸市西区)には、末期のがん患者も多数訪れる。専門病院で手術を終え退院し、その後のフォローを地域の病院で、あるいは在宅でと望む患者を受け入れるからだ。
地域医療に携わる医師として、額田さんは多くの患者・家族の相談を受けてきた。
「がん医療というのは、局面、局面でそのたびにじっくりと説明し、患者さんの話を聞き、共感するという作業が必要です。時間がかかります。そういう人間的なかかわりの部分が不可欠だから、私はがん医療には豊かな人間性が必要だと痛感しています」
なによりも患者は的確に病状をふまえた上で、確実な情報を与えられ、手術の可否を判断し、決断しているのだろうか……高度技術社会のがん医療が患者に迫る選択はシビアである。
日々の診療のなかで感じるそんな思いを、額田さんはある雑誌から寄稿を頼まれたときにこのように記した。『患者よ、がんと闘うな』(近藤誠著)という本が話題を呼び、いわゆる「がん論争」がおこった、10年ほど前の話だ。
「がんという慢性疾患を死ぬまでコントロールしなければなりません。そのコントロールの軸は、手術、放射線、内科治療、さらに代替療法……そして自然経過に委ねるといくつもあります。それぞれに利益と犠牲を伴うのは当然です。この幅広い選択肢のなかから、あなたの生活に照らして無理のない、合理的なものを決められてはいかがでしょうか」
額田さんは、これを受けて近著『がんとどう向き合うか』(岩波新書)を上梓した理由をこう語る。
「これは、『がんとの共存』という概念を最初に提起したものでした。その頃はまだ漠然としていたのですが、今では確信に変わっています。がんは老化が深く関与する、慢性の全身疾患であるという見方を患者さんに伝えていくこと、それをふまえて『がんと共に生きる』ということを訴えたいのです」
「がんと共存する」、なかなか刺激的な提言である。額田さん自身、前立腺がんを患っている。
糖尿病など内科の慢性疾患では、「共存」はよく使われるフレーズだ。わりとすんなりと受け入れる患者も多い。だが、それをがんにあてはめると抵抗を感じ、「がんと共存は馴染みにくいのでは……」と訝る声が聞こえてきそうだ。なぜだろうか。
これまで、がんは1つの臓器に限局された病気だから病巣を手術で取ってしまえば治る、という単純明快な論法で語られてきた。いきおい「切って治す」という戦略で突き進む。そんな治療一辺倒のがん医療が壁に当たっているので今後戦略を変えていこうという提案なのだ。
早期発見でも太刀打ちできない膵臓がんの厳しい現実
がん患者と接する日々のなかで額田さんは「がんの現実があまりにも知られていない」ことを痛感している。
そこで、今回の著書のなかで、『切除可能膵臓がんの平均生存期間11.7カ月、切除不能膵臓がんの平均生存期間4.3カ月』という、日本膵臓学会が発表している数字を載せた。
「こういった厳しい現実を本や雑誌で知らせることは、これまで一般的にタブー視されてきました。でも、まったく知らされなければ、患者さんたちはあまりに過酷な手術を受けて苦しむ。そういう例をたくさん見てきました」
地元の名士、Fさんの膵臓がんの闘病も額田さんにとって忘れられない。
Fさんのがんは発見されたとき2センチ程度で、手術で救命が可能だと判断した額田さんは、Fさんの家族にそう告知した。
Fさん家族は手術を渋ったが、額田さんは「膵臓がんで運良く早期に発見されたから、手術に賭けないのはもったいない」と説得した。ようやく家族は承諾し、Fさんは定評ある施設で難易度の高い手術を受け、無事に終了した。
額田さんがほっと安堵したのもつかの間、Fさんは感染症による高熱をはじめ、次々と合併症に襲われ、入院が長引いていった。そのたび額田さんはFさんの入院する病院に赴き、Fさんの主治医と話し合う。なんとか退院にこぎつけたが再発し、翌年、額田さんの病院で息を引き取った。
「早期発見でも太刀打ちできないのか」……額田さんの難治性がんに対する考えかたは、このときの強烈な敗北感から、変わっていったという。
難治性がん患者の選択と決断の難しさ
また、額田さんは作家の吉村昭氏の訃報に接し、難治性がんの患者の選択と決断の難しさを思った。
「吉村氏は膵臓がん術後5カ月の身で在宅療養していたが、いたずらな延命を拒否するとして、命綱ともいえるカテーテル・ポートの針先を自ら引き抜き、自決とも思わせる凄絶な死を選んだといいます。世間は時流の『尊厳死』とかしましく論評しますが、単に安楽な死、云々といった現代の病弊に解消することのできない、より重大な本質が氏の病歴から読み取れるように思われるのです」
難治性の最たる膵臓がんにおいて、可能性の極端に低い根治の道を目指すのか、それともできるだけ日常生活を維持した保存的な方法(がんと共存)を選ぶのかと迫られて、判断や基準を持たないまま多彩な技術の渦に翻弄される患者はことのほか多い、と額田さんは言う。
「吉村氏の場合、すでに前年より舌がんの治療を繰り返していたさなか、新たに膵臓がんが発見されて、対応を余儀なくされたと伝えられています。全がん中、もっとも難治とされる膵臓がんに対する大手術(切除範囲は5、6臓器にもわたる)が、想像以上に過酷な侵襲をもたらすのは、およそ自明のことでしょう。術後の不調を契機に心身ともに悪性のサイクルに陥る高齢者の多さを思えば、恩恵のほとんど期待できない膵臓がんの手術をせずに、踏みとどまる選択もありえたのではないだろうかと思うのです。ただし、吉村昭氏のような難治性の高齢がん患者さんでさえ、現代医療は座視することを許さない……」
治療をすればするほど患者を苦しめる難治がん
専門病院で「難しいけれどやってみましょう」と言われると、患者はそれに希望を託す。誰でも長生きしたいと思うものだし、希望を断ってしまう権限は誰にもない。
「手術を受けるなというのではありません。しかし、過酷な手術を伴う難治性がんは、治療すればするほど患者を苦しめる展開になることが多い。患者さんのために誰が治療の適応と限界を判断して伝えるのか、考え込まざるをえないです」
医療現場ですっぽりと抜け落ちてしまっているのは、「あなたらしい生き方はなんですか? そのためにこの手術を受けますか、どうしますか」という問いかけであると、額田さんは思っている。
「その人らしい生き方」を問うのは、とても難しい。そこには、死生観という、人間の根源的なことに関わってくるからだ。しかし、がんの治療はそれをなくして語れない。
「世の中は高度技術のおかげで豊かになったが、はたして人間関係も豊かになっているのかということを考えたかったのです。がん医療でいうと、患者さんと医師の関係はどうか。患者さんと医師の関係が良くなってきたかというと、逆で、凄まじいほどに悪化している。がん難民という言葉がそれを象徴しています」
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