渡辺亨チームが医療サポートする:緩和ケア編
サポート医師・橋爪 隆弘
市立秋田総合病院外科医長
はしづめ たかひろ
市立秋田総合病院外科医長。がん治療支援・緩和ケアチームリーダー。
1986年、秋田大学医学部卒業。同第1外科入局。
91年、秋田大学医学部大学院卒業。青森県立中央病院外科勤務。
95年、市立秋田総合病院外科勤務。
2002年、緩和ケアチーム発足に伴い、チームリーダーに。
日本緩和医療学会評議員、日本乳癌学会薬物療法ガイドライン委員他
サポート・ナース・石川 千夏
市立秋田総合病院看護部主任
いしかわ ちなつ
市立秋田総合病院看護部主任。緩和ケアチーム専従。緩和ケア認定看護師。
1988年、秋田県立衛生看護学院卒業、市立秋田総合病院就職し、整形外科、呼吸器内科、泌尿器科、血液内科に勤務。
2002年、緩和ケアチーム発足と同時にメンバーとして参加。
06年、ホスピスケア認定看護師(現在緩和ケア認定看護師)。緩和ケアチーム専従看護師
手術不可能のスキルス胃がん。残された時間をできるだけ有意義に過ごしたい
森田稔さんの経過 | |
2007年 1月5日 | 吐血し、ホームドクターを受診 |
6日 | 内視鏡検査の結果、要精密検査 |
2月11日 | 2度目の吐血 |
13日 | K市立病院を受診、精密検査 |
20日 | 4期スキルス胃がん |
2度目の吐血を来たした森田稔さん(55歳)は、やっと訪れた総合病院で「4期のスキルス胃がん。余命は半年以下」と告げられた。
妻は抗がん剤治療を強く希望したが、森田さんは「残された時間をできるだけ有意義に過ごしたい」と考え、緩和ケアを受けることを願った。
(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)
精密検査をずるずる延ばした結果
東北地方の県庁所在地に住む55歳の公務員・森田稔さんは、2006年の夏頃から食欲不振が続いていた。若い頃から酒が好きで、仕事帰りに職場の仲間と居酒屋に立ち寄ることが多かったが、このところ酒量も極端に落ちていた。つい2年前まで身長169センチなのに、体重75キロを超える肥満体型だったが、65キロくらいまで落ちている。しかし、本人はそのことは「自分が年を取ったせい」と考え、あまり気にしていなかった。
2007年1月5日、森田さんは仲間が呼びかけてきた新年会に参加する。途中でトイレに立つと、便器の前でムカつきを覚え、吐血した。
翌6日出勤前にホームドクターの長谷川クリニックに寄って吐血したことを訴えると、長谷川医師は問診で「職場の定期検診は受けていますか?」と確認する。森田さんが「ええ、5月にバリウムを飲むやつを受けました。『要再検査』の案内が来ましたが、放っておいたんです」と答えた。
簡単な問診を済ませた後、森田さんはこれまでも何度か受けている内視鏡検査を受けることになった。たぶんそうなるだろうことを予想して、この日朝食は食べていない。
モニターに映し出されているのは、以前も見たことのある自分の胃袋の中の様子と変わらないように思える。「こうなるんだったら、去年の春受診するべきだった」と森田さんは後悔した。
「潰瘍の跡と思われますが、ちょっと気になる所見があります。 1度市立病院で精密検査を受けたほうがよいでしょう。一応胃潰瘍の薬は出しておきましょう。 紹介状を書きますから、なるべく早い機会に受診してください」
こうして検査を終えたが、役所の中で年金を取り扱う部署にいる森田さんは、その後急に多忙になってしまった。吐血のほかには目立った自覚症状もないこともあって、森田さんはずるずると市立病院の受診を引き延ばしていった。
手術できる段階ではない
森田さんの家庭は森田さんより3歳年下の妻・久子さんと、社会人で27歳の長男・愼一さん、大学4年生の長女・久美さんの4人家族である。2月11日の日曜日は珍しく全員が揃い、夕食をとっていた。家族は森田さんが、「医者から胃潰瘍の疑いがあると言われた」と聞いている。だから、森田さんの食べる量が以前より少ないことに気づいていても、さほど心配することもなかった。
が、食事が終わってまもなく森田さんは吐き気を覚えてトイレに駆け込む。食べたものと一緒にまた血を吐いていた。家族は「すぐ病院へ行こう」と大騒ぎをしたが、森田さんは「これはいよいよ検査だな。明後日市立病院に行くから」と、落ち着いた態度を見せていた。
連休明けの2月13日朝、「心配だから、どうしても付いていく」という久子さんを伴ってK市立病院の消化器内科を訪れる。
待合室で1時間ほど待つと、「森田さん、どうぞ」と診察室の中へ呼ばれる。診察に当たった30歳代半ばくらいと思われる医師の胸には、「山口直樹」とあった。山口医師は長谷川医師の紹介状を手にしており、これに目を通したあと森田さんに「どんな具合ですか?」と問診する。
「吐血はありましたが、そのほかはとくに具合の悪いところはありません」
「食欲はありますか?」
「ええ、まあ。最近は若い頃ほど食べられなくなっていますが……」
「体重はどうですか?」
「この1年で10キロ近く減っています」
「ではちょっと拝見します」
と言って、医師は森田さんに診察台に横になってシャツを開くよううながす。お腹を触ってみても山口医師はとくに異変に気づいた様子はなかった。
ところが、続いて森田さんの首筋付近を触診すると、「おやっ?」という表情をする。
「首のリンパ腺が腫れてますね。やはり詳しく検査をする必要がありそうです。胃カメラもやり直したほうがいいでしょう」
こうしてその日は血液検査や内視鏡検査などが行われている。さらに、「明日も検査をする必要がありますから」と言われ、森田さんは次の日も欠勤することになった。
翌14日も午前中からX線やCTなどの検査が続いている。この日も久子さんは同行し、待合室の長椅子に掛けて夫の検査が終わるのを待ち続けていた。その合間のことである。
「あ、奥さん。ちょっと」
ふいに山口医師が声を掛け、診察室のほうに招いた。夫のことが心配で仕方がなかった久子さんは、すぐに、「はい」とそれに従い中に入っていく。
「どうなんでしょう。主人は?」
山口医師は小声で答える。
「がんであることは間違いないと思います」
思わぬ話に久子さんは驚き、やっとの思いで口を開く。
「相当進んでいるのですか?」
「ええ、スキルス胃がん(*1)だと思います。首の左側付け根にあるウィルヒョウリンパ節(*2)といわれるところにも腫れがうかがえますから、他臓器転移を来たしたステージ4と考えられます。もう手術できる状態ではないでしょう。これから画像を精査して来週ご本人にお伝えしたいと思います。よろしいですね?(*3がんの病状説明)」
久子さんはたちまちポロポロと涙をこぼし始めた。
手術不能のスキルス胃がんと診断
病院から家路につくとき、森田さんは、どことなく妻の態度が沈んでいるように思えた。家に戻ると森田さんはすぐに久子さんに、「医者から何か聞いたのか?」と問い詰める。が、久子さんは「先生は『検査の結果は来週話す』と言っていただけよ」としか答えなかった。しかし、森田さんはかえって「妻は何を聞いたのだろう?」と考えるようになっていく。
1週間後の19日、森田さんはまた久子さんを伴って山口医師に指示された午後3時に、K市立病院消化器内科を訪ねる。10分ほど待つと、山口医師が現れ腰を下ろすと、すぐ口を開いた。
「早速ですが、先週受けられた検査の結果をお話します。あらかじめ言っておきますと、残念なことをお知らせしなければなりません(*4悪い知らせの伝え方)。奥様にも一緒に聞いていただいてよろしいですね?」
「ええ、もちろんです」
横で久子さんも目をつむりながら、うなずいている。
「やっぱりがんだったのでしょうか?」
森田さんは思わず自分で予想していたことを口に出す。「はい」と医師から、はっきり答えが返ってきた。冷たい汗が背中をツツーッと流れ落ちるような感じを覚える。
「実は、全身のリンパ節や肝臓にも転移が見られ、手術ができないスキルス胃がんと診断しました」
森田さんはゴクリと唾を飲み込む。のどがカラカラ。やっとの思いで声を出した。
「あとどれくらいの命でしょうか……?」
「正確には分かりませんが、まったく治療をしない場合、余命半年くらいでしょうか。ただ森田さんは比較的全身状態(*5)はいいので、抗がん剤治療も可能だと思います。それでも、1年後にお元気でいられる可能性は10パーセントあるかないかでしょうか」
またもショックを受けた。自分が1年後に生きている可能性はきわめて小さいわけである。横から久子さんが悲壮な声で聞いた。
「先生、治療をしないというのはどういうことでしょうか? がんなのにまったく治療をしないなんていうことがあるのでしょうか?」
「治療をしないというのは、がん自体をたたくような治療はしないということで、何の治療もしないというわけではありません。森田さんのような状態では、手術や抗がん剤などの治療を行っても意味がない可能性が強く、むしろ抗がん剤の副作用に苦しむだけになるかもしれません。がんの痛みを抑えたり、よく眠れるようにするなど苦痛を和らげるための治療だけを行うほうがいい場合もあります。いわゆる緩和ケア(*6)ですね」
聞いているうちに久子さんの目からは、涙が流れ出していた。
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