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仕事をしながら療養する
発病を機に、遺言、家族の生活設計について真剣に考えるようになった
安田洋一さん
不動産会社代表取締役の安田洋一さん(2009年12月現在、48歳)は、42歳のとき、大腸がんを告知されて、手術を受けた。約1カ月の入院費用は、高額療養費制度と日本郵政公社(当時)の簡易生命保険の入院特約で乗り切った。退院後は、取引先を自転車で行ける範囲にしぼり、無理をせずに、会社を経営。患者会を発足し、就労問題にも、積極的に取り組んでいる。
高額療養費制度と郵政公社の簡易生命保険で治療費をカバー
不動産の仕事に興味を持ち、宅地建物取引主任者の資格を取得し、不動産会社に勤務した。数年後、父が一代で築き上げた不動産会社に入社。27歳で専務、33歳で代表取締役に就任した。もともと酒豪で、取引先との仕事で飲むことも多かった。病院に行ったことがないほど元気だった。ところが、04年2月頃、突然、腹部の激痛と嘔吐に襲われた。二日酔いだと思ったが、寒気がした。その後、友人と飲酒したときにも激痛と嘔吐があった。「おかしい」と思って、病院で検査を受けた。04年9月、42歳のときに大腸内視鏡検査で上行結腸にがんが発見された。腸が、80パーセントもふさがっていた。病理検査の結果は、ステージ(病期)3だった。
「がんの知識が全然なかったので本屋で書籍や雑誌を購入し、インターネットで必死になって情報を集めました。病院選びも、悩みました」と安田さん。会社は安田さんを中心に父母、妻による家族経営だった。そこで、病気のことを家族全員に正直に話して、協力を得た。がんの専門病院のほうがよいのではないかと迷ったが、仕事の関係や、家族への負担を考えて、自宅近くの病院で手術を受けることにした。
入院までの2カ月間は、数種類のサプリメント(栄養補助食品)を大量に購入して飲んだ。費用は、150万円ほど。不安を解消するための精神安定剤だったという。飲酒と喫煙は、きっぱりとやめた。入院時、仕事への影響を考えて、取引先には「旅行に行く」などと伝えて、病気のことは話さなかった。04年11月16日に、携帯パソコン、携帯電話を持って、入院した。手術日の12月2日の前日まで、病院内で仕事を続けた。パソコンで、闘病記を綴った。父母、妻、子供宛の遺言もまとめた。12月2日の手術は、無事に乗り越えられた。手術をしてから1週間後、病院の許可を得て外出してお客さんのところに行った。首にカテーテルを装着していたが、背広とワイシャツで隠して気づかれないようにした。
退院予定日の直前にイレウス(腸閉塞)になって苦しみ、退院は少し延びた。1カ月余の入院費は、貯金を取り崩して一時払いをした。国民健康保険の高額療養費制度を利用した。医療費の一定額以上はあとで戻ってきた。当時、日本郵政公社の簡易生命保険(現在、株式会社かんぽ生命保険)に加入中で、入院1日について1万円ほどの支払いがあり、助かったという。
「生きて無事に退院することがすべてでした。治療費がかかったら、借金をするつもりでした。手術後は個室を利用したため、差額ベッド代がかかりましたが、高額療養費制度と日本郵政公社の入院特約で何とかカバーできました」(安田さん)
がんを公表したあとも変わりなく取引を続けてくれた顧客に感謝
退院後は、朝6時起床。夜9時就寝。抗がん剤のUFT(一般名テガフール・ウラシル)とロイコボリン(一般名ホリナートカルシウム)を決められた時間に、2年間きちんと飲み続けた。野菜中心の食事にして、ファーストフードや油ものは食べないように心がけた。夜のつきあいもやめた。
仕事は自分の体調に合わせて、無理をしないようにした。自営業だから時間は自由に調整できた。月給は、入院前も退院後も同じ。「自営業でよかった」と言う。仕事は、自転車で行ける距離の範囲内にした。
手術をした翌年の05年5月、高校のOB会でがんを公表した。大腸がんをテーマにしたテレビ取材も受けた。放映後、取引先から、「がんだったのですか」と言われた。いつのまにか、離れていった取引先もあった。「命の次に大切な財産を扱うのだから当然」と冷静に受け入れた。がんを公表したあとも、以前と変わりなく、取引を続けてくれるお客さんも多数いた。感謝の気持ちでいっぱいだった。
安田さんは毎年、12月の誕生日に、パソコンに保存した遺言の内容を更新し、CDコピーをして親友に手渡している。長年、不動産の現場で、葬儀の手伝いや、財産の契約内容、遺産相続などの相談を受けてきた。その経験から、常にきちんとしておこうと考えるようになっていた。遺族年金についても整理してある。さらに、家族が家賃収入で食べていけるようにと、会社近くのビルの購入を試みた。運よく、2つのビルを購入できた。2つのビルの管理・運営について、残された家族が困らないように、詳細内容の指示は、親友宛のCDに入れた。
08年10月と11月、09年3月に、小腸からの出血で、ショック状態に陥った。09年8月には十二指腸から出血した。幸い、意識は回復したが、意識が戻らなければ、この世にはいなかった。こうした体験を繰り返す度に、父母、妻、3人の子供のことを強く意識するようになったという。万一に備えて、カバンには常に血液型カードと医師のサイン入りの診断書を入れてある。
患者会活動に積極的に取り組む
09年に、働き盛りの大腸がん患者を中心とした患者会「大腸がんの輪」を発足。がん患者の就労問題や、大腸がんの早期発見のために内視鏡検査の検診率の向上などを目的にした活動を始めた。「がん難民と経済難民は、重なることがあります。がん患者が働きやすいシステムつくり、がん患者が自らの体験と会の運営のノウハウを生かして社会貢献のために起業できる活動を目指しています」と安田さん。現在、NPO法人がん患者団体支援機構の理事としても尽力している。会社経営の仕事と、支援機構や大腸がんの輪の活動はほぼ半分ずつ。会社経営で培ったノウハウを活動に生かしたい、と意欲満々だ。
*「大腸がんの輪」の活動は、「患者会活動」で紹介しています
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