血液内科志望の医師が血液の難病から生還した貴重な体験と教訓
2度の死にかかった体験から「生かされた。使命を与えられて」と感じる

ゲスト:田結庄彩知 東京医科大学大学院生(解剖学教室)
発行:2006年4月
更新:2013年5月

  

田結庄彩知

たいのしょう さち
1977年神戸市生まれ。2002年香川医科大学医学部(現・香川大学医学部)卒業。虎の門病院で研修。2004年4月、再生不良性貧血が見つかり、入院。臍帯血移植を受け、回復。2005年東京医科大学大学院解剖学教室へ入学、現在に至る

吉田寿哉

よしだ としや
1961年北九州市生まれ。84年一橋大学卒業後大手広告会社入社。89年アメリカ国際経営大学院(サンダーバード)でMBA取得。2003年秋に急性骨髄性白血病発病、臍帯血移植を行い、05年6月復職、現在部長。著書に『二人の天使がいのちをくれた』(小学館刊)

再生不良性貧血!? 研修医から患者へ

吉田 田結庄さんは現在、東京医科大学大学院の解剖学教室に在籍されていらっしゃいますが、研修医として東京の虎の門病院に勤務されているとき、再生不良性貧血を発病され、母親と胎児を結ぶさい帯と胎盤にふくまれている臍帯血の移植を受けられたのでしたね。私自身も急性骨髄性白血病でやはり臍帯血移植を受けましたが、おかげさまで命を得て、なんとか元気に過ごしています。
今日は田結庄さんのご経験をうかがい、臍帯血移植を受けても、こんなに元気に過ごしている人たちがいるということを、ぜひ読者の皆さんに知っていただきたいと思います。同時に、医師でもある田結庄さんが患者として治療を受ける中でお感じになったことなども、率直にお話しいただければと思っています。さっそくですが、発病されたときはどんな状態だったんですか。

田結庄 私は実家が神戸で、大学は香川医科大学ですが、卒業後、東京の大病院で研修をしたくて、虎の門病院の内科研修医に応募して、採用されました。そして、2年で全科の研修が終わり、3年目に入った04年4月に病気がわかり、急きょ入院しました。
実は、ご著書を拝読してわかったんですが、移植日が吉田さんとは1週間違いです。無菌室でアテネ・オリンピックを見たと書いておられますが、私もそうでした。

吉田 ということは、移植後1年半ですね。どちらで移植を?

田結庄 虎の門病院です。研修医も3年目になると、専攻科を決めるわけですが、虎の門病院の血液科は臍帯血移植を行っていて。

吉田 日本の先端ですよね。

田結庄 そうですね。ですから、興味もあり、私としても選択肢のひとつに考えていたので、自分が無菌室に放り込まれることになって、複雑な思いがありました。

吉田 最初はどんな症状で?

田結庄 病棟を回るだけで息が切れて、調子が悪いなあとは思っていましたが、ある日、歯ブラシに血がにじんで、足元を見たら点状出血の斑があるんです。これはおかしいと採血に行ったら、「白血球も血小板もほとんどありません」と言われ、すぐ入院になりました。再生不良性貧血の重症との診断でした。

頼みの綱の母親が肝炎。骨髄移植の希望を絶たれ

吉田 私は急性骨髄性白血病、つまり、白血球ががん化されて増えていく病気ですが、再生不良性貧血とはどんな病気ですか。

田結庄 血球を造りだす造血幹細胞が、骨髄という工場の中でまったく動かなくなってしまう病気です。白血球も赤血球も血小板も、すべて製造できなくなります。症状としては、白血球が減ることで、細菌などに感染して熱が出やすくなりますし、血小板が減ることで出血しやすくなりますし、赤血球が減って貧血になります。このうち、血小板と赤血球は輸血で何とかフォローできるのですが、白血球だけはどうしようもなく、移植しか手はないんです。

吉田 化学療法では治せないと。

田結庄 軽症、中症には、ステロイドや、ATG療法(注1)と呼ばれる免疫抑制療法が行われます。重症でも血縁者のドナーがいない場合や、高齢であった場合は、ATG療法が行われることが多いです。

吉田 白血病ではまず骨髄移植を検討しますが、私には兄弟がなく、親の骨髄は適合せず、ドナー(骨髄提供者)も見つからず、一時はお先真っ暗になりました。再生不良性貧血の場合は、どうですか。

田結庄 再生不良性貧血でも、45歳以下で、ドナーがいる場合、治療の第1選択は血縁者からの骨髄移植です。私もひとりっ子なんですが、母親の骨髄が何とか適合しそうで、母親からもらえることになりました。ところがその後、母親に肝炎のウイルスが見つかり、ドナーにはなれないことがわかりました。

吉田 同じですね。大変でしたね。

田結庄 そこで、今申し上げたATG療法を受けたところ、一時回復しました(注2)。ですから、外来で輸血をしながら、白血球を増やす薬を打って、骨髄バンクドナーが見つかるまで待とうとしましたが、1回退院した3日後の外来で、白血球が50~100という極限の数字で、再入院となりました。そして、「バンクを探している余裕はない。臍帯血移植を来週」と、いきなり決まってしまいました。

吉田 私は骨髄移植がだめとわかったあと、臍帯血移植を知るまで時間がかかりました。さすがお医者さんは早いですね。

(注1)ATG療法 ATGは抗胸腺細胞グロブリンのことで、英語の頭文字をとってATGと呼ばれる。これを用いた免疫抑制療法とは、造血幹細胞を障害しているリンパ球を抑えて、造血を回復させる方法
(注2)成人再生不良性貧血で血縁ミスマッチがある場合の第1選択は、ATG療法で、田結症さんの場合も、まずATG療法を受けた。しかし、結果が思わしくなかったために母親からの骨髄移植を考慮しているので、ご注意を

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