腫瘍内科医のひとりごと 148 目標だった緩和ケア病棟なのに

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2023年4月
更新:2023年4月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

Bさん(54歳 女性 乳がん)は、とうとう緩和ケア病棟に入ることになりました。それは、Bさんが目標にしていた、やっとたどり着く場所でした。

定期の診察で、今回の骨シンチを見せていただくと、骨への転移は背骨だけではなくたくさんあって、真っ黒なところが増えていました。

ホルモン療法、抗がん薬療法、放射線治療、新薬の治験と、この5年間、標準治療だけでなく、あらゆる治療を受けてきました。今は、髪の毛はほとんどありません。今度は腫瘍内科ではなく、緩和ケア病棟と言われたのです。

やっと念願かなって緩和ケア病棟に入る

両親はとっくに亡くなり、姉妹もなく、ひとり暮らしのBさんには、アパートで痛みを我慢して、つらい思いをして暮らしているのは限界でした。ベッドが空くのを待って、やっと緩和ケア病棟に入れて安堵しました。

入院したときに、F病棟看護師長は、「つらいことがあったら、なんでも申してください。早く痛みがなくなるといいですね」と、話しかけてくれました。

Bさんは、乳がんの転移が分かったときから、死ぬときは緩和ケア病棟でと思っていたので、「やっと入れた。これで、安心して、つらいのを少なくしてもらって、きっと安らかに死ねる」と思いました。

さんざん治療もしたし、疲れ果てたと、思ったことは何回も、何回もありました。

痛みなく、苦しむことなく、スーッと死ねたら、それでいい。やっとたどり着いた、安住の地、ベッドだと。

やっと念願がかなったと思いました。

えっ? 目標は家に帰ること⁈

入院して、2週間。木曜日の午後のことです。

担当医と看護師長、相談室の方の3人が病室に来られました。

担当医が、「Bさん、今後の目標を決めましょう」と言いました。

Bさんは、直ぐに〝目標はこのまま平穏に死ぬこと〟と心で思いましたが、黙っていたら、看護師長が、「家に帰ることですよね」と言い、そして、それに担当医は頷いたのです。

え、そりゃあアパートの部屋は、そのまま残していて、何かのときは、めったに来ない甥っ子に託してあるけど、〝あそこにまた、帰るのが目標なの?〟と思いました。

しかし、何にも言えずに、黙っていました。

看護師長は、「痛みが、大分楽になりましたよね」と付け加えました。

確かに、入院したときよりも、痛みは楽になりました。また、入院したのは、「痛みを減らす、つらくないようにする」でした。

Bさんは、やっと「もう少し……」とだけ答えました。

でも、Bさんの本当の目標は、「つらくなく、ここでスーッと死ねること」とは言えませんでした。

「治らない」「治らない」と、もうこれまで担当医から何回も、何回も言われてきました。骨に転移が分かったときから言われてきました。「治らない」「症状の緩和だけだ」と。

「身内がいない方だから、本人に厳しいことを言うけど、治らないのです」と、そう何回も言われて、頭に刷り込まれてきました。

Bさんは、自分の命を〝大切な命〟と思っていないせいから、神の罰なのかとも思いました。また〝あの部屋に帰るのか〟と考えると暗くなりました。

その晩、甥っ子からラインが来ました。

「僕、結婚しているんです。昨日、こんなかわいい女の子が生まれました。おばさんにそっくりです」

赤ちゃんの写真を見て〝えっ? 私に⁇⁇〟

もう少し生きて、実際に会ってみたいと思いました。

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