全国に120万人のヒトT細胞白血病ウイルス感染者。情報の普及が今後を決める
ウイルスによる白血病をなくすため感染の予防と治療法の確立を!
はむるの会理事長の
山越里子さん
血液がんの1つ、成人T細胞白血病(ATL)はヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)による感染が原因で発症する病気。これまで、このウイルスは九州・沖縄に多かったため風土病とされ、全国レベルの対策はとられてきませんでした。しかし、患者さんらの訴えを受けて国はようやく方針を転換し対策に着手。患者さんらは「まだまだこのウイルスを知らない人も多い。ウイルス根絶まで徹底した対策をとってほしい」と訴えています。
主な感染経路は母から子へ
ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1(*))が原因で発症する病気は、成人T細胞白血病のほかにもヒトT細胞白血病関連脊髄症(HAM(*))などがあり、これも進行性の難病です。
ヒトT細胞白血病ウイルスの感染者(キャリア)は全国に120万人いると推定されます。しかし、感染してもほとんどの人は一生涯何の症状もあらわれず、発症するのは成人T細胞白血病(ATL(*))でキャリア全体の5%、ヒトT細胞白血病ウイルス関連脊髄症では0.3%ともっと少ない確率です。
主な感染経路は母から子への母乳による感染が60%ぐらいといわれています。
神奈川県在住の松岡陽子さん(仮名・64歳)は沖縄県出身。12年ほど前、母親が成人T細胞白血病とわかり、半年後に86歳で亡くなりました。松岡さんはそのとき初めてこの病気のことを知り、母親の死から6年後、松岡さんも発症しました。58歳のときです。
*HTLV-1=Human T-cell Leukemia Virus Type1
*HAM=HTLV-1 Associated Myelopathy
*ATL=Adult T-cell Leukemia
子どもへの感染調べたくない
当時、神奈川県内で保育士として働いていましたが、口の中が渇く、微熱が続く、階段の昇り降りが苦しいといった症状が1カ月ほど続き、検査したところ成人T細胞白血病と診断されたのです。
「医者からは、『治療してもしなくても年内まで』と告げられました。診断されたのが10月ですから2カ月の命。ショックを通り越して涙も出ませんでした。自分の荷物を処分してもらい、お葬式に流す曲を選んだり、死ぬことばかり考えていました。
このように振り返る松岡さんですが、LSG15療法(*)というオンコビンやエンドキサンなど7種類の抗がん剤を併用した多剤併用療法を行ったところ功を奏し、通常6クール行うところを4クールで終了し、寛解(白血病細胞がなくなること)して退院したのは入院から3カ月後のことでした。
1年間休職して職場復帰。定年退職後は別の保育所で働きましたが、初発から2年後の08年に再発。このときもLSG15療法が効果をあらわし、2クールの治療を受けたところで退院しました。今は1カ月に1回、通院して白血球数をチェックしながら保育士として働き続けています。
松岡さんには成人した長男がいます。しかし、長男がキャリアかどうかは調べておらず、調べる必要もないと思っています。
「感染しても発症するのはわずか数%。余計な心配や不安を抱きたくないというのが、私たちの考えです。今は2人に1人ががんになる時代です。成人T細胞白血病以外のほかのがんになる可能性だってあるのだから、あえてキャリアかどうかを調べるメリットはありません」
そのように松岡さんが思うのは、ヒトT細胞白血病ウイルスに対する誤解や偏見が世間に根強いことも背景としてあります。
*LSG15療法=オンコビン(一般名ビンクリスチン)、エンドキサン(一般名シクロホスファミド)、アドリアシン(一般名ドキソルビシン)、プレドニゾロン(一般名プレドニゾロン)、サイメリン(一般名ラニムスチン)、フィルデシン(一般名ビンデシン)、パラプラチン(一般名カルボプラチン)という7種類の抗がん剤を使った多剤併用療法
「風土病」と扱われ全国的な対策がなかった
松岡さんも加わっているのが「はむるの会」という患者さんやキャリアの集まりです。会の代表の山越里子さん(61歳)は話します。
「1990年に旧厚生省が出した報告書で、このウイルスは風土病だから九州・沖縄だけの対策で十分とされて、関東地方に住む私たちには情報が届きませんでした。事前知識もなく、いきなりキャリアだとか、がんだ、難病だ、といわれば当人のショックは大きいし、まわりの人も正しい情報が伝わってないから偏見の目で見ることになってしまいます」
静岡県出身で現在は神奈川県に住む山越さんはヒトT細胞白血病ウイルス関連脊髄症と診断がついたのは、10年ほど前。発症したのはそれよりさらに前でしたが、病気のことも自分が発症していることも知りませんでした。
症状に気づいていろいろ調べるうち、ようやくこの病気を知り、九州の専門医を訪ねて初めて診断されました。
「私の場合は夫も子どもも血液検査でキャリアでないとわかりましたが、子どもが2人いる女性がキャリアとわかり、ご主人の家族から疎まれて離婚したケースもあります。なかには『キャリアとわかってもご主人に打ち明けられない』という人もいますし、母乳による感染を防ぐため赤ちゃんにミルクを飲ませていたら、まわりから『なぜ母乳をあげないの?』といわれて悩んでいるという人もいます」
患者さんの活動が国を動かす
「はむるの会」は、鹿児島市に事務局を置く「日本からHTLVウイルスをなくす会」(管付加代子代表理事・略称スマイルリボン)などと一緒に、患者やキャリアの立場からの活動を始めました。
訴えたのはまず、成人T細胞白血病やヒトT細胞白血病ウイルスを風土病と片づけて、対策を地方自治体まかせにするのでなく、国民すべての問題としてとらえてほしいということ。
人口が幅広く流動する今の日本国内どこでも起こる病気です。そして、キャリアの女性の対策としては、母乳を与えない、凍結母乳で授乳する、3カ月授乳をする、粉ミルクで育てる、などの方法によって、かなりの確率で子どもへの感染を防ぐことができます。そこで、山越さんらは全国すべての地域での妊娠健診で、公費負担による抗体検査の実施を求めました。
ほかにも、感染・発症予防ワクチンや治療薬の開発、患者に対する医療費助成や福祉的支援の実施、ヒトT細胞白血病ウイルスについての正しい知識の普及――など、訴えは多岐にわたります。
厚生労働省や国会議員、マスコミなどに粘り強く訴えるうち、活動の成果はやがてあらわれました。元宮城県知事の浅野史郎氏が成人T細胞白血病を発症し、同じ患者として活動に加わってくれたこともあり、10年9月、当時の管首相が「HTLV-1特命チーム」の設置を指示。管付さんや山越さんら患者代表も加わった特命チームは4回の会合を開き、国としての総合対策を打ち出すに至りました。
公費負担で抗体検査を実施
新たに国が決めた「HTLV-1総合対策」は次のようなことです。
- 厚労省に患者、専門家を交えた「HTLV-1対策推進協議会」を設置する。
- 感染予防のため妊婦のヒトT細胞白血病抗体検査と保健指導を全国で実施。
- キャリアや患者さんに対する相談支援(カウンセリング)の推進。
- 原因究明や治療法開発のための研究強化。11年度の研究費として10億円を計上。
- 国民への正しい知識の普及、医療従事者への研修強化、など。
山越さんは何とか訴えが実ってひとまずホッとしたものの、まだ対策はスタートしたばかりであり、課題は山積していると語ります。
「妊婦健診で抗体検査が行われるようになり、相談窓口も設けられていますが、相談に乗っているのは患者さんにもキャリアにも会ったことのない保健師さんたち。実態をよく知っている私たちやキャリアの人たちが、もっと協力していく必要があります」
なお、はむるの会は今年6月30日でNPO法人の登録を解消しました。相談業務などの実績を生かし、「スマイルリボン」の傘下に入ってますます発展的に活動を続けていく予定です。