患者・病院・行政が連携し、がん医療向上を目指す「島根システム」に全国が注目
患者が声を上げて主体的に動けば、がん医療は変わる!

取材・文:守田直樹
発行:2009年4月
更新:2013年4月

  
写真:佐藤愛子さん
「ちょっと寄って見ません家」の
「お世話役」である
佐藤愛子さん

島根県には、がん患者が語らう場所「がんサロン」が全部で21カ所もある。東西に約230キロある県のあちらこちらに、まるで種から芽吹くようにサロンが誕生している。公民館や病院内の「がんサロン」は、すべてがん患者が主体となって運営。患者の活動を病院や行政が支援する「島根システム」は全国から注目を集めている。


神話の国・出雲を象徴する出雲大社のお膝元に、がん情報サロン「ちょっと寄って見ません家」はある。このサロンを開いているのは、佐藤愛子さん。2005年に亡くなった報道カメラマン・佐藤均さんの奥さんだ。

「がん患者さんだけでなく家族の方も、話を聞いて欲しいという気持ちは一緒です。私自身も主人を亡くした悲しみを乗り越えられればと思い、このサロンをつくりました」

夫の均さんは、厚生労働大臣に「抗がん剤の早期承認」や「地域の医療格差」の問題を直接問いかけるなど、“物言う患者”の代表的な存在だった。均さんからバトンを受けとった患者たちがリレーしていく形で、島根県はがん対策で大きく前進。「がんサロン」の数も、この3年で21カ所に増加している。

患者さん主体のスタイルに見学者が多く訪れる

写真:「ちょっと寄って見ません家」

2006年4月にオープンした「ちょっと寄って見ません家」。全国から視察者が訪れる

写真

「がん患者さんや家族の方も、話を聞いて欲しいという気持ちは一緒」(愛子さん)。話をしているうちに次々と参加者がやってくる

2006年4月にオープンした「ちょっと寄って見ません家」は、愛子さんが所有する建物の空店舗を利用しているので、テーブルはレジ台、本棚は商品棚。パソコンを置いたブースは、

「もとは試着室なんですよ」

と、愛子さんは言う。

均さんの「がんを語ろう会」創立当時からのメンバーの1人、今岡登志子さんはこう話す。

「均さんが種をまかれ、愛子さんがご主人のまいた種に水をやって育てられた感じです。愛子さんの人柄で、サロンの仲間がどんどん増えたんです」

今岡さんは19歳のときに心臓弁膜症を患い、41歳のときに乳がんを発症した。手術から3年後に肋骨に再発が見つかり、2本切除しているが、その後は10年以上元気に過ごしている。

「島根にはサロンがたくさんありますが、それぞれ特長があり、代表者の考え方もみんな違います。『いろんな企業を巻き込もう』と頑張っておられるところもありますが、ここは愛子さんらしく『みんなが楽しく過ごせたらいい』というサロンですね」

日曜日以外の午前11時から午後5時まで開く常設型。「毎週木曜日はみんなでお茶を飲む井戸端会議」と聞いて参加した。

7人の参加者のうち、3年ほど前に乳がんの手術をして肺転移も経験したという女性は、愛子さんに誘われても1カ月はサロンへ足を運べなかったという。

「化学療法にすごい苦しんでね。髪も抜けてたし、死にたいという気持ちにもなって……。愛子さんに声をかけてもらってからも、ここへ実際に来るまで1カ月ほどかかりました」

深刻な話に引き込まれていると、いつしか人数が10人を超えていた。隣のテーブルでは手術で声帯を切除されたのか、喉に電気発声器を当てて話している男性もいる。大手保険会社の社員を名乗るキャリアウーマンも途中参加してきた。患者と家族の会で摩擦は起きないのだろうか。愛子さんに聞いた。

「最初は保険屋さんに勧誘されたらどうしようって感じでしたが、話をすると『やっぱり保険も大事だよね』って。全国の代理店さんが、患者さんたちで運営し、自由に話し合うこのサロンに、患者さんの生の声を聞きにみえたこともあるんです。私たちが何をしてきたかっていえば、下手でもいいからと、自分たちの体験をいろんな場所でお話することぐらいですね」

サロンが開放的なのは、愛子さん自身がオープンでいるから。

「だって私自身、サロンでこんなに元気をもらうなんて思ってもみなかったんです」と、明るく笑う。

先日も、関西のある大学病院でサロンを開きたい、という相談があった。

「いきなり大きな病院で開くのはむずかしいかもしれません。最初は喫茶店で数人が1時間でも2時間でもおしゃべりしましょうでいいんです。そこから始めて人数が増えれば、きっとその声は病院に届くはずです」

患者が声をあげれば病院も行政も変わる

県内3番目に誕生した「ちょっと寄って見ません家」に続き、4番目にできたのが島根大学医学部付属病院内の「ほっとサロン」だ。ここも愛子さんらの働きかけが開設のきっかけだった。

「島根大学の病院に通う患者さんたちが私たちのサロンへ見学に来られ、『うちの病院にもあったらいいね』と言われことがきっかけでした。たまたま院長が私の古い知人でお願いをしてみると、『狭いけど、空いてる部屋がある』とのことで、依頼から1カ月も経たずして提供してくださることになったんです」

患者が声をあげれば、病院も変わる。「がんを語ろう会」のメンバーや愛子さんたちの声がきっかけとなり、「院内サロン」が次々と誕生、現在、県内の「がん診療連携拠点病院」6カ所すべてに設置されている。

院内だけでなく、さまざまな場所にサロンがあったほうが患者さんの選択肢は広がる。

「私のところが19番目です」と話すのは「雲南サロン陽だまり」を開いた小林貴美子さんだ。

「院内サロンも大切ですが、行きづらいという方もおられます。生活する地域にサロンという場が欲しいと思ったんです」

雲南市に直接かけ合うと、雲南保健所が活動のスペースを無料で貸してくれることになった。

小林さんは卵巣がんを患ったあと、大腸がんと乳がんも切除しているが、後で考えると自覚症状があったと後悔している。

「だから、こんな症状があったら絶対に病院に行くべきだと、元気な人にも声を大にして訴えたいと思ったんです」

雲南保健所との協力関係はさらに進展し、健康診断の待合室にいる人などにがん検診を受診するよう声かけまでしている。持ち前のバイタリティで、2007年暮れには15カ所のサロンが一堂に会する「がんサロン交流会」の実行委員長になって牽引し、会を実現させた。

患者活動をバックアップする「島根システム」

島根では、病院や行政などの主導ではなく患者さんたち自身が主体となってサロンの運営などを行っている。その積極的な活動を、病院や行政もバックアップしている。患者と病院、行政が連携する患者支援は「島根システム」と呼ばれている。そのきっかけとなったのが均さんの声であり、その遺志を受け継いだのが愛子さんたちなのだ。

行政側の積極的な支援は、県議会議員の佐々木雄三さんの後押しも大きい。均さんが直接かけ合い、深い結びつきが生まれ、県のがん対策に本腰を入れてくれたのだ。愛子さんは言う。

「主人は報道にたずさわっていたので政治家の方とあまりに懇意になると職業生命にかかわります。しかし、仕事を無くしてでも県や国を動かさないと、という気持ちを佐々木県議は真剣に受け止めてくれたんです」

また「抗がん剤の専門医が必要」と痛感した均さんらが署名を集めて2003年に県議会へ提出した「抗がん剤治療専門医の早期育成を求める請願書」は、佐々木県議らの助力を得て実現に向かった。県内の医療従事者を国立がん研究センターなどへ2年連続で30名弱を派遣する事業として実を結んでいる。また医師が、がんサロンに参加して患者の声を聞いたり、講演するなど双方向の交流も進んでいる。

「島根県は行政と市民の関係もうまくいっていると思います」と、愛子さんもうれしそうだ。

2006年秋、全国初の都道府県がん対策条例となる「島根県がん対策推進条例」を可決。条文には「患者会などの活動の支援」が盛り込まれた。行政のホームページには必ず「がんサロン」の活動が紹介されている。

医療向上のために「がん対策募金」活動に加わる

写真:島根県立看護短期大学部看護学科の学生たち

サロンで顔なじみとなった島根県立看護短期大学部看護学科の学生たちも街頭募金活動に参加した

愛子さんの活動はサロンの開設だけにとどまらない。2007年から3年間で7億円を目標額に掲げた「がん対策募金」の活動にも加わっている。地域医療機関と連携し病気予防などに取り組む「財団法人 島根難病研究所」が窓口となる募金で、県知事や県議会議員も賛同人となっている。バナナ1袋で6円が寄付される「バナナを食べて、がん募金」というユニークなキャンペーンも展開してきた。

「募金活動の賛同人は地元の名士の方ばかり。私に何ができるかを考えたら、主人がしたことと同じ、街頭に立つことでした」

均さんは闘病中も街頭で署名運動をし、「患者の声が医療を変える」と訴えつづけた。命を賭しての声が届き、抗がん剤のエルプラット(一般名オキサリプラチン)は申請から1年あまりという“異例のスピード”で05年3月に承認された。が、均さんは使えないまま6月28日に死去。享年56歳だった。

均さんの遺志を継ぎ、愛子さんは街頭募金で声を嗄らした。サロンに参加していた馴染みの看護学生たちも手を挙げてくれた。2007年のクリスマスイブも大声で募金を呼びかけ、年末までに集まった金額は合計3億1011万5814円。

「目標金額に向かってがんばることも大切ですが、患者自身が立ち上がって活動することが1番意義のあることだと思うんです。2008年の7月でのこり1年の追い込みに入りました。サロンの仲間と一緒に大きなイベントを起こし、もっと輪を広げたいと思っています」

がん医療の向上を掲げてまかれた患者や家族の声という種。患者たち自身が主体的に育て、島根のあちこちで花を咲かせつつある。


がん情報サロン 「ちょっと寄って見ません家」
〒693-0051 出雲市小山町237-12
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